大正ロマン(たいしょうロマン)は、大正時代の趣(おもむき)を伝える思潮や文化事象を指して呼ぶ言葉。大正浪漫とも表記される。
大正時代の個人の解放や新しい時代への理想に満ちた風潮と和洋折衷の先進的な文化に対し、明治末まで文学・美術界で流行していたロマン主義(明治浪漫主義)を拡大して被せ、また甘美で抒情的でロマンチック(ロマンティック)であるという憧れをもって、後世このように呼ばれるようになった。1974年に生誕90年であった竹久夢二が「ロマン」と付されて紹介された流れで結びついた二語とされる。
大正時代は明治の次、昭和の前にある時代のことを指す。
15年と短いながらも国内外が激動した時代であり大正文化という独自の文化が花開いた時期で、さらに日本は日清戦争、日露戦争での連勝を経て帝国主義の国として欧米列強と肩を並べ「五大国」の1国ともなった。 また、日英同盟を理由に、第一次世界大戦にも参戦。戦勝国の側につき国中が国威の発揚に沸いた時代である。 西欧先進国の産業革命からの影響を受けて、明治の45年間をかけて国内での工業化が進み経済は着実な発展を遂げ、流通や商業が飛躍的に進歩した。鉄道網の形成や汽船による水運が発達、これと並行して徐々に町や都市の基盤が形作られ、さらに大正に入ってからは近郊鉄道の敷設、道路網の拡大や自動車・乗り合いバスなどの都市内交通手段の発展により都市化が促進された。録音や活動写真(キネマ)の出現、電報・電話技術の発達、そして新しい印刷技法による大衆向け新聞・書籍・雑誌の普及など、これら新しいメディアの台頭によって文化・情報の伝播も飛躍的に拡大し、少女雑誌や婦人雑誌には流行風俗を反映した特集や抒情画が多数掲載された。 戦勝による債務国から債権国への転換により経済は爆発的に拡大し、明治以降の経済の自由化とともに商人の立場が向上した。欧米から学んだ会社制度が発達し、制度上は個人商店であった私企業が発展していく中で世界に向けて大規模化していき、また通貨の円の国際化と旺盛な日本市場を狙って、ウェスティングハウス・エレクトリックやユニバーサル・ピクチャーズ、フォード・モーターなど、欧米企業の進出が相次いだ。 第一次世界大戦で南洋諸島などが手に入り、それらの地の開拓も進められた。主要な戦地であった欧州に代わり造船受注が拡大、この時期に長崎や神戸などに現代にまで続く重工業企業の基盤が形成された。大戦景気や投機の成功で「成金」と呼ばれるような個人も現れ、立身出世の野望が実業の方面に向かっても開かれた。
中流層には「大正デモクラシー(民本主義)」が台頭し、一般民衆と女性の地位向上に目が向けられた。そして、西洋文化の影響を受けた新しい文芸・絵画・音楽・演劇などの芸術が流布して、思想的にも自由と開放・躍動の気分が溢れ出し、都市を中心とする輸入物愛好、大衆文化や消費文化が花開いた。一般人の洋装化を促す服装改善運動が提唱され、洋装の学生服を女学生が通学で着るなどの変化も始まった。百貨店もまた新しい文化の発信地だったが、和装がほとんどであった女性層に元禄模様・琳派などの江戸趣味をブームとして仕掛け、銘仙を販売している。
しかし、時代の後半に入ると大戦後の恐慌や関東大震災もあり、経済の激しい浮き沈みや新時代への急激な変化に対応できないストレスが顕在化してくる。都市化と工業化は膨大な労働者階級を生み出し、国外の社会変革を求める政治運動に呼応した社会主義運動が大きなうねりとなって支配層を脅かし、スペイン風邪の流行や肺結核による著名人の死も時代に暗い影を落とした。知識人においては個人主義・理想主義が強く意識されるようになり、新時代への飛躍に心躍らせながら、同時に社会不安に通底するアンビバレントな葛藤や心理的摩擦もあった。昭和の時代にかけて、自由恋愛の流行による心中・自殺、そして作家、芸術家の間に薬物や自傷による自殺が流行するのもこの頃からである。 大衆紙の流布とともにそれらの情報が増幅して伝えられ、時代の不安の上にある種の退廃的かつ虚無的な気分も醸し出された。むしろこれらの事々のほうが「大正浪漫」に叙情性や負の彩りを添えて、人々をさらに魅惑する側面もある。この背景には、19世紀後半にヨーロッパで興った耽美主義やダダイスム、デカダンス等の影響もうかがえる。芸術活動には大正期新興美術運動が起こり、アール・ヌーボーやアール・デコ、表現主義など世紀末芸術から影響を受けたものも多い。あるいは政治思想である共産主義、アナキズムなどの「危険思想」が取り締まられ社会主義思想にも圧迫が加えられた。一方、多くの地方の村落はまだまだ近代化に取り残されており、大正に至っても、明治初期と変わらない封建的な生活が残っていた。
「大正ロマン」は、新しい時代の兆しを示す意味合いから、モダニズム(近代化)から派生した「大正モダン」という言葉と同列に扱われることもある。「大正モダン」と「大正ロマン」は同時代の表と裏を表象する対立の概念である。在位の短かった天皇の崩御により、震災復興などによる経済の閉塞感とともにこの時代は終わり、世界的大恐慌で始まる昭和の時代に移るが、大正モダンの流れを止めることなく昭和モダンの時代へと引き継がれる。
