ナイツは、塙宣之と土屋伸之からなるマセキ芸能社、漫才協会、落語芸術協会所属のお笑いコンビ、司会者、漫才師。M-1グランプリ2008 - 2010ファイナリスト(2008 第3位)、THE MANZAI 2011ファイナリスト(準優勝)。
ともに創価大学の落語研究会出身。塙は26期生、土屋は27期生であり、落語研究会の先輩にやついいちろうと今立進(共にエレキコミック)が、塙の同期には南野やじ、土屋の同期に岸学(どきどきキャンプ)がいる。当時、塙は別の相方とすでに「ナイツ」として活動しており、4年連続で大学対抗「冗談リーグ」で全国1位になっていた。
塙が大学卒業後の2000年4月、4年生だった土屋を誘いコンビを結成。名前が共に「のぶゆき」だったことから当初はコンビ名を「Wノブユキ」にする予定だったが、Wけんじの弟子と勘違いされる懸念から、「ナイツ」とした。ナイツのコンビ名の由来は、塙が当時好きで毎週観ていた富永美樹アナウンサー司会による宣伝番組『見逃せナイン』(フジテレビ)をもじり、当初は「見逃せナイツ」として活動後、「見逃せ」を省き現在のナイツというコンビ名に至る。漫才師として内海桂子に、落語芸術協会では三遊亭小遊三に、それぞれ師事。また、土屋の母が所属していたことが縁で、マセキ芸能社に所属する。
事務所の社長が浅草からスターを生み出したいという考えから、マセキ芸能社の芸人を漫才協会に所属させるのが毎年恒例になっていた。新人には、活動場所に関して漫才協会もしくはテレビの2択で選ばせていた。皆がテレビを希望するも、ナイツのみテレビへの希望を却下され浅草で活動する事になった。
コンビ結成直後の同年6月、塙がバイク事故で大腿骨を骨折し、1年間歩けなくなった。当時の土屋は、塙の住居から遠く離れた場所で生活していたが3ヶ月間毎日見舞いに訪れた。また、栃木県の牧場に住み込みでビンゴ大会の司会を毎日4ステージこなすというピン芸人としての活動を続けていた。上記のエピソードをネタとして使用することもある(例:事故に遭った⇒ジーコに逢った、など)。コンビとしては1年間活動していない状態だったため結成年を2001年とすることもあるが、実際は『M-1グランプリ2008』の決勝戦でも共演したオードリーやNON STYLEなどと同期である。
漫才協会入会当初は一門の兄弟子であり当時マセキ芸能社所属であった笑組に着物の畳み方や寄席のしきたりを教わっていた。
売れない頃は東京都中野区にある集会所を自腹で借り、定期的にネタを披露していた。ロケット団、宮田陽・昇、ホンキートンクを加えた4組で「漫才協会の四天王」、ロケット団とWコロンを加えた3組で「漫才協会の若手三羽烏」または「漫才協会の若手三銃士」と呼ばれる。
2007年、落語芸術協会に入会。2010年11月に漫才協会の真打に昇進した。
2016年5月22日放送の『笑点 歌丸ラスト大喜利スペシャル』(日本テレビ)の演芸では、この日を以て司会を勇退する桂歌丸と共に漫才を披露した。2017年1月1日の『新春スペシャル』の演芸においても、再共演した。
当初は一般的な漫才や野球ネタを披露していたが、2007年に落語芸術協会に入り寄席向けの漫才に触れたことで、「つかみ」だけで15分の長尺をやりきる漫才を模索するようになる。そこで、試験的に3分間で100個ボケられるか試し見事成功する。ここから、塙が一方的にボケつづけ、土屋がツッコミつつそれを訂正する現在のスタイルが誕生した。初めてのネタ見せの際、チーフマネージャーの反応は芳しくなかったが、納得いかず劇場で披露したところ抜群の手ごたえを感じそのままナイツのスタイルへと定着した。また、野球ネタの中で野球に関連しないボケをひとつ入れたところ反応が良かったため、その後は野球ネタの比重が小さくなった。テレビへの露出が増えたことで、塙がボケた際に叩くなどの過激なツッコミをほとんどしなくなった。
ナイツの著名な漫才の芸風は「ヤホー漫才」と称される。塙が興味のある事柄をインターネットで調べ、その情報をことごとく間違える言葉遊びのようなネタ(例:Yahoo!→ヤホー、Google→ゴーグル、Goo→ゴーなど)。これが『爆笑レッドカーペット』で好評を博した。その後、同番組2008年12月17日放送分において、Yahoo!から花と記念品を贈られる。これに関して、サンケイスポーツ紙面にてYahoo!から公認されたと語っている。ちなみに、NHKでのネタ披露の際は会社名を伏せなければならないため「Yahoo!ね!」とする部分を、「いや、フーね!」とツッコミをいれている。
