下絛 アトム(しもじょう アトム、1946年11月26日 - )は、東京都出身の俳優、声優、ナレーター。同じく俳優の下絛正巳を父に、元女優の田上嘉子を母に持つ。本名同じ。名前に含まれる「ジョウ」の表記において、細い枝を意味する 下條 アトム を用いることが多いが、本名の正式な表記はさなだを意味する 下絛 アトム であり、こちらを用いられる場合がある。玉川学園高等部卒業。
アトムという名前は本名であり、父・正巳が第二次世界大戦後間もなく生まれた息子を、将来は日本でもアメリカのように名前・苗字の順に呼ぶようになり、ローマ字の順に名簿も作られるだろうと考え、ならばアルファベットのAで始まる名前なら最初に呼ばれるという理由で、さらに「今後の原子力は戦争ではなく発電など平和のために使われるはずである」という願いを込めて、原子を意味する英語atomから名付けた。
手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』は下條アトムの命名より後に描かれたものであり、同名となったのは偶然の一致である。『鉄腕アトム』の連載当時、アトムという名の少年が実在することが話題となり、当時少年だった下條は手塚治虫と対面している。
また、ウランという名の女性が小学生時代の同級生におり、当時のテレビ番組『私の秘密』に2人で出演したこともある。ともに現在の日本においても珍しい名前であり、これは非常にまれな出来事である。『今夜は最高!』にゲスト出演した時に『鉄腕アトム』のパロディでアトムを演じ、最後に「これ一度やってみたかった」とつぶやいている。
俳優業の他に30代の頃から声優業も並行して行っており、声優としての代表作は『刑事スタスキー&ハッチ』のスタスキー役とフジテレビの『ゴールデン洋画劇場』を主としたエディ・マーフィの吹替作品である。当時『ビバリーヒルズ・コップ2』や『星の王子 ニューヨークへ行く』などの音響演出を行った演出家の河村常平によると「エディ・マーフィの地声に似ている声の俳優」ということで下條が起用されていたとしている。
その後、「エディ・マーフィでおなじみの下條アトム」と評されるほどに定着。なお、下條はマーフィのキャリア最初期にあたる80年代から担当している人物でもあり、「吹き替えで発する独特の訛りがクセになる」と評されるなど個性的な演技が好評となった。そのセリフ回しは大泉洋をはじめとしたタレントのモノマネレパートリーとしても人気を博しているほか、下條と並んでマーフィの吹替声優として知られている山寺宏一も、吹替えを担当する上でマーフィの雰囲気を日本語で出すということが大事だと思っていた中で、「下條アトムさんのなまった感じがエディ・マーフィなんだ」「あれ(下條)がエディ・マーフィなんだよ、やまちゃん(山寺)は普通に喋っているから面白くない」といった意見を度々受けており、下條の吹替えた作品を見て研究、反省しようかと考えることもあるという。
下條自身は、マーフィの吹替えに関して次のようにコメントを寄せている。
下條が声優を始めた頃は声優業は役者側から軽視される業種だったものの、下條は難しいながらも面白い物だと解釈し収録後に自身の演技に不満を持ち、表現力を極めようと精進したことが声優としてのキャリアに繋がったのではないかと回想し、2018年のインタビューでは「毎回いつも新人のようなつもりでやってるんですよ。いわゆる第一線級ではないですし、2軍でベンチをあっためているような気持ちですよ」と語っている。
ナレーターを務めた『世界ウルルン滞在記』は広く有名になり、モノマネをする人のほとんどは、「○○で出逢った」というモノマネを行う(最初の時は特徴ある口調ではなかったが、「リポーターやスタッフが大変な思いをしてやって来たその映像を視て、『頑張れ』という思いで感情移入するうちにこうなった」とのことで、結果的に12年間も務める事となった。)。
2005年の『仮面ライダー響鬼』には、立花勢地郎役で出演。東京都葛飾区柴又にてきびだんごを名物とする甘味処を営み、“おやっさん”の愛称で慕われる役どころであったことから、出演のオファーを受けた際は戸惑いを感じていたという。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou