阿部 敦(あべ あつし、1981年3月25日 - )は、日本の男性声優。賢プロダクション所属。栃木県足利市出身。
昔は両親が共働きだったため、祖母に面倒を見てもらっており、すごいおばあちゃん子だったという。
母、祖母の話によると、子供の頃はよく走る活発な子供だったという。
物心ついてからアニメ、漫画、ゲーム、映画が好きになったが、元々芝居が好きであり、小学生の頃は学芸会が好きだった。
小学5、6年生でテレビで声優の特集をしていた番組を観て、職業としての「声優」を知って、アニメ、映画も好きだったことから「声優が天職だろう」と思ったという。その時に憧れを持ち、「声優になれたらいいなあ」ぐらいの気持ちで初めて意識した。その頃、好きだったアニメはアニメ映画『天空の城ラピュタ』。
両親は厳しく、アニメ、ゲームが好きではなかったという。中学時代も夜7時以降にテレビを観てはいけなかったという。朝もアニメを観ていると怒られ、「アニメを観るくらいならニュースを観なさい」、「漫画を読むくらいなら新聞を読みなさい」と言われたが、それに反発していたという。
阿部家は父が野球で甲子園に出場しており、従姉妹が水泳でインターハイに出たりする体育会系であり、阿部は阿部家の中ではイレギュラーな存在だったという。中学時代は親から「運動部に入れ」と言われ、テニス部に所属していた。1年で退部したが、県大会に出場した経験も持つ。
声優の真似事ができず、「とにかくお芝居をしよう」と思い、白鷗大学足利高等学校時代から演劇部に所属。当時の役柄は三枚目が多かった。部活動で観に来ていたOB・OGの人物と縁が出来て高校2年生の頃にアマチュアの社会人劇団の舞台に出演していた。演出として来ていた高校時代の演劇部のOGに紹介してもらい、半年後、地元の社会人劇団に所属。
高校卒業後は親の勧めもあり、4年制大学の経済学部へ進学。大学進学後も、毎日演劇に関わっていたという。この社会人劇団には地元を離れるまで所属しており、客演を頼まれて出演したり、住んでいた地域を越えて幅広く活動していた。
大学3、4年生になり、周囲は就職活動を始めていたが、阿部は全然しておらず、芝居の関係の活動ばかりしており、就職するというのがよくわからなかったという。感覚的にも違和感があり、「なんで自分の好きでない仕事をしなくてはいけないんだろう」という考えだったことから、「好きなことをしてお金をもらえてごはんが食べられたらいいのになあ」と思っていたという。「僕もそろそろ何かしら動きはじめないとな…」と思い、真剣に一日考えていたという。その時、考えたのは今後の自分の姿であり、やりたいことを自由にやれるタイミングというのは、今が最後なような気が気がして、「やっぱりやりたいことをやろう!」とその一日で声優の道へ進むことを決めたという。
前述の通り、家庭はアニメ、漫画、ゲームといった文化に否定的だったこともあり、当初は両親は「そんな適当な考えでなれるわけがない」と猛反対していた。長男だったこともあり、「何の保証もない世界で、生活はどうするんだ」、「頑張ったって声優になれる保証はないだろ?」、「どういう風に食っていくんだ?」などと責められ、「なりたいんだ、ごめん」としか言えなかったが、最後は両親が折れて援助してくれたという。白鷗大学卒業後、卒業生に有名な人物も多くおり、授業料も安かったため、芝居の基礎は劇団のたたき上げだったことから、声優になる方法がわからず、「とりあえず学校に行ってみよう」、「声優を目指すなら今が最後のチャンスだ」と考え、アルバイトをしながら東京アナウンスアカデミー(現:東京アナウンス・声優アカデミー)に通った。
その後、同アカデミーで行われたマウスプロモーションと81プロデュースと賢プロダクションによる三社合オーディションで声優養成所のスクールデュオに合格。そこに後の賢プロダクションの代表取締役の内海賢太郎が面接官として来ていたという。当時は賢太郎も「お芝居って何だと思う?」、「演技で何を重視している?」などたくさんの質問をしてくれていた。阿部はそういうことを訊かれると持論を語ってしまうほうのため、他の面接官そっちのけで、芝居について2人で喋ってしまい、ほかの人物にはすごく申し訳ないことをしていたという。合格後は同養成所に6期生として2年通う。
