中島 愛(なかじま めぐみ、1989年6月5日 - )は、日本の女性声優、歌手。茨城県水戸市出身。所属はストロボミュージック(音楽活動・マネジメント)、ステイラック(声優活動のみ業務委託)。愛称はまめぐ。
日本人のバンドのアマチュアドラマーの父とフィリピン人の母の間に生まれ、音楽に溢れた家庭環境で育つ。一人っ子である。子供の頃は絵を描いたり、家の中で1人でできることに興味があったと語る。その頃、だいぶやんちゃで、よくケガをしており、4歳ぐらいの頃、母に「仲良くやっていけない」と泣きながら相談したことで、仲良く遊んではいるが、相手の出方が予想外だった時に臨機応変に対応できるタイプではなかったようであり、そこから少しずつ1人で遊ぶことを覚えていったという。1人で音楽を聴いたりする楽しさをのちに発見したが、このことをあの日が分岐点だったという。「将来の夢」は歌手になりたいとは思っておらず、歌うことが特別だとは思っていなく、「暇だからおしゃべりしよう」のような感覚で歌っていたという。1つあったのは、少し好きな男子が「僕はパン屋さんになる」と言っていたため、「じゃあ私はそれを売る」、「パン屋になるの? じゃあそのパン売ってあげる!」のようなといい、特別何かになりたいというのはなく、ぼんやりしていたという。学校いる時は幼稚園の延長線上で基本的には外で遊ぶのが好きな子供であり、仲良しグループでアイドルごっこをしたりもしていたという。教室で腕相撲をして戦うのが好きだったが、ある時期を境に、女子と男子が一緒に遊ぶのはちょっとのような雰囲気はショックであり、「みんな仲間なのに、なんで急に溝ができた?」と理解できなかったという。「子供でいられなくなった」と自覚してから、急に性格が陰に入り、その頃から区切り、節目に敏感になったという。
歌うのは好きだったが、1人の世界に入り込むようになったことで、歌謡曲に熱中していったという。歌うとストレスが発散できるため、母によくカラオケに連れていってもらったという。母は聴いてるだけだったが、「疲れたからお母さんも歌ってよ」とマイクを渡したところ、松田聖子といった歌謡曲の歌を聴かせてくれたという。歌謡曲に熱中したきっかけは母の歌声であり、リアルタイムのヒット曲も追っていたため、自分の中に2つの道ができたようだったという。小学6年生の時までは、「歌が好き、表現者になりたい、でも自分にはまだ……」と考えていた。中学時代は人と上手く接することもしようとも思っておらず、「そういう自分から抜け出したい」という気持ちから中学1年生の時の夏、13歳の時にオーディション雑誌を見て知ったオーディションに応募していたが、落選。中学1年生の冬からレッスンを始めて、その後は毎週末は東京でレッスンをしていたという。しかし「他にもオーディションを受けられるチャンスだ」と思っており、2003年、2度目のオーディションであるスターダストプロモーションへ応募して合格。その間も自分なりに歌の練習を続けていた。その半年間で学校では色々あり、テニス部に所属していたが、土日はレッスンで部活動ができなくなってしまうため、合格する前だったが、秋に退部したという。
東京でのレッスンは週1で、歌と演技のレッスンが1時間半ずつで、最初の頃は土曜日だけだったが、少し経ってからは日曜日にダンスのレッスンも追加してくれた。地方から来た人物のための宿泊施設が事務所にあったため、3、4年間、土日に泊まっていた。
オーディションで行ったことのある場所だったため、両親も「わかるだろう」とレッスンには一度も来ていなかった。中島も、「ついて来なくて大丈夫だ」と言っていたという。
休みの日に友人と遊んだ記憶はほぼなく、勉強面では放課後に塾に通っていたが、授業を聞けばわかることもたくさんあったため、授業だけは聞いていた。土日は帰ってくるのも夜だったことから、できるだけ平日の時間を勉強に使うようにがんばっていたと語る。
