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第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会


第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会


第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会(だい83かい てんのうはいぜんにほんサッカーせんしゅけんたいかい)は、2003年(平成15年)11月30日から2004年(平成16年)1月1日まで開催された天皇杯全日本サッカー選手権大会である。

この大会はジュビロ磐田が前身のヤマハ発動機時代以来、21年ぶり2度目の優勝を果たした。

概要

  • この大会では、市立船橋高校が3回戦まで勝ち進み、当時のJリーグ ディビジョン1王者である横浜F・マリノス相手にPK戦までもつれ込む大健闘を見せた(詳細後述)。
  • なお、2種(全日本ユース)王者優勝者への出場権はこの大会が最後となった。

スケジュール

出場チーム

J1リーグ

J2リーグ

JFL

  • 大塚製薬(15回目)
  • Honda FC(28回目)

大学

  • 駒澤大学(10回目)
  • 阪南大学(8回目)

2種

  • 市立船橋高校(2回目)

都道府県代表

試合

1回戦


2回戦


3回戦


横浜F・マリノス対市立船橋高校

J1勢が登場する3回戦の中で最も注目を集めたのが、この年のJ1王者・横浜F・マリノスと高円宮杯全日本ユース(U-18)優勝で出場資格を得た市立船橋高校の対戦であった。高円宮杯王者とは言え、ユース(高校生)チームが社会人クラブ(ザスパ草津)と大学生(阪南大学)相手に勝ち抜いての3回戦進出だけでも快挙と言えた が、さすがにJ1の壁は厚いと予想され、実際試合の立ち上がりで横浜FMに2点を奪われ、一方的な展開となると思われた。

だが、横浜FMの拙攻にも助けられたものの市立船橋はさらなる失点を許さず、逆にカウンターで横浜FMゴール前まで迫るシーンを作り出した。すると69分、フリーキックを得た市立船橋はMF鈴木修人のキックを横浜FMのGK下川健一がキャッチし損なったところに詰めたDF増嶋竜也が蹴り込んで1点を返し、さらには試合終了間際、FWカレン・ロバートのドリブル突破からラストパスを受けたFW田中恒太がゴールを決め同点に追いつく。ところが後半終了間際、市立船橋のDF増嶋がこの日2枚目のイエローカードを受け退場処分となった。

試合は延長戦に突入するが、1人少なくなった市立船橋はVゴール方式の延長戦でも必死のディフェンスで横浜FMの得点を許さず、ついにPK戦にまで持ち込む。PK戦では2本を止められた市立船橋に対し、4人がきっちり決めた横浜FMが勝ち進んだものの、J1のチャンピオンチームを後1歩まで追い込んだ市立船橋の選手達は大いに称賛された。なお、この時出場した市立船橋高校のメンバーのうち、7人までが後にJリーガーとなっている。

この試合は当時NHK BS1で生中継されたほか、J SPORTSが2020年に放送したリバイバル番組『天皇杯 JFA 全日本選手権クラシックス』の第1回放送で取り上げ、この試合に出場した波戸康広とカレン・ロバートが解説を行って放送された。



Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会 by Wikipedia (Historical)