金沢区(かなざわく)は、横浜市の18行政区の一つ。
「金沢」はかつては「かねさわ」と読まれていたが、近世以降加賀藩の「かなざわ」が著名になったことから、読みが移り変わったとされている。
概要
三浦半島の東側に位置し、横浜市唯一の自然海浜である野島海岸と、市内最高峰の大丸山を有する。区を流れる河川には、二級河川の侍従川や宮川を始め、富岡川や六浦川などがある。
行政の中心・泥亀は、湯島聖堂の儒官であった永島祐伯(号を泥亀)が新田開発を行ったことに由来する。区庁舎周辺は泥亀公園とともに「泥亀公園及び金沢区庁舎外構整備事業」で、平成3年度国土交通省手づくり郷土賞(施設部門)受賞。
横浜市の最南端に位置し、横須賀市、逗子市、鎌倉市、磯子区、栄区に接する。海岸線を埋め立てた金沢工業地帯と同時に造成された砂浜「海の公園」をはじめ、横浜・八景島シーパラダイスや横浜ベイサイドマリーナなど、マリンスポーツを楽しむことのできる複合施設も最近は賑わっている。
歴史
古くは武蔵国倉城郡(後の久良岐郡)六浦荘という荘園が設置され、国衙(こくが)や郡衙の支配を受けない私有地だった。六浦・金沢(かねさわ)・釜利谷・富岡の4郷から成っていた。(金沢文庫#読み方も参照)。鎌倉時代には幕府隣接の港町・六浦湊として栄え、兼好法師が庵を結んだという伝承のある現在の上行寺東遺跡や、北条氏による称名寺及び金沢文庫、鎌倉市との境に残る朝夷奈切通し(国の史跡)などが造られた。古来、砂鉄を産し、これが「かねさわ」の語源といわれる。
鎌倉時代初期釜利谷の領主・畠山重忠は、本拠の埼玉・秩父地方から職人を移住させ、武具などを製作させた。また、南北朝時代、瀬ヶ崎には奥州管領・大崎詮持の居館があった。永享の乱では合戦場となっている。
江戸時代に入ると、1722年に米倉忠仰が下野国皆川から陣屋を金沢に移し、六浦藩が成立する(横浜市域では唯一の大名)。米倉氏は甲斐源氏武田氏支流であったが武田氏滅亡後、徳川家康を頼り、綱吉の時代、同じ武川衆の家系であった柳沢吉保との縁戚関係から諸侯に列した。現在は陣屋跡に当主一家が住まう。また江戸時代には景色の美しさから観光地となり金沢八景と呼ばれた。
富岡海岸では明治初期に外国人が海水浴を始め、明治10年代になると井上馨、三条実美、松方正義、大鳥圭介ら中央政界の要人が訪れるようになり、やがてこれら要人たちの別荘が建てられた。
- 534年 武蔵国造の乱後に屯倉が置かれた武蔵国倉樔(くらす)が、久良岐郡であるとする説が有力
- 768年 橘樹郡の飛鳥部吉志五百国が「久良郡」で獲った白雉を献上し従八位下を授けられる。(続日本紀による)
- 931年 雷神社の建立。
- 1180年 源頼朝、瀬戸(現・金沢区瀬戸)に伊豆三島明神を勧進(瀬戸神社の起源)
- 1219年 運慶により瀬戸神社へ抜頭面が奉納された。
- 1224年 鎌倉幕府による四角四境の鬼気祭。(四境:東=六浦、南=小坪、西=稲村、北=山内)
- 1241年 北条氏により鎌倉と六浦湊を結ぶ朝比奈切通し(六浦路)が完成。
- 1246年 北条実時が金沢別邸内に持仏堂(阿弥陀堂)建立。称名寺の前身。(他に1258年建立など諸説あり)
- 1254年 日蓮の船中問答により、上行寺が真言宗・金勝寺から改宗改名。
- 1269年 六浦湊最初となる唐船が到着。
- 1275年 北条実時が政務を引退し金沢の別邸に隠棲した。金沢文庫創設時期と考えられている。(武家の文庫。吾妻鏡原文の保存や編纂など。現在は中世の歴史博物館)
- 1305年 北条貞顕が嘉元3年ごろ竣工させた瀬戸橋により内海に隔てられた六浦と金沢が陸路でつながる
- 1352年 足利尊氏により金沢郷塩垂場(塩田)が称名寺へ寄進された。
