氷川 きよし(ひかわ きよし、1977年〈昭和52年〉9月6日 - )は、日本の歌手。2000年デビュー。本名は山田 清志。一部で「kiina」(キイナ)という名前を使用することがある。身長178cm。体重62kg。血液型A型。レコード会社は日本コロムビア。KIIZNA所属。旧所属事務所は長良プロダクション。
福岡県福岡市南区出身。福岡市立大楠小学校・福岡市立高宮中学校、福岡第一商業高等学校卒業。
2000年(平成12年)2月2日、『箱根八里の半次郎』で演歌歌手としてデビュー。ビジュアル系男性アイドルのようなルックスを持つ演歌歌手として大きな注目を集め、その実力派の歌唱力やビートたけし命名という話題性も相まって、同年末の日本レコード大賞を初めとする音楽賞・最優秀新人賞を総なめにした。
2001年(平成13年)には『オリコン ウィーク The Ichiban』(2016年4月休刊)誌の表紙を飾る。演歌歌手が同誌の表紙を飾るのは、『オリコン・ウィークリー』時代から数えても松村和子、城之内早苗に続いて3人目であり、男性演歌歌手では初めてのことであった。2001年からリリースしている「演歌名曲コレクション」シリーズは、発売する度にオリコンアルバムチャート初登場ベストテン入りを記録している。また、シングルにおいても、2001年に発売した2枚目のシングル『大井追っかけ音次郎』で総合チャートベストテン入りして以降、「氷川きよし」名義のシングルは全てシングルチャートベストテン入りを果たしている。この記録を保持するのは、演歌歌手では氷川のみである。
2003年(平成15年)頃から、通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する氷川の代表曲(「箱根八里の半次郎」「きよしのズンドコ節」など)では、背景映像に氷川本人の出演する映像が多く採用されている。2003年7月1日 - 25日、納涼特別公演を中日劇場でした際、中日スポーツに初日から千秋楽までの公演の様子が掲載された。
2006年(平成18年)、「一剣」で日本レコード大賞を受賞し、歴代4人目のレコード大賞3冠となった。2007年(平成19年)、「きよしのソーラン節」で日本有線大賞史上初の4回目の大賞受賞となる。2008年(平成20年)のNHK紅白歌合戦では白組の大トリを務めた。
2017年(平成29年)、「第50回日本有線大賞」で4年ぶりかつ歴代最多となる9回目の大賞を受賞。
2020年(令和2年)2月2日、デビュー20周年を迎えたこの日、最初のコンサートを行った中野サンプラザで公演。ファンと共に記念日を祝った。
2020年(令和2年)6月9日、初のポップスアルバム『Papillon -ボヘミアン・ラプソディ-』を発売。それに伴い、アルバム発売記念コンサートを予定していたが、前年より猛威を振るっている新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開催を中止した。代替として、オリジナルライブ「氷川きよし LIVE 〜Papillon〜 Presented by WOWOW」が企画され、同年8月2日にマイナビBLITZ赤坂にて無観客で収録。同年10月24日、WOWOWプライムにて放送された。2021年9月11日、LINE CUBE SHIBUYAにて観客を入れての初ポップスコンサート『氷川きよし -You are you- Release Tour 2021』を開催した。この模様は同年11月にWOWOWプラス、2022年春にWOWOWで放送。
また、歌手活動以外にもタレント活動や歌謡劇への出演などを展開している。
2022年(令和4年)1月21日、所属事務所により同年12月31日をもって活動を休止することが発表された。「22歳からファンの皆様の真心にお応えしたいという思いがエネルギーでしたが、なかなか心と身体が思うようにならなくなり、ご期待にお応え出来ないこともあり、来年からリフレッシュの為お休みを頂く事に致しました。本当に心苦しく思っています」という。
なお氷川は同年1月27日のコンサートで、復帰の可能性について時期には触れなかったものの、ファンの前で「もういいと思うかもしれないですが、また喜んで下さるなら」と述べている。
同年4月6日の「夜桜演歌まつり」において、声帯ポリープの摘出手術を受けたことを明らかにした。同月23日に治療を終えたことを報告。
同年12月31日の第73回NHK紅白歌合戦をもって歌手活動を休止。理由は"氷川きよし"でいることに疲れ切り、心身共に不調を抱えたためであり、その後は念願の海外生活も経験した。
2024年(令和6年)4月27日、デビュー時より所属していた芸能事務所「長良プロダクション」を3月31日付で退社し、独立したことを発表。同日、新会社「KIIZNA(キズナ)」の設立と公式サイトを新規開設したことを報告した。2024年8月16日・17日に東京ガーデンシアターで行うコンサートを皮切りに芸能活動を再開し、同年10月25日より「25周年記念 劇場コンサートツアー」を行う予定である。
往年の演歌、昭和歌謡やムード歌謡とオリジナル曲を収録した「演歌名曲コレクション」シリーズなどのカバーアルバムを発表しているほか、かつて『きよしとこの夜』などのテレビ番組ではポップス系の楽曲も数多く披露しており、過去にKIYOSHI名義でのシングルCDも発表。現在では名前の使い分けはしておらず、全ての曲を氷川きよしの名で統一している。フジテレビ『ミュージックフェア』『FNSうたの夏まつり』『FNS歌謡祭』などではJ-POPを歌唱し、視聴者からも反響の声が大きかった。とりわけ『うたの夏まつり』でゆずとコラボレーションした「栄光の架橋」はその歌唱力が視聴者から絶賛され、菊川怜も『うたの夏まつり』で印象に残ったシーンとして氷川・ゆずのコラボレーションを挙げている。
歌う際の衣装は、和服ではなく洋服が多い。また、楽曲の振り付けは、複雑な動きを取り入れず、比較的簡単な手の動きのものが多い。これは、幼いファンから高齢のファンまでが覚えやすく、座ったままでも可能な動きであるよう考慮されているためである。
芸名の「氷川」は、所属事務所の長良プロダクションがあった東京都港区赤坂6丁目にある氷川神社、「きよし」は氷川の本名である「山田清志」に由来する(たけしの相方のビートきよしが由来という誤解も多い)。名付け親はビートたけし(北野武)であるとされるが、実際は事務所会長の長良じゅんが命名しており、長良が氷川をたけしに紹介した際には、既に「氷川きよし」という芸名でのデビューがほぼ決まっていた。長良は、新人歌手の氷川を売り込むため、話題作りとしてたけしを名付け親にしようと考えたという。この話はたけしが明かしている。
氷川がデビューした年に初出場したNHK紅白歌合戦では、たけしも志村けんとともに氷川の応援前座として初出場した。また、この年の日本レコード大賞新人賞受賞でも、たけしは氷川の応援として登壇している。
デビュー曲「箱根八里の半次郎」がいきなりの大ヒットにより、第51回(2000年)に紅白歌合戦へ初出場を果たす。それ以降も現時点において、第73回(2022年)まで、23年連続して出場。これは現在紅白の白組歌手では、五木ひろし(50年連続)、森進一(48年連続)、細川たかし(32年連続)、三波春夫(29年連続)、北島三郎(27年連続)、フランク永井(26年連続)、TOKIO(24年連続)に次ぐ、歴代7位タイの記録で有る(なお紅組歌手も含めると、史上13位となる)。その内第59回(2008年)では、氷川自身唯一の紅白大トリ(白組トリ)を務めていた。
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