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近鉄劇場


近鉄劇場


近鉄劇場(きんてつ げきじょう)は、大阪市天王寺区上本町六丁目にあった劇場。近畿日本鉄道が所有し、子会社の近鉄興業が運営していた。2010年(平成22年)8月26日に大阪新歌舞伎座の新しい劇場を設置した複合ビル「上本町YUFURA」に生まれ変わった(後述)。

概要・略歴

1938年(昭和13年)3月、大阪電気軌道上本町駅南側に設立された映画館「大軌小劇場」が前身。当時は洋画のみならず、ニュース映画と短編映画も上映していた。その後近畿日本鉄道への改組を機に「上六小劇場」と改めたが、1954年(昭和29年)12月、「上六近鉄会館」として改築・再開業した。設計は村野・森建築事務所、施工は大林組が担当。地上階に主に洋画を上映する『上六映画劇場』、地階に主に邦画を上映する『上六地下劇場』が設置された。近鉄会館開業までの天王寺区の映画館は、玉造東宝映画劇場、ヤマト館、三光館、三和劇場の4館のみだった。

1985年(昭和60年)、上本町駅ターミナル整備(都ホテル大阪や駐車場、観光バスセンターの建設など)の一環として、全面的な改装を実施、上六映画劇場は近鉄劇場に、地階の上六地下劇場は近鉄小劇場として、同年10月3日にリニューアルオープンした。プロデュースは元『プレイガイドジャーナル』誌の演劇担当の松原利巳が担当した。

近鉄劇場は954席を設け、劇団四季やOSK日本歌劇団、ABCミュージカルなどのミュージカルや演劇、コンサートといった公演に使われた。一方、近鉄小劇場は420席を設け、小劇団の公演などが数多く行われた。近鉄劇場、近鉄小劇場とも東京の劇団、上演団体の公演が数多くおこなわれ、大阪に東京演劇の最新動向を伝える役割を果たした。

また、隣接した旧近鉄本社ビル(1936年築)も改装されて近鉄劇場別館ビルとなり「近鉄資料室」が地下に設置されたほか、朝日放送の運営により新進アーティストの作品を展示する「ABCギャラリー」を設置した(のち閉鎖)。また、上本町駅ビルとの間の空間は「シアタースクエア」と名付けられた広場となった。

2000年代に入ると、近鉄グループの再建策の中でレジャー部門の抜本的な見直しが行われることになり、近鉄あやめ池遊園地など遊園地も閉鎖された。またOSK日本歌劇団の解散が行われ当劇場も開業以来赤字が続き、施設の老朽化に加え観客の減少も相まって、2004年(平成16年)2月4日に閉鎖となり、大軌小劇場時代から通算して66年の歴史にピリオドを打った。なお、同年には大阪近鉄バファローズも創設から55年の歴史に幕を下ろした。

近鉄劇場閉鎖から10ヵ月後、同年12月には扇町ミュージアムスクエア(大阪ガスが運営)も閉鎖されたことから、大阪における演劇文化の衰退を危惧する声も聞かれた。

再開発計画

閉鎖後は飲食店が一部残った状態で、建物の解体や再開発計画は進まなかったが、難波にあった大阪新歌舞伎座(旧・大阪歌舞伎座)が老朽化のため2009年(平成21年)6月30日をもって閉館し、近鉄劇場跡に移転することが2007年(平成19年)4月に決定した。2008年(平成20年)より旧劇場の解体と新ビルの建設が進められ、2010年(平成22年)1月15日、近鉄は再開発ビルの名称を「上本町YUFURA(ユフラ)」に正式決定、近鉄創業100周年となる同年8月26日に、新歌舞伎座とともにグランドオープンした。「YUFURA」の名称は大阪市内在住の女性によるもので、「ゆらりふらり」と気軽に立ち寄れる場所をイメージして名付けられた。

関連書籍

  • 宮川龍太郎『近鉄劇場終演まで ― 順風・逆風・自分風』新風舎、2005年4月15日刊行

関連項目

  • 近畿日本鉄道
    • 近鉄グループ
    • 上本町YUFURA
    • 近鉄あやめ池遊園地
    • 大阪近鉄バファローズ
  • プレイガイドジャーナル
  • 扇町ミュージアムスクエア

脚注

注釈

出典


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 近鉄劇場 by Wikipedia (Historical)