歌に関しては、ボーカルの先生のおかげで180度考えが変わり、子供の頃は前述のとおり、一人っ子というのもあり、家で一人で過ごす時間が多かった。それまでは歌を自分のためだけに歌っており、自分自身を癒したり鼓舞したりするための手段だったのかもしれないという。それがレッスンを受けてからは、例え客がひとりでも、「その人に声が届かなかったら何の意味もないんだ」とプロの歌い手としての心構えを学んだ。
演技のレッスンでは、沢山の先輩と一緒に受講することもあり、始めは何をどうしていいのかわからない状況だった。ただし、「恥ずかしい」、「私には無理……など言ってる場合じゃないな」というのは感じたため、自分から出てきたものを演技にぶつけていた。できないのは当たり前、せめてためらう素振りだけは絶対に見せないように気をつけており、率先して質問したりもしていた。
中学1年生の時のオーディションは受かると思っておらず、自分の声にコンプレックスがあり、声に特徴のある歌手の曲を聴くことが多く、比べていた時に、「なんて個性のない、かわい気のない声なんだろう」と思っていた。あまり話すことも好きではなく声で誰かに何かを伝えることに抵抗があった。歌の技術に対する自信もなく、自分が歌を好きなことに対する自信だけしかなかったという。「歌うのも楽しいし、演じるのも楽しいが、やっぱり自分は……」という思いがあり、声が印象的な人物に出会ったところ「どうやったらこういう声になれるんだろう?」と思ったりしていたが、中島の持って生まれた声はこれしかなかったため、「どうやったらこれを活かせるんだろう?」と思えるようになったという。
先生には相談しておらず、あまりにも自信がなく周囲に決定的な何かを言われるのが怖かったのかもしれないという。先生に「いい声だね」と褒めてくれても素直に信じられなく、声の悩みは常に自分の中にひっかかっていたことの一つだった。
小学校の時、「声優さんはどうやったらなれるんだろう?」と思い、好きな漫画のヒロインの声、相手役の男の子の声など、漫画雑誌を最初から最後まで声に出して全部のキャラクターを演じていた。一人アフレコでそのキャラクターごとにイメージしている声があるが、どうやっても自分ではそれに適った声が出せず、「私にはきっと無理だ」と落ち込んでしまった。声に関しては、秘めた悩みではあったが、中学生ぐらいになってからは「いつもどうにかできないかな」と思っていた。
中学3年生の高校受験の時は色々な面で焦っていた。例えば土日に学校で模試があったとしても、終わったらすぐレッスンに行き、「週末がハードだから」と言って平日休んでいるわけにもいけず、夢も学業も両立しなければいけなかった。行きたい高校に目標を設定して「やれるだけのことはやろう」とがんばるしかなかった。志望校に受かった時は、ほっとしていたという。
両親は高校進学の時も事務所の中でも歌の発表会があったり、演技レッスンでは初級から昇級したり、色々ステップアップのきっかけがあった時期だったため、「今は勉強もがんばりつつ、レッスンも続けて通った方がいいよ」と応援してくれたという。
その後、アイドル予備軍として『Harajukuロンチャーズ・夏』に出演。以後、4、5年ぐらい事務所でレッスンを重ねる。
2007年、マクロスシリーズ新作のヒロイン(歌姫)を決める「Victor Vocal&Voice Audition」に応募。約5,000通の応募の中から合格者に選ばれ、同年8月18日に日本青年館で行われたイベント「マクロス25周年記念ライブ」にてファンの前で発表され、劇中歌「VOICES」を歌唱した。
2008年放送の『マクロスF』にてランカ・リー役で声優デビュー。フライングドッグレーベルよりシングル「星間飛行」(ランカ・リー=中島愛名義)と「ライオン」(May'nとの共演)をリリース。オリコン週間チャートではそれぞれ最高5位、3位を記録した。
