千日前線(せんにちまえせん)は、大阪府大阪市福島区の野田阪神駅から同市生野区の南巽駅までを結ぶ大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の路線。正式名称は高速電気軌道第5号線と称し、『鉄道要覧』では5号線(千日前線)と記載されている。駅番号を表す際に用いられる路線記号は「S」。
ラインカラーは、難波新地や千日前のネオンサインをイメージした紅梅色(ピンク、チェリーローズ )である。
大阪市中心部では新なにわ筋と、大阪ミナミの繁華街を横断する千日前通の地下を走る。全線のうちの半分近くに当たる桜川駅 - 鶴橋駅間で阪神なんば線、および近鉄難波線・大阪線と並行している。他の地下路線との交差部分は、長堀鶴見緑地線と交差する西長堀駅や阪神なんば線・近鉄難波線が並行する桜川駅 - 谷町九丁目駅間では千日前線が上、このほかは千日前線が下を通っている。また、長堀鶴見緑地線と同じく、ニュートラム南港ポートタウン線を除く、Osaka Metroのすべての地下鉄路線との乗り換えが可能である。
Osaka Metroの8路線の中では利用客数は6番目(2013年度の1日平均利用者数は18万1,238人)で、列車は4両編成で運行されている。ホーム有効長は全駅8両編成分あるが、列車の停車しない部分には固定柵が設置され、他線への乗り換え通路や出口への通路として使用されない部分は閉鎖されている。駅によっては資材置き場となっており、その部分は照明も薄暗くなっている。
日本の鉄道で東海道新幹線、名古屋市営地下鉄名城線に次いで3番目に車内信号式が導入された路線である。
Osaka Metroでは初めて、全駅にLCDの発車標が設置された。その後、LCD案内板は今里筋線や中央線にも導入されている。
2014年(平成26年)2月15日からワンマン運転に向けた自動列車運転装置 (ATO) の使用を開始するとともに、年内に全駅で可動式ホーム柵(ホームドア)が導入され、2015年(平成27年)1月13日からワンマン運転を開始した。
当路線では、過去に自動列車運転装置(ATO)を使用した自動運転の実用化試験が5年間にわたり実施されていた。一般的な車上パターン方式ATOに加えて、1971年(昭和46年)から2年間実施された地上ATO装置から走行する個々の列車へ力行・惰行・ブレーキ操作など制御指令を送信して列車を制御する地上式ATOは、日本国内では初めての全地上式の列車制御システムであった。ただし、一連の実用化試験(営業運転)は1974年(昭和49年)7月31日に終了、8月6日をもって自動運転に関するプロジェクト自体が打ち切られた。
運賃計算には、阿波座駅 - 谷町九丁目駅間のキロ数が他線経由と同じになるよう調整された営業キロに対応する区数を用いる。
野田阪神駅 - 南巽駅間の運転を基本としており、平日朝ラッシュ時は約4分間隔、平日夕ラッシュ時は約5分間隔、平日日中と土休日のほぼ終日は7分30秒間隔(1時間あたり8本)、早朝・深夜は10分間隔で運転される。このほかに出庫を兼ねて今里発と阿波座発の列車が朝夕に数本運行されている。
野田阪神駅では基本的に1番線を使用しているが、朝夕に数本設定されている同駅2番線に到着する列車にはホームの設備上の問題から注意喚起の案内がされる。詳細は「野田阪神駅#駅構造」を参照。
なお、2009年度まではなにわ淀川花火大会開催日に野田阪神発今里行きの臨時列車が数本設定されていた。2013年3月23日のダイヤ改正で設定された野田阪神発今里行き終電はそれを定期化したものである。この列車は2014年8月30日のダイヤ改正で南巽行きに変更され、今里行きの定期列車は消滅した。
かつては阿波座駅に乗務員の詰所である阿波座乗務所があったため、乗務員は阿波座駅下り1番線ホームで交代していたが、施設老朽化のため、2015年3月21日の終電で阿波座乗務所を閉鎖し、翌3月22日から乗務所を今里駅付近の旧大阪市営バス東成営業所事務所に移転し今里乗務所を開設した。以後は千日前線の乗務員交代は今里駅1番線下りホームで行われるが、数本のみ今里駅2番線上りホームで交代する。
千日前線専用の初の新製車両は現在使われている25系で、同線では初の冷房化装置付きの車両である。同系導入までは他線で使用された車両が転用されていた。一方、保安面では車内信号式のCS-ATCを大阪市営地下鉄で初めて導入している。
線内に車両検査の施設(阿波座駅側線)はあるが、車両は全て中央線森ノ宮駅付近の森之宮検車場の所属となっている。同検車場から入出庫する際は回送列車として阿波座駅構内にある両線を結ぶ連絡線を介して中央線阿波座駅 - 森ノ宮駅間を走行する。森之宮検車場が車両基地となっているが、車両の約3分の2は線内の駅または留置線で夜間滞泊を行っている。かつては今里車庫があったが、2011年に廃止された。2016年までは工場機能があった森之宮検車場(森之宮車両工場)で車両の検査などを行っていたが、施設老朽化のため工場機能が四つ橋線北加賀屋駅付近の緑木検車場(緑木車両工場)に一元化された。そのため、車両の検査などの際は本町駅付近の中央線と四つ橋線との間に新設された連絡線を介して四つ橋線を走行して緑木検車場へ回送される。
ワンマン運転開始後の2015年10月19日には、25系各編成のVVVFステッカー下にワンマンステッカーが貼付された。また、車両の外側に設置されていた転落防止幌が可動式ホーム柵の設置により不要になったため、取り外された。
1948年に、それまで計画としてあった東西線案(4号線)から分離し、東西方向における幹線級路線として神崎川 - 平野間の路線が計画された。
また、泉北ニュータウンへのアクセス路線としても検討されていたことがあった。
※上記のキロ数は実キロ
南巽駅から近鉄大阪線弥刀駅方面への延伸計画がある。1989年の運輸政策審議会第10号答申で今後整備検討すべき路線として示され、同年に大阪市の「交通事業の設置等に関する条例」で計画路線として定められている。しかし、大阪市および大阪市交通局の厳しい財政事情を背景に交通局の民営化や上場も含めた経営改善計画が検討されているため、今里筋線の南半分など他の計画路線と同様に建設計画は凍結されている。なお、下記答申に出てくる神崎川 - 野田阪神間については、1997年3月にJR東西線(加島駅 - 海老江駅間)が開通した。
区間は構想・答申・計画が出された時点において未完のものを示す。
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