高橋 克実(たかはし かつみ、1961年4月1日 - )は、日本の俳優、タレント、声優、司会者。新潟県三条市出身。シス・カンパニー所属。愛称は「カッツミー」。
子供の頃は、JR東三条駅近くの商店街で日用雑貨店を営む父、専業主婦の母、妹と暮らしていた。両親が映画好きで、特に陽気な性格で落語などの芸事好きだった父には時々映画に連れて行ってもらった。ちなみに幼稚園の頃、地元の信用金庫のCMに家族で出演したことがある。子供の頃からテレビっ子で目立ちたがり屋な性格で、特にドラマ『太陽にほえろ!』が大好きだった。小学4年生の頃から東京に強い憧れを持ち始める。
中学生の頃は野球部に所属していたが、レギュラーにはなれなかった。3年生の頃、低身長(当時142cm)であることにコンプレックスを抱いていた。後日人づてに“バスケをやれば背が伸びるらしい”という話を聞いたことから、高校進学後に籠球(ろうきゅう)部に入部。その後実際に身長が伸びたことでコンプレックスから開放された。高校では女子にモテたい一心から、バスケと並行してフォークソング同好会にも所属した。
その後進路を考える時期に“上京すること”を第一に考えて、父親に「東京の大学に進学したいから予備校に行かせてほしい」と頼み込んだ。何とか許可をもらい、上京後は東松原駅(京王井の頭線)の予備校の寮で暮らし始めた。しかし ほどなくして東京各地を散策したり、映画館通いに夢中になる余り予備校に通わなくなる。
欠席が続いたため寮を出ざるを得なくなり、これを知った父親に怒られて勘当同然となり仕送りも止められた。風呂なしの安アパートに転居し、原宿セントラルアパートの1階にあった飲食店でのアルバイトなどをして生活費を稼いだ。同時期に映画に憧れて出てみたいとの思いから俳優を目指し始めた。その後妹が東京での就職が決まり(時期は不明)、父親から「娘が心配だから一緒に暮らしてやれ」と言われて勘当が解かれ、風呂ありのアパートに引っ越して妹との同居生活を送った。
20代前半で様々なエキストラのオーディションに落ち続けると、同じように落選が続く若者たちと顔見知りとなった。彼らと今後について話し合った結果、後日新宿の小劇場「タイニイアリス」で初舞台(作品名は不明)を踏む。その時の仲間のつてで、26歳の頃に劇団離風霊船に入団することとなった。
しかしその後も中々芽が出ず、翌年「次の作品を最後に新潟の実家に帰ろう」と役者を諦めかけた。そして最後のつもりで、劇団主宰・大橋泰彦の作・演出作品『ゴジラ』にモスラ役で出演。すると同作品で大橋が、新人劇作家の登竜門と言われる岸田國士戯曲賞を受賞。これに加え1980年代に起こった小劇場ブームも相まって高橋も色々な公演に呼ばれるようになり、役者を続けることを決めた。
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