仕事を始めて少し経った頃、飯が食べられなくなってしまった時期があり、ある日、ちょうどライブとライブの間で休みがあり、そこで少し立ち止まり、振り返っていた時に自分の抱えているプレッシャーの大きさを実感していた。それまでは、自分の意志には絶対的な自信があったが、その時あまりのプレッシャーにその意志が少し揺らいでしまい、それが悲しくなってしまった。人から厳しいことを言われて挫折することはなかったが、忙しくて思ったように動けない自分に対しての不安が積み重なり目標さえ見失ってしまった。そういう自分にがっかりしており一人暮らしを始めたばかりで、家に帰るとひとりで抜け殻のようになってしまい初めて「もうダメかもしれない」と思った。しかし自分を待っていてくれるファン、スタッフがいてくれたことで乗り越えた。それはすごく幸せなことで、「簡単にダメだとか辞めるとか、そんなこと言っていたら自分にも応援してくださる皆さんにも失礼だ」、「そんな後ろ向きなことは跳ね飛ばせるようになろう」と強く思ったという。
2009年のシングル『天使になりたい』より個人名義でのリリースをスタート。この年以降は歌手としての活動も多くなり、同年の第3回声優アワードにて歌唱賞を受賞した。2010年より『たまゆら』シリーズのエンディングテーマを担当。2012年のシングル「TRY UNITE!/Hello!」を機にスウェーデン出身のプロデューサー、ラスマス・フェイバーとのコラボレーションを展開した。
2012年末よりデビュー5周年企画「まめぐ5本の矢」をスタート。2014年には『ハピネスチャージプリキュア!』にて主演・愛乃めぐみ / キュアラブリー役でテレビアニメ初主演。遠い夢だったというプリキュアシリーズへの出演が実現した。
2013年12月、中島愛名義での音楽活動を2014年3月末日をもって無期限活動休止とすることを発表。2014年3月20日にファイナルライブを開催し、MCでは「いつか胸を張って『ただいま』と言えるようになるのが目標です。待っていただく時間をいただきたいと思います」と語った。同年4月末には公式ブログの更新を終了し、その後公式HPとともに閉鎖された。
2014年7月末でスターダストプロモーションを退所し、フリーで活動する。『ハピネスチャージプリキュア!』の放送終了後は、フリー転向前に出演が決まっていた作品の他に、ゲームやCMなどでは過去に担当した持ち役の新録などに参加する程度だった。
2016年12月1日に声優・歌手活動の本格的な再開とe-stone musicへの所属を発表し、新公式サイトおよび公式ファンクラブ「LOVE with YOU」を開設。2017年2月15日に3年ぶりの復帰作『ワタシノセカイ』を発売し、6月4日に単独ライブを開催した。
歌手活動再開後は、少女時代から探求している「80年代アイドル歌謡」への想いを形にする機会が増えている。デビュー10周年となる2018年は関連書籍の出版、歌番組での斉藤由貴との共演が叶い、2019年は自身初プロデュースによるカヴァーミニアルバム「ラブリー・タイム・トラベル」をリリースした。
2022年3月31日付でe-stone musicを退所、翌4月1日より音楽活動とマネジメントはストロボミュージックに所属し、声優活動に関してはステイラックと業務提携する事になっている。
名前の「愛」は「すべての人に愛を与えられる人になってほしい」という願いを込めて命名された。「めぐみ」と読むため、名前をよく「あい」と間違えられる。2009年には2ndシングル「ノスタルジア」がTBSドラマ『大好き!五つ子』の主題歌として使用されたが、OPテロップでは「中島愛」の愛の上の部分に「めぐみ」とフリガナが振られていた。
『ハピネスチャージプリキュア!』で声を演じた役名は「愛乃(あいの)めぐみ」と、「愛」とルビの「めぐみ」が入っていたが、これは偶然である。中島は大森ゆうこ(キュアハニー)役を志望していたが、オーディション当日にめぐみ役も受けさせられ、結果そのままめぐみ役で起用された。
