『眠狂四郎』(ねむりきょうしろう)は、関西テレビと東映が制作し、1972年(昭和47年)10月3日から1973年(昭和48年)3月27日までの全26回、フジテレビ系列で毎週火曜日の22時から22時55分に放映された連続テレビ時代劇。田村正和主演。
1989年6月22日から1998年12月28日まで計4回、テレビ朝日系列で特番ドラマとして放送され、2018年2月17日にはフジテレビ系列でも放送された。
原作者・柴田錬三郎は、最後に眠狂四郎が映像化されて以降は「自分の思い描く狂四郎のイメージと役者のイメージが違うとして」いくつかの映像化を断わっていたが、「田村ならばよい」とようやく映像化の許可を下したことで制作された。田村の殺陣や姿のみならず、夜の10時台ということで、東映所属のポルノ女優を多数配し、御色気シーンも売りとされて、制作陣は、「放送コードのすれすれまでお色気シーンを放送する」と豪語した。番組宣伝用のポスターや写真などに使用された田村の写真は篠山紀信により3時間以上かけて撮影された。オープニングの流れる血をイメージしたタイトルバックは、自動車用のオイルや塗料などを使ったが上手くいかず、様々な試行錯誤の末、ガソリンと絵の具を混ぜた液体を使うことに落ち着いたが、スタジオでの撮影ではスタジオ中が赤の液体だらけになり、井上昭は、赤い色を見るのが嫌になった程であったという。また当初、オープニングシーンは時代劇ではなく、現代劇風にシャツにジーンズ姿の田村が登場するという予定であった。
円月殺法と並び、スタッフや柴田の考案により、居合で出演女優たちの帯が一瞬でほどける、帯解き殺法なる技も見どころとされていた。田村の狂四郎については柴田曰く「タキシードを着て殺しをするオーデコロンのさわやかさがある」と評価していた。
製作発表記者会見には柴田本人も参加、眠狂四郎に扮した田村が刀で衣麻遼子の帯を解き、腰巻だけにするという演出が行われる異色の会見になった。かつて市川雷蔵と映画版で共演したこともある佐藤友美は、市川の狂四郎はどことなく優しさの様なものがあったが、田村の狂四郎の方がよりクールな感じがすると話した。
1989年から1998年にかけて、テレビ朝日系列でも田村主演の特番ドラマが4回放送された(田村以外のキャストは入れ替え)。2018年2月17日には、ドラマスペシャル『眠狂四郎 The Final』がフジテレビ制作で放送された(テレビ朝日版のキャストはそのまま引き継がれた)。この作品が、田村最後のドラマ出演となった。
時代は、無類の色好みで50人もの子をなしたと言われる11代将軍・家斉の治下。虚無の影を宿し、世に背を向けて孤独の中に生き、不敗の秘剣・円月殺法を振るう眠狂四郎。彼には、転びバテレンのイルマンが黒ミサで大目付の娘をはらませ、その結果生まれたという出生の秘密があった。義理・人情・憐憫の情に心を閉ざした狂四郎は、決して自ら事件に関わることはない。やむを得ず降りかかる火の粉を払うように、事件の渦中に巻き込まれていく。
狂四郎は佐竹藩の隠し銀山といった内情を探るが、狂四郎と女郎ともえは佐竹藩の殺し屋たちにより執拗に命を狙われ、女郎はついに命を落とす。忌の際に狂四郎は女郎ともえから佐竹藩にとっては藩存続のカギを握っている異国の銀貨を受け取る、やがて佐竹藩は狂四郎の暗殺を諦め、逆に狂四郎に死んだ女郎とそっくりな志津乃という女の警護を依頼するが、。
柴田の小説、『うろつき夜太』(集英社 1974)の中には特別出演として眠狂四郎が登場、横尾忠則が描いた、田村扮する眠狂四郎のイラストも使用されている。
2022年9月1日から、YouTube「東映時代劇YouTube」の「据置枠」で第1・2話が常時無料配信されている。
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