秋田 清(あきた きよし、1881年(明治14年)8月29日 - 1944年(昭和19年)12月3日)は、日本の政治家。衆議院議長(第30代)、厚生大臣、拓務大臣を務めた。
来歴・人物
徳島県出身。旧制徳島中学(現・徳島県立城南高等学校)、日本法律学校(現・日本大学)、東京法学院(現・中央大学)卒業。高知地方裁判所の判事、二六新報の編集および社長職を経て政界入り。1932年、衆議院議長に就任。1937年、内閣参議に就任。1939年、阿部内閣で厚生大臣に就任。1940年、第2次近衛内閣で拓務大臣に就任。1944年12月3日死去。
栄典
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章
- 1930年(昭和5年)12月5日 - 帝都復興記念章
備考
- 政界の裏表に精通し、「策士」と称された。
- 政界入りしたときの所属政党は立憲国民党。その後革新倶楽部を経て立憲政友会に属したが、衆議院議長在任中に政友会を離党して無所属となり、その後は院内では小会派の第一議員倶楽部に属した。
- 日本法律学校在学中は弁論部で活躍した。
家族
- 長男:秋田大助(法務大臣、自治大臣、衆議院副議長)
- 次男:秋田兼三(第一ホテル会長、日本長期信用銀行副頭取)
脚注
出典
参考文献
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ、12頁)
関連項目
外部リンク
- 『秋田清』 - コトバンク
- 『秋田 清』 - コトバンク
- 秋田清関係文書 | 憲政資料室の所蔵資料 | 国立国会図書館
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