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年代が短いこともあり、大正時代に限ってのみ活躍した人物というものを挙げるのは難しいが、以下のような明治から昭和への過渡の時代に生きた人物の名が挙げられ、この時代を彩る数々の芸術作品や新思潮が生み出された。
特に竹久夢二に限っていえば、彼の場合、実質的に活躍した年代が大正期と重なり、その思索や行動、そして作品において時代の浮き沈みと一体化しており、この時代とともに生きた人物であり、大正ロマンを代表する名として、しばしば掲げられる。彼の絵を表紙に使ったセノオ楽譜は一世を風靡したといわれる。
また、大正ロマンは大衆性や庶民的な部分で捉えられる傾向が強く、白樺派に属する人々らについては直接的に関連付けられることは少ないが、その自由性や耽美性、明治以降のロマンティシズムにおいて大いにその牽引力となったと思われる。特に1923年(大正12年)に白樺派の人気作家・有島武郎が愛人の波多野秋子と軽井沢の別荘で情死した事件は、当時世間を大いに賑わせ、大正期に流行した自由恋愛や情死・心中事件を代表する出来事となった。
中里介山においては、1913年(大正2年)より大長編小説『大菩薩峠』の新聞への連載を始め、昭和に至るまで脈々と書き続けられ、未完のままに終わるが、大衆娯楽小説の出発点ともされており、大佛次郎の『鞍馬天狗(1923年(大正12年) - )』や林不忘の『丹下左膳(1927年(昭和2年) - )』などの作品連載発表に先んじて、大衆文化(サブ・カルチュア)の創生に大きく影響を及ぼした。
1913年(大正2年)、劇団「藝術座」を旗揚げした島村抱月と松井須磨子の、数年後の病死~後追い自殺(1918年(大正7年) - 1919年(大正8年))に至る関係においては、劇団や演目への好評が大きいだけに政治的圧力や短い期間での破綻が大衆の好奇を刺激し、須磨子の歌った「命短し恋せよ乙女 (ゴンドラの唄)」に乗せて、後の芸能人への憧れや自由恋愛の風潮を育む元となった。
1916年(大正5年)の日蔭茶屋事件から同12年の甘粕事件に至る間の、思想家・大杉栄と女性解放活動家・伊藤野枝を取り巻く動きについては逐一新聞などで報道され、有名人のスキャンダルとして大衆の好奇の材料ともなったが、一方で時代の不安な空気の中で、自由の行く末に暗い展望を投げかける契機ともなった。
川端画学校は1909年(明治42年)に東京小石川に設立された私立の画塾ではあるが、1913年(大正2年)に創設者の川端玉章が逝去したのちも、芸術や都会の文化に憧れる若者を各地から集めて、太平洋戦争(大東亜戦争)さなかの廃校に至るまで、画家のみならず多くの才能を輩出した。
1960年代から再評価が始まった大正文化は、萩原朔太郎や竹久夢二の作品を通して1970年代には大正ロマンと呼ばれるようになり、ファッションや漫画・ゲーム・アニメなどのサブカルチャーの題材として取り扱われ、そのイメージを定着・拡大してきた。
1975年にベニス国際広告映画祭銅賞などを受賞したアニメCM『小梅』を、当時の読売新聞が「大正ロマンのムードをそのまま絵にしたCM」と評価。同じ年には『はいからさんが通る』の漫画連載が始まりアニメ化・ドラマ化。時代遅れのCMと見ていた日本の広告業界、歴史物はウケないとされていた当時の少女漫画の常識を覆す好評であった。
『小梅』は吉永小百合、山口百恵がそれぞれ主演した歴代の『伊豆の踊子』の映画から影響を受けイメージを作り、『はいからさんが通る』は落語「お婆さん三代姿」と俗曲「間がいい節(間がいいソング)」からストーリーを着想して取材しており、両作品ともにレトロと少女のロマンスを描いた。文学史的・美術史的な意味のロマンティシズムとは異なる「大正ロマン」ブームの火付け役とされる。
さらに南野陽子が主演した『はいからさんが通る』の実写映画のヒットは、女子大学生が卒業式に袴を履く現象を生み出すに至っている。映画公開の1987年は「昭和30年代」を筆頭とする懐古ブームの最中にあり、大正ロマンと文豪の佇まいに憧れる男を描いた『大正野郎』も発表されている。史実を取り入れつつ伝奇的な世界観と、後の創作作品に影響を残すビジュアルの怪人・加藤保憲を描いた『帝都物語』もこの頃である。
1996年の『サクラ大戦』は架空の「太正」でスチームパンクを展開、大正ロマンを素材にして大正風の世界を構築した代表作となった。企画脚本段階のやりとりで例に挙がったタイトルは『はいからさんが通る』と『帝都物語』であった。2002年にはアンティーク着物を扱ったファッション雑誌が登場し、少女感と乙女感を重視した着物ブームが起きる。『鬼滅の刃』は人気を高めるうちに2020年の劇場版アニメで日本歴代興行収入第1位を記録する社会現象となり、大正文化への注目やリバイバルにも繋がっている。
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