愛称の「まめぐ」は「なかじまめぐみ」より。ファンクラブ会員は「こまめ」という。なお、Megpoidのイメージキャラクターである「GUMI(グミ)」は自身の幼い頃のあだ名から命名した。高校生の頃は、地元の仲間内で「キャサリン」と呼ばれていた。
アメリカのプロレス団体WWEの大ファンであり、特にストーン・コールド・スティーブ・オースチンが大好き。13歳の時に買ったポスターを部屋に飾ってあり、中学時代は制服の下にストーン・コールドの髑髏のネックレスを着用していた。
昭和に活躍した1980年代のアイドルが好きで、当時のレコードや8cm CDを収集している。BOOK OFFやHARD OFFなどの中古リサイクル店を巡り、掘り出し物を探すのが楽しみ。きっかけは小学6年生の頃、自分が生まれた1989年にどんなアイドルが流行っていたのか調べてみて、工藤静香やWinkのサウンドに衝撃を受けたこと。以前にも小学3年生の時にテレビで『恋♥あなた♥し・だ・い!』を歌う岩井小百合を観て惹かれていた。松田聖子やおニャン子クラブの河合その子のファンで、自身も「昭和に生まれておニャン子クラブに入りたかった」という。CDではなく「(アナログ)レコード」を出すことが夢と語っていたが、デビュー10周年ベストアルバムで実現した。自称「クレジットマニア」で、作詞家・作曲家・編曲家といった裏方のプロの仕事を尊敬している。洋楽ではアース・ウィンド・アンド・ファイアーやAORが好み。
アニメ、教育番組、戦隊ものも見ており、曲も好きだった。
その中で最初に一番好きになったのはテレビアニメ『美少女戦士セーラームーン』の曲。
Negiccoとは互いにリスペクトしあう関係で、互いのライブやアルバム制作にゲスト参加している。新潟で行われたNegiccoの10周年単独ライブにはファンとして遠征した。自身の歌手活動再開にあたり、彼女たちのライブを観ることがものすごく原動力になったと語っている。
ももいろクローバーZは、かつて所属していたスターダストプロモーションでの後輩。メジャーデビュー前のももいろクローバー当時、2009年の中島のライブに前座やバックダンサーとして出演していた。2018年12月放送の『坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT』第91夜では中島がゲスト出演し、佐々木彩夏と「星間飛行」をデュエットした。
田所あずさは、地元の高校の後輩。声優に憧れていた頃、卒業生の中島の存在を知り、声優オーディションを受けるきっかけになったという。また、豊田萌絵も茨城県出身で、知人の伝手で中島から励ましのメッセージ入りサイン色紙をもらい、声優を目指す活力になったという。
後に『マクロスΔ』でワルキューレメンバーとなる安野希世乃は、声優養成所時代に『マクロスF』の歌姫オーディションに応募し、中途審査で落選したものの、中島が同年代だったので応援していたと言う。
西脇辰弥は中島のソロ活動初期から作編曲家兼バックバンドのバンマスとして音楽活動をサポートしている。以前は髪が茶髪だったことから、中島は親しみを込めて「チャッピー大先生」と呼んでいる。
13歳でスターダストに所属してから5年間ほとんど仕事がなく、卒業後の進路も考えて事務所にもう辞めますと伝えた時、「最後にこれだけ受けて」と勧められたのが『マクロスF』の新歌姫オーディションで、約5,000名の応募者の中からランカ・リー役に選ばれた。両親は、中島が合格した時、泣いており、友人も母もずっと泣いてた。中島自身も母に報告した時に初めて泣いてしまったという。デビューシングル『星間飛行』発売時には「みかん箱からZeppまで」と題したイベントツアーを行なったが、アニメ本編におけるランカのシンデレラストーリーと並走する形で、半年後には武道館のステージに立った。
