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内藤清次


内藤清次


内藤 清次(ないとう きよつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。高遠藩内藤家2代(3代とする説あり)。

生涯

天正5年(1577年)、徳川氏の家臣・内藤清成の長男として誕生する。

慶長9年(1604年)の徳川家光の山王神社初詣をはじめ、翌年の徳川秀忠上洛に同行するなど信任を受ける。慶長12年(1607年)には家光の傅役を命じられた。大坂夏の陣では書院番頭を務め、のちに奏者番、元和2年(1616年)には老職(後の老中に相当)に就任する。父・清成同様、政治面で重用され、草創期の江戸幕府を支えた。

所領・官位としては、はじめ常陸国に5000石を与えられ、慶長5年(1600年)には従五位下若狭守に叙任。慶長13年(1608年)、父の死により遺領2万1000石を継ぎ、合計2万6000石を領した。

元和3年(1617年)、41歳で死去した。男子がなかったため、家督は次弟の清政が継いだ。

参考文献

  • 新宿歴史博物館編集『内藤清成と高遠内藤家展』(財)新宿区生涯学習財団 2008年

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 内藤清次 by Wikipedia (Historical)


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