クルブ・アトレティコ・ウラカン(Club Atlético Huracán (スペイン語発音: [uɾaˈkan]))は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスパルケ・パトリシオス地区を本拠地とするサッカークラブである。
1903年にチーム名を"Verde Esperanza y Nunca Pierde"(蒼き希望と不屈)という名前のチーム名にしてクラブを設立した。しかし、メンバーが文房具店へチームのゴム印鑑を作るために行ったところ、そこの店主に「短い名前にした方がいい。そうしないとかなりでかいゴム印を作らなければならなくなる」と言われた。その時、メンバーの1人が文房具店のカレンダーにEL Huracan(エル・ウラカン:ハリケーンの意)という文字が書いてあるのを見て、閃き、それをチーム名にすることを仲間に提案したところ、了承されてチーム名がウラカン (Huracan) となった。そして、1908年11月1日、正式なクラブ名をクルブ・アトレティコ・ウラカン(Club Atlético Huracán)とした。
1973年にメトロポリターノで優勝し、プロ化以降、初優勝を飾る。監督はセサル・メノッティであった。2007-08シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)に復帰した。ミゲル・アンヘル・カッパ監督に率いられた2009クラウスーラでは、マリオ・ボラッティなどが印象的な活躍を見せ、最終節を前にして首位に立っていた。2位CAベレス・サルスフィエルドとの直接対決となった最終節は引き分けでも優勝が決まる有利な状況にあったが、引き分けが濃厚であった83分に決勝点を決められて敗れ、勝ち点でベレスに逆転されて2位に終わった。ウラカンの(映像で見る限り正当な)得点がオフサイドと判断されて無効となり、ベレスの決勝点の際にキーパーチャージがあった可能性があるなど、試合を左右した主審の判定は試合後も物議を醸した。2011-12シーズンに再びプリメーラB・ナシオナル(2部)へ降格した。
ウラカンの愛称はEl Globo(エル・グロボ:気球の意)でチーム・エンブレムも気球である。これはアルゼンチンの航空業界の開拓者であるホルヘ・ニューベリーへの敬意を表して決まった。1909年、アルゼンチンでニューベリーが「エル・ウラカン(英訳するとハリケーン)」という名前の気球で、気球飛行による当時の南米新記録(13時間で、550キロメートル)を作った。それで、クラブ・ウラカンはニューベリーにこの気球「エル・ウラカン」のデザインをチーム・エンブレムとして使用させてもらえないかと頼んだ。すると、ニューベリーは快諾して、それにより、エンブレムが気球となった。そして、チームの愛称も「エル・グロボ」(気球)になった。
またウラカンにはlos Quemeros(ロス・ケメロス:焼却炉の意)という愛称も持つ。これはウラカンのスタジアムの近くにゴミ焼却場があるからである。この愛称は、初期の頃、この焼却場からの煙が観客席に押し寄せてきて、試合を観戦する邪魔になり、観客が困ったというところから付けられた。
ウラカンのユニフォームの白色と赤色は、ニューベリーが乗っていた気球の配色が白と赤だったので、そこからこの色に決まった。
ウラカンの最大のライバルはCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロである。このクラシコはアルゼンチン国内でスーペル・クラシコ(ボカ・ジュニアーズ対CAリーベル・プレート)、クラシコ・デ・アベジャネーダ(ラシン・クラブ対CAインデペンディエンテ)、クラシコ・ロサリオ(CAロサリオ・セントラル対ニューウェルズ・オールドボーイズ)に続き、4番目に関心を集めるダービーマッチである。
アルゼンチン国内に"ウラカン"という名称のクラブは50近くもある。しかし、当クラブが最初であると言われている。そのうちCAウラカン (トレス・アロヨス)、CAウラカン (コモドロ・リバダビア)、CAウラカン (インヘニエロ・ホワイト)などは名前のみならず、ユニフォームのデザインまで当クラブと同じ白色にしている。またペルーのアレキーパにあるクラブ・スポルティーボ・ウラカンは、CAウラカンに憧れて名称をウラカンとした(ユニフォームのデザインは緑色で違うものにしている)。
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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