アニメのアフレコは一度も見たことがなく、基本的なことから「ハテナ?」だらけで、「台詞は台本を見ながらやるのか、マイクって一人ひとつ?」、「映像は覚えるの?」など色々であった。初めて声優のアフレコ風景を拝見したのが『マクロスF』の主役キャストを決めるオーディション見学の時であったが、その時は声優の「声」の響きに衝撃を受け、その後、11月に初回のアフレコ現場に行き、スタジオに入り、一生懸命に挨拶をしていた。皆の本番を見ていた時に、片手で台本のページをめくり、画面を見つつ台本も見ながら話し、マイクは譲り合い、音をたててはいけないなど見るもの聞くもの全てが新鮮であった。もっと印象的だったのは先輩声優たちの「声」で、心にビシビシ届いてきて、圧倒されて、ただ「すごい……」としか言葉も出なかった。その日その場で感じていたことは台本の余白ページにズラッと箇条書きにし、家に帰ってからそのシーンを反芻していた。その時に「マイクってどうやって入れ替わっていたんだろう」、「あの、画面に出るパッと出てくる文字を『ボールド』と言ってたっけ?」など、知らない単語は全て書きまくっていた。それで、自分で調べられることは調べ、その上で、わからないことだけを後で聞きに行ったりしていた。
アフレコ自体が初めてであり、「そもそもアフレコって何だろう?」と感じで最初は台本のめくりかたもわからず、「私はここにいていいのかしら?」と思っていた。マイクはどれぐらい離れて立てばいいのかもわからず、第1話は、全部、体当たりのアフレコであった。声を出すまでは、音響監督からも特に「ここをこうやりなさい」という具体的なアドバイスではなく、「とにかくやってみて」という感じで、声を出してからは、1シーンごとにすごく細かく指示をしてくれて、音響監督の三間雅文には、感謝してもしきれないぐらいお世話になったという。
『マクロスF』の最初の数話は、皆が吹き込んだ声を聴きながら、単独で収録していた。しかしある日、皆と一緒にアフレコをすることになり、少し弱気になったりもしていた。掛け合いでの収録は1人の時は全然違い、初めて一緒にアフレコしてくれた時は、心臓がバクバクで緊張、緊張といった感じだった。皆がとても温かく迎えてくれており、憧れの先輩ばかりだったため、最初は隅のほうでじっとしていた。その時、遠藤綾、井上喜久子が「肩肘張らずにがんばって」など色々話しかけてくれて、救われたという。
全部が初めてだったため、「不安になっている暇があるんだったら練習しなきゃ!」と思い、1週間ごとにアフレコがあることから台本を覚えて、学校も行き、マイナス思考は一切なかった。初めてのアフレコを終えて、2回目までの1週間、その週と次の週の台本を熟読し、監督から言われていたことは全て自分で消化できるようにしていた。発声もたくさんして、その後は、「このキャラクターって、ご飯は何が好きなんだろう」、「家ではどう過ごすだろう……」と台本に書かれていないキャラクターの日常、自分の日常とつなげて、絶えず想像していた。そうすると「だからこういう台詞が出てくるんだろうな」と気付いたりすることもあり、1週間ごとに成長を見せなくてはいけないというプレッシャーもあったため、とにかくキャラクターに寄り添うことに集中していた。
初めてのオンエアは正座して見て、深夜の放送であったが、友人も皆1回仮眠をとってからその時間に起きて見てくれていたようだった。テレビから声が聞こえていた瞬間は、ビクッとしており、自分ではないような気がして、頭がぐるぐるしていた。その時に「これが演技をするっていうことなんだ。自分のキャラクターがいる、自分の声が流れる、それを地上波で一斉にみんなが見てる」とドキドキしていた。同時に「目を背けたい」ように感じたりもし、自分が知らなかった自分を電波を通して感じるのは味わったことがない気分であった。その時に落ち着いてみたところ、「これが夢が叶ったということなのかも」、とジーンとしたりしていたという。
ランカとの一体感は強く、劇場版完結編のアフレコ終了後には引き裂かれるような感覚で涙が止まらなかったという。
