佐竹 敬久(さたけ のりひさ、1947年(昭和22年)11月15日 - )は、日本の政治家。秋田県知事(公選第17・18・19・20代)。
秋田市長(第17代)、全国市長会会長(第27代)などを歴任。佐竹北家の末裔で21代目にあたる。秋田県仙北郡角館町(現在の仙北市)出身。曾祖父の佐竹義尚 (北家)は男爵に列しており、華族の家柄である。
秋田県仙北郡角館町(現:仙北市)に生まれる。1966年(昭和41年)3月、地元の秋田県立角館高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、東北大学工学部精密工学科卒業。1972年(昭和47年)3月、秋田県庁に入庁して県庁職員(地方公務員)として勤務した。商工部門、総務部次長を歴任した。県庁を退職して1997年(平成9年)の秋田県知事選挙に立候補するも落選した。同年12月に秋田県の地域経済研究会を設立した。
2001年(平成13年)7月、秋田市長選挙に立候補、初当選した。2005年(平成17年)に再選。市長当選後、秋田県市長会会長、全国市長会副会長、全国市長会財政委員長、政府税制調査会委員、全国市長会会長などを歴任する。
2009年(平成21年)2月23日、市長の任期を約5か月残して「一身上の理由」で辞職願を提出し、翌24日の市議会にて全会一致で承認され、辞職した。全国市長会会長職もこれに伴って失職となり、当面は後継を置かずに副会長9名が職務を分掌する形を取った。
その後、自民・社民県連などの支持を得て秋田県知事選挙(2009年4月12日投開票)に出馬し、民主県連などの支持を受けた川口博などを破り、初当選を果たした。
2013年には2期目を目指して出馬を表明し、3月21日の選挙告示日に立候補手続きを行うも、対立候補が現れずに無投票での再選となった。
2017年4月9日に投開票が行われた知事選では、公明党・社民・自民県連から支持を受け、無所属の前知事寺田典城、日本共産党公認の同党県副委員長山内梅良を破り、3選を決めた(投票率は56.83%)。
2021年4月4日に投開票が行われた知事選では自民党県連・公明党県本部などから支持を受け、元衆議院議員の村岡敏英ら3候補を破り、4選を決めた。
2022年9月16日、「Rethinkフォーラム~視点を変えれば、世の中は変わる」出演(他、加藤夏希、わらび座の栗城宏)
2025年の知事選には出馬せず4期限りで引退する意向を表明している。
佐竹北家は清和源氏の名門佐竹氏の分家にあたり、江戸時代には秋田藩の角館を治めており、明治時代には華族のうち男爵に叙せられた。
次男の敬久は、外祖父である第20代当主佐竹敬治郎(第18代当主佐竹義尚の次男)から家督を受け継ぎ、第21代当主となった。尚、長男は幼い時に死亡した。
父方は、和井内家の血筋。曽祖父は和井内貞行。
家族は妻、娘1人、息子夫婦、孫1人。
佐竹義重-岩城貞隆-佐竹義隆-義処-相馬叙胤-徳胤-恕胤-祥胤-樹胤-根来盛実-(北家)佐竹義尚-敬治郎-女子(和井内貞二郎妻)-敬久
2017年7月22日より秋田県全域で大雨が降り、午前中に一部地域で避難準備情報が出され、夕方には避難指示が出されていた。しかし、佐竹は22日から宮城県大崎市に友人らと私用で一泊二日のゴルフ旅行に出かけた。週末のため、県外に行くことは秘書課には伝えていなかった。午前10時半から午後4時までゴルフを楽しんだが、その間、携帯電話には豪雨の被害を知らせる連絡が多数入っていた。その後、会食と飲酒を行った。翌23日午前5時過ぎ、県庁幹部に午前11時から緊急の連絡会議を開くよう指示を出し県庁に出発したが、通行止めによる渋滞に巻き込まれ欠席。県庁へ到着したのは午後1時頃であった。
県は当初、会議欠席の理由を「出張」とし、25日の会見ではゴルフには県職員OBの友人と共に4人で行ったと話していた。しかし、7月26日に緊急の記者会見を開き、一緒にゴルフに行ったのは、県部長2人とOB4人の計7人であったことを明らかにし、同行した県の産業労働部長と観光文化スポーツ部長を「かばう気持ちがあった」と述べた。辞任については「態度を改めて仕事をし、県政の進展で今回のことを挽回したい」と否定した。