養成所時代、マイク前で演技することには、なかなか慣れず、舞台発声になってしまうため、距離感が違うなど舞台っぽくデカい芝居になってしまった。マイクが全然信用できず、ボソボソと喋る演技をしたとして、「本当におまえ、拾ってくれんの?」というを反応され、最初はすごく不安だった。そんな時に、賢プロダクション相談役の野村道子が授業を見に来ており、個人的に話をする機会があり、「私と今、喋ってるくらいの音量でいいのよ。ちゃんとマイクは拾ってくれるから」とアドバイスを受ける。「あの道子さんがおっしゃるのなら、そうなんだ!」と吹っ切れて、マイクを信用することにした。慣れるまでは1年くらいはかかったが、徐々に変わり始め、現場にも出させてくれるようになった。芝居の土台は、劇団演劇で作れていたことから、ほかの人物が知識として処理してきた芝居は、実感として身につけていった。
養成所時代に心がけていたことは週に4本などたくさんの芝居を見ていた。舞台を基にしてやっていきたかったため、舞台はたくさん見ていたという。
アッパークラス時代は芝居を一緒に1本作ると結構仲よくなったため、講師と一緒に軽井沢で合宿したりもしていたという。
賢プロの養成所時代の思い出は合宿で2、3泊の日程で岐阜県飛騨市に行ったが、当時は課題の量がものすごくて芝居漬けの日々だった。合宿中に野村道子から「目つきが役者の目になってきたわね」と、声をかけてくれたことも印象的で、自覚がなかっただけに、凄く嬉しかったという。
同養成所を卒業した後、賢プロダクションへ所属。阿部は少年声だが、当時偶々事務所には少年声を出す人物があまりおらず、これが同プロダクションに所属した理由の一つだと語る。
専門学校時代と養成所時代は足利から準急列車で片道で家から3時間くらいかけて通っていた。2007年くらいに千葉県松戸市新松戸に引っ越しをして一人暮らしを始める。栃木県にいた大学生の頃から色々なアルバイトを経験しており、チェーンのハンバーガーショップ、地元のパチンコ屋、牛丼チェーンでの深夜勤務、インターネットプロバイダのテレホンアポインターなどをしていた。
2006年に『コヨーテ ラグタイムショー』のアレックス役でデビュー。
2007年に『しゅごキャラ!』の相馬空海役で初めて主要キャラクターを演じ、2008年には『亡念のザムド』の竹原アキユキ役、『とある魔術の禁書目録』の上条当麻役と、2作品で主役を演じた。また同時期の『亡念のザムド ザンバニ号放送局』では初めて(メイン)ラジオパーソナリティを担当。
2010年3月6日に発表された第4回声優アワードで新人男優賞を受賞。
熱血から草食系までの少年役を演じる。『とある魔術の禁書目録』の頃から、周囲を際立たせるために個性を抑え、あえてフラットな主人公が増えてきた。しかし上条当麻はそういう主人公とは違い、泥まみれで汗水流して戦い、更にヒロインを救うという役で、「すごく主人公らしい主人公」という感じがしていたという。元々熱血ものを演じたかったため、その願いが叶いつつ世間にも認知してくれたという意味では、すごく思い出深い役の一つだという。阿部自身はわりとストレートで物事の考え方、生き方が単純で、「裏表のない人間だ」と思っており、言いたいことも隠せず言ってしまうほうである。当麻のような役は、演じていて気持ちよく、楽しいという。当麻と同じ経験はないにしても、「こういう気持ちになったことはある」のような場面はなかなかないが、共演者の芝居に心を動かされて、スイッチが入る瞬間はある。「絶対に助ける」と思い、ゴーレイに突っ込んでいき、共演者と互いに盛りあげていける関係性は、「すごく素敵だ」と語る。阿部曰く演じる役は熱血タイプのイメージが強いが、『亡念のザムド』の竹原アキユキ役は、「けっこう飄々とした役で、ちょっと真面目感がある飄々とした感じが、この軽めの声に合っていたのかもしれない」という。また「自分でこれをやろう」と言って、自分の力で何かをやっていく主人公の方が得意だといい、阿部が演じている主人公は、「自分で何かをなしている、前に出て何かをやるタイプだ」と思っているという。『とある魔術の禁書目録』の上条当麻役、『バクマン。』の真城最高役、『亡念のザムド』の竹原アキユキ役もそうであり、主役ではないが、『しゅごキャラ!』の空海役も、基本的には自分から前に出て何かをやっていくキャラが多いため、それにマッチした役を演じてもらっている気がするという。
