『君の名は』(きみのなは)は、1952年から1954年に日本のNHKラジオで放送されたラジオドラマ。小説化、映画化、テレビドラマ化、舞台化もされた。
脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。ただし、最初の半年間は菊田が「人々の戦争体験を主題に」シリアスタッチで描いていたため、あまり人気はなかった。当初は、東京・佐渡・志摩半島に住む家族を並行する社会派ラジオドラマを目指していた。真知子と春樹との恋愛にドラマが集中し始め、初めて人気番組となった。「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったという。このエピソードは松竹の宣伝による虚構だという説もあるが、『宣伝・ここに妙手あり』(田中純一郎、1958年)では監督の夫人の森川まさみの発言がもとだとしており、『松竹の内幕』(横溝竜彦、1957年)では松竹の重役が考えたとしているなど、記述によって説がバラバラであり、これ自体が根も葉もない噂である可能性は否定できない。
ラジオドラマの人気を受けて1952年から菊田による小説版が新聞連載ののち宝文館から出版され、菊田にとって初の出版におけるベストセラーとなった。1953年には松竹で映画化されると大ヒットを記録し、氏家真知子のストールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれて女性の間で流行した。
これは、主演の岸惠子が北海道でロケの合間に現地の寒さをしのごうと、神奈川県横浜市中区の馬車道界隈の店で購入して持参していた私物のストールを肩から一周させ、耳や頭をくるんでいたことによるとされる。この姿はカメラが回っている時にも使われることになり、「真知子巻き」が誕生した。第一部の冒頭、佐渡に渡る船上でも真知子は「真知子巻き」に類したストールの巻き方をしている。
真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きてなかなか会うことができない。この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。これは後の恋愛ドラマでもよく見られる描写(演出)であり、本作はこのパターンの典型にして古典となっている。
2020年の連続テレビ小説『エール』でも劇中劇として使われた。劇中では真知子役は恒松あゆみ、春樹役は三木眞一郎、アナウンサー(語り部)役は尾田木美衣が務めた。
第二次大戦、東京大空襲の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命からがら銀座の数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて、二人はここでようやくお互いの無事を確認する。
お互いに生きていたら、半年後の11月24日、この橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れた。やがて、二人は戦後の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会が叶わず、1年半後の3度目にやっと会えた時は真知子は、既に明日嫁に行くという身であった。しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、二人をめぐるさまざまな人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。
放送期間は、1952年(昭和27年)4月10日から1954年(昭和29年)4月8日。毎週木曜20時30分から21時までの30分放送。全98回。
番組の冒頭で「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という加藤幸子の、1953年(昭和28年)1月からは鎌田彌恵の「忘れ得ぬ人とは遠き人を云うなり。人は常に忘れ得ぬ人を忘れよと云う」というナレーションが流れた。また、当時のラジオドラマは生放送だったため、劇中のBGMは音楽担当の古関裕而がスタジオにハモンドオルガンを持ち込み毎回即興で演奏していた。さらに、当初は4クールの予定だったが2年間のロングランとなった。
1953年12月、1954年1月に行った冬季の聴取率調査では、『君の名は』は関東地区で59パーセントと、全番組の中でベスト2位の結果になっている。なお、出演者である臼井正明と七尾伶子はこの作品をきっかけに結婚した。仲人は菊田一夫である。
映画とレコードは織井茂子によって吹き込まれている。
NHK放送開始80周年記念特別番組『もっと身近に もっと世界へ NHK80』(2005年3月19日から22日)の一環として、「復刻ラジオドラマ」としてNHKラジオ第1放送で放送された。放送日時は19日から21日の連日21時5分ごろから21時55分。NHKのライブラリーに保管されている音源や台本を参考にしている。
出演は田中美里(真知子)、萩原聖人(春樹)、内山森彦(修造)、松熊明子(悠起枝)、村治学(勝則)、山本深紅(綾)、金内喜久夫(勘次)、岩本多代(信枝)、吉野佳子(徳枝)、吉野悠我(水沢謙吾)、佐藤麻衣子(美子)、谷川俊(副島)、岡本敏明(野島医師)、勝由美子(ユミ)、村上想太(俊樹)、永島広美(あさ)、劇団ギルド。ナレーションは、映画版で主人公の氏家真知子を演じた岸恵子が担当した。 演出:伊藤豐英 デスク:真銅健嗣 制作統括:金澤宏次 技術:加村武、西田俊和 音響効果:久保光男、大和定次、米本満、高石真美子
NHK総合では、「君の名は&冬のソナタ 今夜純愛をあなたに…」の特集を組み、その中でラジオドラマの収録風景を放送している。放送日は3月20日。司会は小野文惠(NHKアナウンサー)。
全3部。大ヒットし、通し上映では6時間を超えることから総集編も製作された。3部作の総観客動員数は約3,000万人(1作平均1,000万人)である。
1953年9月15日公開。2億5047万円の配給収入をあげ、1953年度の配給収入ランキング第2位(1位は同名第二部)。
冒頭のタイトル表記には「第一部」の字はなく、最後に「君の名は 㐧一篇 終」と表示される。
特殊撮影を担当した円谷英二は、公職追放解除を受け前年に東宝へ復帰しており、書籍『円谷英二特撮世界』では本作品は東宝復帰前に受注したものと推測している。
1953年12月1日公開。3億2万円の配給収入をあげ、1953年度の配給収入ランキング第1位。
1954年4月27日公開。3億3015万円の配給収入をあげ、1954年度の配給収入ランキング第1位。ライバルの東宝は『七人の侍』(4月26日公開)を公開している。
「君の名は」に関する歌の作詞・作曲は、すべて菊田一夫・古関裕而のコンビによる。
宝塚歌劇団によって舞台化された作品の一覧を参照。
テレビでは4度ドラマ化されている。
1962年10月2日から1963年10月13日まで、フジテレビ系で放映。放送時間は火曜21時 - 21時30分だったが、1963年4月14日以降は日曜20時30分 - 21時に変更された。
1966年5月23日から1967年1月28日まで、日本テレビ系列の毎週月曜 - 土曜の13時 - 13時15分の時間枠で放映。全216回。
1976年10月1日から12月24日まで、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列の毎週金曜21時枠で放映。全13回。
1991年(平成3年)4月1日から1992年(平成4年)4月4日まで、連続テレビ小説30周年記念作品(第46作)として放送された。全312回。連続テレビ小説では、1983年(昭和58年)度の『おしん』以来の1年間放送。
年々視聴率が下降を続けていた連続テレビ小説のテコ入れとして、1975年以前の原点に戻り放送期間を1年間とした。千葉県野田市に1億円をかけ数寄屋橋のオープンセットを造るなど、異例の予算が組まれた。原作は一世を風靡した作品であったため前評判は大変高く、視聴率が50%を超えるのではないかともいわれていた。
しかしながら、最高視聴率34.6%、期間平均視聴率29.1%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)ともに、本ドラマ終了時点での当時の歴代最低を記録した。
あまりの低視聴率に放送途中に前例のない改変が行われ副題タイトルの挿入、オープニングテーマを曲調を明るいものに変更、ストーリーも暗さをなくすなどテコ入れを行ったが視聴率は改善することはなかった。
朝ドラの主な舞台地としては、新潟県が主な舞台地になった最初の朝ドラとなった。
なお、第五部の舞台は、長崎県島原市の予定だったが、雲仙普賢岳の噴火により中止となり、舞台は、静岡県西伊豆に変更された。
2006年4月3日から2007年3月31日まで、BS2でアンコール放送された。
放送ライブラリーでは第1回が公開。
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