- 1382年 野島山に比丘尼了意が染王寺の起源である小庵を結ぶ。
- 1438年 足利持氏が称名寺で出家。
- 1472年 手子神社創建。伊丹左橋亮による。
- 1726年 六浦藩の成立。
- 1726年 「小石川養生所」初代運営責任者小川笙船(赤ひげ先生)、瀬ケ崎村(現・金沢区六浦東)に隠居
- 1803年 能見堂に「金沢八景根元地」の碑建立(江戸の町人135名による)。
- 1826年 将軍家に鯛2000匹を献上。洲崎村網元(鈴木吉兵衛)。
- 1836年 浮世絵・金沢八景(歌川広重)が完成。
- 1849年 永島忠篤により泥亀新田が完成。
- 1853年 ペリー黒船騒動。小柴沖(American-Anchorage)に停泊。「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」と狂歌に詠まれる。
- 1854年 黒船再来。3か月間小柴沖に碇泊。ワシントン記念日の祝砲100発以上が黒船から轟く。
- 1858年 日米修好通商条約の調印。神奈川・小柴沖(八景島沖約1km)に停泊中のポーハタン号にて。
- 1865年 小泉又次郎、大道に生誕。金沢藩藩校「明允館」開校。
- 1867年 洲崎村・野島浦・泥亀新田村・町屋村・柴村の五ヵ村,幕府直轄領に戻る。
- 1871年 六浦藩・8代藩主米倉昌言、六浦県知事となる。明治政府の廃藩置県による。
- 1873年 三分学舎(現・六浦小学校)、赤井学舎(現・釜利谷小学校)、知足学舎(現・金沢小学校)、富岡学舎(現・富岡小学校)がひらかれる。
- 1881年 日本の海水浴場の魁・富岡海岸(富岡八幡公園周辺)にヘボン博士来訪。「海水浴場神奈川縣廰」の標識が建つ。
- 1887年 大日本帝国憲法の草案。伊藤博文らが金沢八景「東屋旅館」にて。作業途中、草案入り鞄を盗まれた話が有名。
- 1889年 金沢村が成立。久良岐郡町屋村・谷津村・洲崎村・柴村・野島村・泥亀新田・富岡村の町村制施行に伴う合併で。
- 1889年 六浦荘村が成立。釜利谷村・三分村及び泥亀新田飛地の町村制施行に伴う合併で。
- 1897年 六浦荘村が鎌倉郡鎌倉町大字峠を編入。(現:朝比奈町の全域、東朝比奈二 - 三丁目の各一部。なお、鎌倉町は鎌倉市の母体の一つ。)
- 1899年 野口英世、入港した船員からペスト患者を発見診断し、国内への蔓延を水際で阻止。
- 1925年1月 久良岐郡金沢村が町制を施行して金沢町となる。
- 1930年 湘南電車(湘南電気鉄道/のちに京浜急行に合併)が誕生し金沢文庫駅、金沢八景駅が設置された。
- 1936年10月 久良岐郡の消滅。久良岐郡金沢町・六浦荘村が横浜市に編入。磯子区の一部となる。
- 1941年4月 海軍航空技術廠支廠が開設された。
- 1946年6月 東急興業横浜製作所(後の東急車輛製造、現・総合車両製作所横浜事業所)操業開始。(旧海軍航空技術廠跡地)
- 1948年5月 金沢区が磯子区より独立。
- 1959年11月 東洋化工爆発事故発生。
- 1960年 直木三十五旧邸門前文学碑建立。大仏次郎らにより。
- 1966年3月 平潟湾埋め立て完成、柳町が編入。
- 1966年 称名寺蔵(金沢文庫保管)の金沢北条氏歴代肖像画(北条実時画像など4点)が国宝に指定される。
- 1971年4月 金沢区総合庁舎竣工、昭和町・鳥浜町が編入。
- 1973年 横浜市中央卸売市場として南部市場が開場。
- 1975年3月 在日米軍富岡倉庫地区跡に富岡総合公園開園。
- 1977年1月 海面埋め立てにより、並木一〜三丁目、幸浦一・二丁目が編入。