同じく7月26日に、株式会社龍角散は、佐竹が出演している龍角散のCMについて民放各社に放映中止を要請し、27日朝には公式サイトから当該CMの動画を削除した。同社は「豪雨被害を受けた秋田県民の感情に配慮した」と説明した。CMの放映中止について読売新聞の取材を受けた佐竹は陳謝の意を表明した。
10月6日、佐竹が提案した佐竹の給与3カ月分と冬のボーナス(計507万円)を不支給とする条例案が、県議会で可決された。同行した部長2人も9月から二か月間2割減給の懲戒処分を受けている。
2019年7月10日の12時半過ぎ、第25回参議院議員通常選挙候補者の選挙カーが秋田県庁舎前道路に横づけ演説を始めた。県庁の正面玄関前には佐竹や県幹部、一般職員が集まった。演説は昼休み時間を過ぎた13時10分まで続けられ、最後は職員と共に必勝コールを行った。これらの行動に対し識者から「公務員の政治的中立性が疑われる」として批判の声が上がり、インターネット上でも多くの批判が上がった。29日の会見で佐竹は「休み時間を超過したことは批判されるべきだが、公務員の政治活動は原則自由だ」と釈明した。
2021年6月27日午後2時半頃、私用車で日本海東北自動車道を運転中に、ポケットからティッシュペーパーを取り出し右手で鼻をかんだ際にハンドル操作を誤り単独の物損事故を起こした。パンクしたタイヤなどが散乱し一時通行止めとなった。7月1日には、事故の際運転していたスポーツカーのフェアレディZについて、スポーツカーは運転に神経を使うとして私用車を乗り換える意向を示した。
2022年8月の記録的大雨で被害を受けた農家への支援を求められた際に「(食感が)硬い。値段は(一般の鶏肉の)3倍だが3倍うまいかは分からない」「『軟らかい鶏が欲しい』という要望が非常に多い。比内地鶏はこのままではじり貧だ。頑固にやっているとつぶれる」などと発言。この佐竹の発言に対し、秋田県内の生産者や販売業者から憤りの声が広がった。同月31日、佐竹は発言について「言い方やタイミングが悪かった」と釈明した。
2023年10月23日、秋田キャッスルホテルで開催された「秋田の未来を創る協議会」設立会議で講演を行った際に、秋田の料理と比べて、全国知事会で訪れた四国地方の料理はうまくなく粗末である旨の発言をした。「秋田ほどうまいものがある所はない。四国なんかもう大変です。酒もうまくないし」「メインディッシュが出てきてステーキかなと思ってふたを開けたら、じゃこ天。貧乏くさい」「あと高知県。どろめ。あのうまくないやつ」などと、四国を貶める発言を繰り返したという。
同月25日に臨時記者会見を開き、自身の発言が不穏当、不見識だったとして「四国の方々に不快な思いをさせ、心からおわび申し上げたい」と謝罪した。
この騒動は全国的に報道され、じゃこ天は却って知名度が上がり、産地の愛媛県には秋田県内からを含め注文が増えた。翌11月15日には秋田県と四国4県が東京で合同物産展を開き、5県の特産品を詰め合わせた「なかよしセット」(3500円)は50個が数分で完売したほか、サッカーJ2リーグ・ブラウブリッツ秋田のホームゲーム2023最終戦(11月12日のJ2第42節・ソユースタジアム)では、当日の対戦相手・徳島ヴォルティスが四国のクラブであることに因み、数量限定(300食)ながらじゃこ天の場内販売が急遽決定、当日は1時間程で完売した。
会場で取材に応じた佐竹は「本当に申し訳ございません」と改めて詫び、じゃこ天を通販で注文した秋田県民に「私の至らない点をフォローしていただいた」と感謝するとともに、行きつけの居酒屋で注文しなくてもじゃこ天が出されるようになったと明かした。
共同通信によるアンケートによると、会合出席、祝電送付などの有無について、祝電を送ったことがある ▽WFWP創設30周年記念講演会 阿部雅龍氏(プロ冒険家)特別講演 2022年5月22日 と回答。
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