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伊勢ヶ濱一門


伊勢ヶ濱一門


伊勢ヶ濱一門(いせがはまいちもん)は大相撲の一門のひとつ。

歴史

もともとは縁の違う一門、独立した部屋の集合体で、一門名もしばしば変わっている。また、「角清会」という親睦団体がある。一門の祖である4代立浪が「打倒出羽海」を掲げていたことから、出羽海一門から見れば反主流派扱いであり、現在の5一門で唯一、理事長を出したことがなく、協会のナンバー2である事業部長も5一門で唯一出したことがない。

大正時代に春日山部屋所属だった元小結・緑嶌が現役を引退して年寄・4代立浪を襲名し、それと同時に春日山部屋から分家独立して立浪部屋を創設したことに始まる。

この一門は長らく立浪系の他に、楯山部屋出身の5代伊勢ヶ濱(元関脇・清瀬川)を祖とする伊勢ヶ濱系、若松部屋出身の8代高嶋(元前頭・八甲山)を祖とする高島系、大坂相撲の名門で後に東京相撲に合流した朝日山系の4系統からなっていたが、2011年1月に伊勢ヶ濱系最後の部屋であった桐山部屋が朝日山系の朝日山部屋に吸収される形で消滅、2015年2月には朝日山部屋も立浪系の新・伊勢ヶ濱部屋に吸収され消滅したため一時2系統となったが、2016年6月に二所ノ関一門で再興された朝日山部屋が2017年1月に伊勢ヶ濱一門に復帰したことで3系統に戻っている。

伊勢ヶ濱系統の1つであった朝日山部屋は本来、大坂相撲の系譜であり、大島部屋は今の二所ノ関一門の元祖とも解釈できるが、高島部屋、友綱部屋と名前を交換するなどして現在に至っている。追手風部屋も本来は立浪部屋の分家筋であるが、師弟間の問題もあり一度友綱部屋に移ってから分家独立しており、高島部屋から分家した宮城野部屋は出羽海一門の北の湖部屋の出身力士が一時期継承するなど、関係は複雑である。

この一門は長く「立浪・伊勢ヶ濱連合」の名(角界内では組合と呼ぶ)で親しまれてきたが、2007年2月に伊勢ヶ濱一門の本家である旧・伊勢ヶ濱部屋が閉鎖されたことに伴い、「立浪一門」へと改称された。2012年1月に行われた日本相撲協会理事選の後、「立浪一門」という名称の元となっていた立浪部屋の師匠を務める7代立浪が一門から離脱して貴乃花グループ(その後貴乃花一門となり現在は消滅)へ移る意向を示したため、同年5月14日に一門で会合を開き、7代立浪の一門からの移籍を認めると共に、一門の名称を「春日山・伊勢ヶ濱組合」へと変更することを決定し、同年5月24日に「春日山・伊勢ヶ濱連合」への変更が承認された。さらに同年11月19日に再び一門で会合を開き、一門の名称を「伊勢ヶ濱一門」へ再改称した。

2016年12月22日に追手風部屋が時津風一門に移籍する一方で、2017年1月12日、朝日山親方が二所ノ関一門会で伊勢ヶ濱一門への移籍を表明して了承され、朝日山部屋は二所ノ関一門から伊勢ヶ濱一門へと移った。

2024年3月28日、宮城野部屋師匠の13代宮城野(元横綱・白鵬)について、元幕内北青鵬による暴力問題に関連して「師匠、親方の指導教育」を要するとして、同年4月から無期限で宮城野部屋を伊勢ヶ濱一門預かりとし、13代宮城野ら宮城野部屋の関係者全員は伊勢ヶ濱部屋へ転籍することになった。13代宮城野への指導は、伊勢ヶ濱一門選出理事の15代浅香山(元大関・魁皇)と、伊勢ヶ濱部屋師匠の9代伊勢ヶ濱(元横綱・旭富士)が中心となり、一門として行うこととし、日本相撲協会執行部は15代浅香山と9代伊勢ヶ濱から本場所ごとに報告を受けることになった。

2007年の白鵬以降、日馬富士、照ノ富士と3人のモンゴル出身横綱を輩出している。

一門所属年寄一覧

2024年4月1日時点

系譜

追手風部屋は前述の通り立浪系の系統にあるが、独立に際して現在の追手風部屋の師匠である11代追手風(元幕内・大翔山)は一度は立浪部屋から高島系の友綱部屋へ移籍している。また、現・伊勢ヶ濱部屋の前身にあたる安治川部屋は、宮城野部屋出身者が独立した部屋であり当初は高島系に属していたが、後に立浪系の大島部屋出身者が継承している。また、高島系の代表であった高島部屋は2011年6月に力士不在となり消滅したが、残された親方らは立浪系の春日山部屋へ移籍している。立浪系であった武隈部屋は力士不在となり消滅した後、残された親方らが高島系の友綱部屋へ移籍している。伊勢ヶ濱系の最後の部屋となる桐山部屋は朝日山系の朝日山部屋へ吸収された。その朝日山系唯一の部屋であった朝日山部屋も2015年2月1日に伊勢ヶ濱部屋に吸収された。最後の師匠であった18代朝日山(元大関・大受)は、現役時代は高島系の高島部屋に属し、現役引退後は伊勢ヶ濱系の旧・伊勢ヶ濱部屋へ移り、その後に朝日山系の朝日山部屋を継承したため、現在までに3系統に属したことになる。このように、系統間の結束は現在ではほとんど消滅した形となっている。

旧伊勢ヶ濱一門

1930年代、清瀬川敬之助が興した伊勢ヶ濱部屋に、本家筋の熊ヶ谷部屋、大坂相撲から東京に合流した朝日山部屋が加わり一門を形成した。戦後は立浪一門と連合を結成し、立浪・伊勢ヶ濱連合を称していたが、2007年1月場所限りで旧・伊勢ヶ濱部屋が消滅した事により立浪一門に改称、伊勢ヶ濱一門は消滅した。消滅の事情については旧・伊勢ヶ濱部屋の実質上最後の師匠である清國勝雄の項も参照のこと。

旧伊勢ヶ濱一門系の相撲部屋は、2015年1月の朝日山部屋の閉鎖により、すべて消滅した。現在の「伊勢ヶ濱一門」は立浪一門が立浪部屋の離脱により名称を変更したもので、旧伊勢ヶ濱一門との直接の関係はない。また、現存の伊勢ヶ濱部屋・木瀬部屋との師弟関係も存在しない。ただし、旧立浪一門は旧伊勢ヶ濱一門と前述の通り連合(組合)を組織していた他、安治川部屋から現伊勢ヶ濱部屋の名称変更は旧伊勢ヶ濱部屋の元師匠の清國の指名により行われ、現伊勢ヶ濱部屋には旧伊勢ヶ濱部屋の力士であった大一心が桐山部屋、朝日山部屋への移籍を経て所属していた(2019年1月場所で引退)など、両一門での人的な関係は強かった。

所属部屋

  • 伊勢ヶ濱部屋(1950年代には荒磯部屋を名乗る。2007年に消滅・桐山部屋に吸収)
  • 浦風部屋(1950年代から60年代にかけて存続、荒磯からの分家、消滅、本家に吸収)
  • 木瀬部屋(伊勢ヶ濱からの分家。2000年に消滅・桐山部屋に吸収)
  • 桐山部屋(親方は伊勢ヶ濱部屋所属だったが、部屋の力士たちは大鳴戸からの継承。2011年に消滅・朝日山部屋に吸収)
  • 朝日山部屋(2015年に消滅・現伊勢ヶ濱部屋に吸収)
  • 大鳴戸部屋(1970年代に朝日山からの分家。1995年に消滅・桐山部屋に吸収)
  • 熊ヶ谷部屋(伊勢ヶ濱部屋の創設者清瀬川敬之助の所属していた部屋。1950年代に消滅、荒磯部屋に吸収)

脚注

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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 伊勢ヶ濱一門 by Wikipedia (Historical)


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