- 1980年12月 海面埋め立てにより、福浦一〜三丁目が編入。
- 1981年10月 在日米軍小柴貯油施設爆発事故発生。
- 1987年11月 海の公園、八景島が編入。
- 1988年7月2日 「海の公園海水浴場」がオープン。
- 1989年3月 金沢動物園正式オープン。
- 1989年7月 金沢シーサイドライン開通。
- 1994年2月 横浜金沢ハイテクセンターオープン。
- 1998年 横浜高校・甲子園大会春夏連覇。関東学院大学・ラグビー選手権大会連覇
- 2000年2月 長浜道路開通。
- 2001年10月 首都高湾岸線全線開通。
- 2006年1月25日 日本最大の風力発電装置(風車)が三菱重工業横浜製作所金沢工場内に完成(高さ116m、発電能力2,400kW)。
- 2009年6月1日東京入国管理局横浜支局が中区より移転
人口
金沢区は1948年、磯子区から分区した当時はわずか人口5万人程度だった。その後60年代から始まった埋め立てなどの宅地造成により人口は増加し、1991年に初めて20万人を突破した。その後、21万人を前後していたが2007年をピークに人口減少に転じ、2018年2月に27年ぶりに20万人を割った。
- 1950年 56,040
- 1955年 63,974
- 1960年 71,446
- 1965年 86,251
- 1970年 108,693
- 1975年 135,349
- 1980年 154,687
- 1985年 176,055
- 1990年 197,753
- 1995年 203,979
- 2000年 205,439
- 2005年 210,658
- 2010年 209,274
- 2015年 202,229
将来展望
横浜市が2018年3月27日に発表した市内区別の将来人口推計(2015年〜2065年)によると、金沢区人口は2065年に11万3千人(8万9千人減)になると推計された。減少率は約44%で市内トップであり今後も人口減少に歯止めがかからない見通しだ。
市の推計によると、5年間隔で約1万人ずつ減り続け、40年には15万5千人、65年には11万3千人になる見通し。15年から65年の減少率は約44%(市全体は約19%)。
内容を見ると死亡数と出生数による「自然増減」と転入・転出による「社会増減」の両方で減。特に自然減が顕著で、15年は前年比459人減だったが、35年は同1630人減と減少幅が拡大している。また、高齢化率は40年に40%に達し、5人に2人は65歳以上に。同年に40%と推計されたのは、市内で金沢区のみ。
町名
金沢区内では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
行政
- 区長
- 橘川 和夫 ( - 2005年3月31日)
- 横松 進一郎(2005年4月1日 - 2008年3月31日)
- 石井 洋一 (2008年4月1日 - 2010年3月31日)
- 橋本 康正 (2010年4月1日 - 2012年3月31日)
- 林 琢己 (2012年4月1日 - 2015年3月31日)
- 國原 章弘 (2015年4月1日 - 2020年3月31日)
- 永井 京子 (2020年4月1日 - )
政治
- 横浜市議会金沢区選挙区(定数5)
- 神奈川県議会金沢区選挙区(定数2)
公共施設
- 港湾
- 漁港
- スポーツ
- リネツ金沢(プール)
- 金沢スポーツセンター(屋内競技場)
- その他
- 金沢公会堂
- 金沢図書館
- 神奈川県警察第一機動隊
- 神奈川県警察音楽センター
教育
大学
高等学校
- 公立
- 私立
中学校
- 公立
- 私立
義務教育学校