『Girls-Style』のインタビューでも明るく張りのある声は、物語を引っ張っていく正統派の役どころに似合う印象があるとされているが、阿部自身は声質ばかりは、生まれ持ったものなため、「両親ありがとう」と言うしかないという。ただし、長所でもあり欠点でもあり、印象的なイメージがあれば、逆にそれ以外の役が演じにくくなり、例えば外画で年配の男性役はできないという。「どうしても声によって役の方向付けは誰もがされちゃう」と思っており、2011年時点では若い青年の主役を多く演じているが、将来的には敵役、脇を固める役などの色々な役を演じていきたいといい、重要になるのは芝居で、「じっくりゆっくり力をつけていけたらな」と語る。
舞台をしていたことから、舞台にいる時は気を抜いてはいけないなど、大事なことに気がつけたという。舞台で距離感を生かせることはあったが、声優をすることになり、距離感、ニュアンスがわかるようになった。演技をして波の形を意識しているという。この地点から、別の地点の感情に行きたい場合、急に行くのではなく、最初に気づきがあり、行き着くようにしたいといい、そうでないと不自然に見えてしまい、そうした芝居の流れを重視しているという。
アニメ『とある魔術の禁書目録』で、好きなキャラクターとして月詠小萌を挙げている。『とある魔術の禁書目録II』ではオルソラを推している。
「自分自身は長男で上に兄弟が居ず、優しいお姉さんに憧れていたから」との理由から井上喜久子を慕っている。
岡本信彦とは共演する事が多く親交があり、岡本のブログに他の男性声優とともに一緒に写っている写真が掲載されている。岡本とはライバル関係の役が多い。また、同じ事務所に所属する声優のうち、代永翼とは養成所の同期の間柄であり、2009年3月に移籍してきた中村知子とは、お互いの初レギュラーが『しゅごキャラ!』ということで親しい。
本人曰く、すぐに眠れるタイプ。過去には、3日間徹夜した疲れから寝込んで、目が覚めたときにカレンダーを確認したら、30時間眠り続けたことがあるという。本を読んで必要なければ雨戸も1週間あけないと話していた事もある。
公式ブログのトップ画面では、枕を持ったパジャマ姿の写真が使われている。後に『とある魔術の禁書目録』の声優座談会でデザインの説明がされた他、パロディ作品『とある魔術のいんでっくすたん 2』でネタにされた。好きなアニメは『天空のエスカフローネ』だと語っている。
趣味・特技はピアノ。
前述のとおり、昔からアニメ、映画が好きで、普通にオタクで2011年時点では色々な物を見ており、フィギュアを集めたり、カードゲームを集めたりするのも好きだという。
声優になり知り合いが多く出演しているとアニメを見る目が変わった。子供の頃から知っていた声優と同じ現場になると、単純にうれしいというのもあるが、「やっぱりすごいなあ」、「わあっ」と思う時がある。一視聴者として楽しんで作品を見ることがほとんどだが、ふとした瞬間に役者としての目線に戻されてしまうことがあるという。
祖母は『バクマン。』までアニメで阿部の声を聞いても、声が違うように聞こえていたようで、あまり「自分の孫が演じている」と実感がなかった様子だったという。NHKが何度か特番で収録風景などを放送してくれたため、それを見ていた祖母は、初めて阿部が「演じている」と実感していたようだったという。
好きなことは何でもするが、インドア系で部屋で映像作品を観たり、インターネットをしたりしている。2011年時点では「ちょっと外に出ようかな」と思い、野島裕史に話を聞いたり、店を紹介してくれて格好良く自転車を買った。2011年時点ではその自転車で、色々なスタジオにシャカシャカ走って行っている。運動神経は悪くなく、基礎体力もけっこうあるほうのため、身体を動かすのは苦ではなく自転車も楽しいという。
1歳下の妹がいる。
太字はメインキャラクター。
※はインターネット配信。
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