塙は「漫才は音楽」の自論を持ち、「しゃべくり漫才はロック 。NON STYLEはポップ・ミュージック、オードリーはジャズ、ナイツはテクノ」と例える。2007年頃誕生したヤホー漫才は、塙の愛聴するYMOのテクノ音楽に由来する。機械的で無機質、塙が小刻みにボケて土屋がツッコミを繰り返すことにより一定のリズムで漫才が進む。途中で、塙のテンションが下がったり下ネタを挟むのは、YMOの細野晴臣が入れるリズムのハネ、転調を表しているためである。正統派のしゃべくり漫才に括られることが多いが、会話はなくボケがツッコミを無視して喋り続けるという点で本質的には漫談に近い。このシステム上、ボケの手数は最大限に増幅しており、サンキュータツオは「しゃべくりではあるが掛け合いがない」「しゃべくり漫才に特化した先の究極形」と評している。YMOにはツッコミがないため、ボケの大枠にはツッコミはなく、土屋は観客としての役割を果たしている。
同じネタでも、披露する場所や客の年齢層によって話し方・内容・スピードなどを微妙に変える技術を持つ。寄席などの年配者が多い場所ではゆっくりと語り台詞も多く、『爆笑レッドカーペット』など短い持ち時間の際は簡潔に歯切れよくたたみ掛ける。
2010年以降は、自己紹介や塙の趣味を題材にしたネタを頻繁に披露している。流行や社会をテーマにしたネタ作成もするが、従来のような「ヤホー」のボケは組み込まれなくなっている。塙が漫才の中盤で「調子が悪い。今日俺何の話してましたっけ?」ときっかけを作り前半を振り返りつつ、それを足掛かりにさらにボケを重ねていく構成のネタもある。時には、宮崎駿が監督を務めたアニメ映画のタイトルを卑猥なものに変えるなどの下ネタや、不祥事を起こした芸能人の名前を出すなどの際どいボケ(『THE MANZAI 2011』より)も披露している。謎かけを披露し先輩芸人の持ちネタである「ねづっちです」、または「ねづっちのです」というネタもよく行っている。
塙が「今までのツッコミに飽きたので新しいツッコミをしてほしい」と土屋に頼むという体裁で、タカアンドトシ、カミナリ、ハライチ、オードリーなどの漫才におけるやり取りをまねるネタもある(『芸人ちゃんネタ祭り2017』・『THE MANZAI 2017』など)。このネタでは、塙が「強く叩いてほしい」と土屋に前振りした上で、塙を叩くツッコミをしている。
他にも吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」やビートルズ「ハロー・グッドバイ」などのヒット曲を土屋がほぼ原曲通りに歌い、曲の随所で塙が歌詞に対してツッコミを入れ続けるというパターンのネタも行っている(吉のネタは前述通り2015年のM-1敗者復活戦で披露)。
近年のバラエティ番組出演時は、寄席・演芸場での経験を生かし、古参・ベテラン芸人をネタにしたトークを披露している。「テレビからお呼びがかからない」など、ほぼ揶揄に近い言い回しで、ネタ同様に塙がたたみかけ、土屋が突っ込むパターンが中心である。
上記のように「衣服・靴・眼鏡以外の小道具を使ったり(本人の実像を離れた)ある役になりきって演ずるような、いわゆるコント漫才」はあまりやらないがその反面、役として漫才師ナイツを徹して演じ、舞台上で「漫才のネタ・スタイルの構成の反省・修正・新開発」に関して相方と打ち合わせをする体裁で客に説明しながら、次々と新しい形式の話芸を披露している。(小道具を使う漫才を行う場合は、大抵「野球好き・大相撲好きの塙宜之」に沿った小道具を使う演目である)
2001年の第1回大会から2015年大会まで11回出場、うち2008年 - 2010年大会で3年連続で決勝進出。
太字は、現在出演中。
ほか多数
·マクドナルドCM
※塙単独での著作は塙宣之#書籍を参照。
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