『岸辺のアルバム』(きしべのアルバム)は、1977年6月24日から9月30日まで放送されたTBS系のテレビドラマ。原作・脚本は山田太一、プロデューサーは堀川敦厚。第15回ギャラクシー賞、ギャラクシー賞30周年記念賞受賞作品。
原作小説は、1976年から1977年まで東京新聞と中日新聞・北海道新聞・西日本新聞に連載された。
倦怠期を迎えた夫婦の危機と子供たちが大人になる過程での苦悩、家族が崩壊していく様が描かれ、最後に水害により家が崩壊する。全15話。
1974年の多摩川水害が背景にある。この水害で多摩川の堤防が決壊して19棟の家屋が崩壊・流出したが、家を失ったことのほかに家族のアルバムを失ったことが大変ショックであったという被災者の話を脚本の山田太一が聞き、そこから作品の構想が生まれた。ラストの水害で家が流されるシーンは、実際の報道映像が使用されている。
主演の八千草薫は、和泉多摩川駅の向かいのホームに佇む美しさに惹かれたといって電話をかけてきた竹脇無我と家族に隠れて不倫する主婦を演じ、それまでの良妻賢母的なイメージを打ち破り、新たな役どころを開拓。関川夏央は「貞淑を絵にかいたような八千草とラブホテルの組み合わせは衝撃的だった」と評する。小説では39歳だったが、脚本では42歳に直されている。八千草の実年齢は46歳だった。八千草はテレビ大賞主演女優賞を受賞。また、この作品でデビューした国広富之はゴールデン・アロー賞放送新人賞等を受賞した。
当時の平均視聴率は14.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)とそれほどでもなかったが、その後評価が高まり、テレビドラマ史に残る名作という評価が定着している。山田は「脚本家を志す学生から『早春スケッチブック』と並んでこの作品が最も質問を受ける」と著書で語っている。
このドラマは、前述のように実際に東京都狛江市で起こった水害を題材に、平凡な中流家庭の崩壊を描いた作品である。それまでの「家族で食卓を囲んで最後はハッピーエンド」というホームドラマの殻を打ち破り、辛口ホームドラマというジャンルを確立した点で、革命的な作品であり、日本のテレビドラマ界に与えた衝撃は大きかった。
それまでの予定調和のホームドラマの世界においては挑戦作であったが、山田自身は1975年3月30日に放送された日曜劇場「秘密」(HBC制作、出演:中村玉緒・三浦友和、演出:甫喜本宏、プロデューサー:守分寿男)にて「不倫」を取り上げていた。一見平和そうな家庭の裏に隠された妻の孤独を描いたものである。「岸辺のアルバム」はこの「秘密」が原型といっても過言ではない。
そのストーリーと共に特筆すべきは、オープニングの映像である。平穏に見える川がある日突然濁流に変わり平凡な家庭を飲み込んでいくという、この作品のテーマを見事に象徴している。特にジャニス・イアンの甘く気だるい歌声と、マイホームが濁流に飲み込まれていく実際のニュース映像が鮮烈に印象に残る。このオープニングの趣向は、堀川敦厚プロデューサーのアイディアによる。
『岸辺のアルバム』というタイトルも含蓄がある。途中の回で、それぞれに秘密を抱える主人公の家族が偽りの笑顔をつくって多摩川の岸辺で家族写真を撮るシーンがあり、アルバムは偽りの家族平和の象徴である。夫の秘密は東南アジアから風俗業の女性を「輸入」していること、妻のそれは不倫、姉のは白人留学生にレイプされたこと、弟のは建売りの自宅の手付けを先に打ったのに流してしまった家の娘とつきあっていることだ。最終回で家を失う家族が必死で持ち出したものはアルバムであることから『岸辺のアルバム』は家族写真が大事だと訴えていると評されたこともあったが、脚本の山田はそのような見方を否定している。
当初、主演の田島則子役には岸恵子を予定していたが、プロデューサー堀川敦厚の反対により八千草薫が起用された。また北川徹と堀先生の配役は、当初は逆(津川雅彦が北川、竹脇が堀)であった。
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