東上野(ひがしうえの)は、東京都台東区の町名。現行行政地名は東上野一丁目から東上野六丁目。郵便番号は110-0015。
台東区の地理的中央部に位置する。一丁目から五丁目は下谷地域、六丁目は浅草地域に属する。東上野一丁目から東上野三丁目までと東上野五丁目は清洲橋通りに接し、東上野六丁目は清洲橋通りと左衛門橋通りに接している。これらを境に松が谷、元浅草に接している。南部は春日通りに接し、これを境に台東に接する。西部は昭和通りに接し、これを境に上野に接する。北部はかっぱ橋本通りに接し、これを境に北上野に接する。
町域内は台東区役所などの行政施設を多く抱え、住宅地と商業地とが混在している。西部の昭和通り沿いは上野駅や御徒町駅に近く、上野繁華街の一角に当たる。また昭和通りの東側付近には焼肉やキムチなどを扱う朝鮮料理・食材店などが軒を連ねている一角があり「キムチ横丁」などの愛称で呼ばれているコリア・タウンが形成されている。 また、二丁目にはパチンコ関連企業が集まり、オフィスやショールームが並ぶ「パチンコ村」が形成されている。
町域内を南北に縦貫する清洲橋通りの東西の境が、台東区の前身である旧下谷区と旧浅草区の区境に当たり、現在でも警察署、消防署、税務署等の管轄境界として残る。
東上野は芝新網町、四谷鮫河橋と並ぶ江戸時代から続く「三大貧民窟」の一つであり、明和5年(1768年)から乞胸頭(ごうむねがしら、大道芸を業とする被差別民「乞胸」の頭)山本仁太夫とその配下が居住していた。仁太夫は1843年に浅草松葉町(現・台東区松が谷)に移転させられたが、万年町にはその後も非人頭・車善七の配下となる者が多数居住していた。のち、明治2年に万年町と改称されてからも住民は人足・日傭取・人力車夫・屑拾などの貧民が多く、サンカの集住地ともなった。
2020年(令和2年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
町域内には、車坂通りが通っている。また、中央付近を東西に浅草通りが通っている。鉄道駅としては北西部方向の昭和通り下に上野駅への出入口が、東部の浅草通り下に地下鉄銀座線・稲荷町駅が、南西部の昭和通り下には地下鉄日比谷線・仲御徒町駅と都営大江戸線・上野御徒町駅があり、JR線の御徒町駅も至近になる。また町域南東端の春日通り下には都営大江戸線とつくばエクスプレス線の新御徒町駅がある。東京メトロの上野検車区と、日本で唯一の地下鉄線踏切がある。
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