- 公立
小学校
- 公立
- 私立
特別支援学校
幼稚園
交通
鉄道
- 京浜急行電鉄(京急)
- 本線
- - 京急富岡駅 - 能見台駅 - 金沢文庫駅 - 金沢八景駅 -
- 逗子線
- 横浜シーサイドライン
- 金沢シーサイドライン
- - 南部市場駅 - 鳥浜駅 - 並木北駅 - 並木中央駅 - 幸浦駅 - 産業振興センター駅 - 福浦駅 - 市大医学部駅 - 八景島駅 - 海の公園柴口駅 - 海の公園南口駅 - 野島公園駅 - 金沢八景駅
路線バス
- 京浜急行バス
- 横浜市交通局・横浜交通開発
- 神奈川中央交通
- 大新東
道路
- 高速道路
- 横浜横須賀道路
- 本線: - 釜利谷JCT - 朝比奈IC -
- 金沢支線:釜利谷JCT - 金沢自然公園連絡路 - 堀口能見台IC - 並木IC
- 首都高速湾岸線: - 幸浦出入口 - 並木IC
- 国道
- 県道
- 神奈川県道23号原宿六ツ浦線(環状4号線)
- 神奈川県道204号金沢鎌倉線
- 神奈川県道205号金沢逗子線
商業
大手スーパーマーケット
- アピタ金沢文庫店
- 西友能見台店
- イオン金沢シーサイド店(ビアレ横浜)
- イオン金沢八景店(旧プランタン→ダイエー)
- ハードオフ金沢富岡店
- イトーヨーカドー能見台店
- ヨークマート六浦店
- けいきゅう能見台店(京急ショッピングプラザ能見台)
- 京急ストア富岡店
- 京急ストア金沢八景店
- OKストア金沢文庫店
- OKストア金沢シーサイド店
- そうてつローゼン釜利谷店・並木店
- コストコホールセール金沢シーサイド倉庫店
金融
銀行
- 三井住友銀行 - 金沢文庫支店、金沢八景支店
- みずほ銀行 - 金沢文庫支店
- 三菱UFJ銀行 - 金沢文庫支店
- りそな銀行 - 上大岡支店金沢文庫出張所(有人店舗)
- 横浜銀行 - 金沢産業センター支店、金沢支店、金沢文庫支店、能見台駅前支店
- 神奈川銀行 - 富岡支店
信用金庫
- かながわ信用金庫 - 金沢文庫支店、並木支店
- 湘南信用金庫 - 能見台支店
- 横浜信用金庫 - 富岡支店、金沢支店、六浦支店、福浦支店
JAバンク
その他
区内に支店を置く信用組合はない(信用組合横浜華銀などは営業区域内である)。また、JFマリンバンク神奈川本所(神奈川県信用漁業協同組合本所)が置かれていたが、廃業した。
住宅団地
- UR 金沢シーサイドタウン
- UR 六浦団地(六浦町)
- 市営住宅 金沢
- 市営住宅 金沢第二
- 市営住宅 富岡西ハイツ
- 市営住宅 金沢柴町
- 市営住宅 ラマージュ
- 市営住宅 釜利谷東ハイツ
- 県営大道団地(大道1-30外)
- 県営釜利谷団地(釜利谷南2丁目)
- 県営谷津坂団地(西柴1-24-1外)
- 県営朝比奈団地(東朝比奈3-2-12外)
- 県営六浦団地(六浦東1-6-1外)
- 県営平潟団地(平潟町)
名所・旧跡・観光スポット
社寺
ゆかりのある有名人
脚注
関連文献
- 斎藤長秋 編「巻之二 天璇之部 瀬戸橋」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店、1927年、640-646頁。NDLJP:1174130/326。
外部リンク
- 金沢区公式サイト
- 横浜市金沢区役所 (@yokohama_KNZW) - X(旧Twitter)
- ウィキトラベルには、金沢区に関する旅行ガイドがあります。
- 金沢区に関連する地理データ - オープンストリートマップ
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