『マクロスF』の総監督を務める河森正治はヒロイン役のオーディションに関し、先に決まっていたシェリル・ノームの歌担当のMay'nと声質が違うことと、本番に強いという印象を選考理由に挙げている。「僕はプロトタイプが好きな人間ですので、声優さんとして、歌手として完成された方よりも、作品とともに成長して、作中で役者として臨界点を超えるであろう瞬間を僕らと共有できる方におねがいしたいです」と発言している。
「今まで会いたかった人」の2人のうち1人をクラン・クラン役の豊口めぐみと挙げている。『りぼん』を愛読していた中島は、中でも『超GALS! 寿蘭』の大ファンで、当時その主役を務めていた豊口に相当な憧れを抱いていた。ラジオ『マクロスF○※△』に豊口がゲストで来た時には本人に「ファンです」と告白していた。他に会えて感激した声優に神谷浩史、桑島法子、井上喜久子の名を挙げている。いずれも中島が見ていたアニメの出演者である。『マクロスF』にて共演を果たし、その感動を自身のブログにて述べている。神谷浩史とはラジオ『マクロスF○※△』でも共にパーソナリティとして共演もしている。
『マクロスF』の中で好きなキャラクターはミハエル・ブラン。マクロスシリーズ全体ではリン・ミンメイが憧れの存在で、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』のクライマックスシーンは何回観ても涙が出るという。カバーしてみたい歌は『超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN-』のイシュタルが歌う「もういちどlove you」。
手先が器用で、プラモデル初心者では難解で苦労すると言われるメサイアバルキリーのプラモデル(VF-25Fアルト機)を組み上げ、ブログで公開している。
2009年2月23日のK-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜において、ランカ・リーのコスプレをして星間飛行をBGMに入場した長島☆自演乙☆雄一郎の入場コールを担当した。
2008年12月3日には動画共有サイト「ニコニコ動画」に自身の新曲「Be MYSELF」を歌いながら踊っている動画を投稿して話題になった。1日で14万回以上再生されると同時に、中傷の様なコメントも集まり運営側が自主的に削除して対応した。また、2008年12月24日には東京都渋谷区で主催するクリスマスイベントを上述の動画投稿サイトで生配信した。
『天使になりたい』に収録されている「(仮)ダジャレのお歌」が原曲者(SNOOP)に連絡なしのままタイトルと歌詞が変更され発売された。その後、関係者間の連絡ミスおよび認識不足であることがわかり(原曲者もタイトルと歌詞が変更されること自体は元々承知していた)、2009年2月21日付けで公式ブログに謝罪文が掲載された。
2018年6月6日、10月から放送予定のアニメ『二度目の人生を異世界で』のローナ=シュヴァリエ役を降板すると発表。原作者のSNS上でのヘイト発言が問題となり、アニメ化自体も中止となった。その後、6月24日に上海で開催予定だった中島の海外ライブが中止となった。
『マクロス』をきっかけに、プロの世界に入り、自分の憧れだった人物と会い直接アドバイスをくれたり、一緒に歌わせてくれたり、そういうことが叶った感動を味わうことができた。2011年時点の中島があるのも、一から指導して育ててくれた憧れの先輩、スタッフの皆、応援してくれた皆との出会いのおかげだと心から思っているという。
仕事をしているなかで、落ち込む時がないとは言えないが、ファンから「中島さんを見て、声優になりたいと思いました」、「諦めかけてたんですけど私もがんばってみます」など、手紙、励ましの言葉をくれて、「私ももっと頑張らなきゃ!」と思いファンレターが何度も自分を救ってくれた。すごく自信がない時など、手紙を読むだけで涙が出てそれぐらいファンの声が「自分の力になっているんだな」と実感しているという。
太字はメインキャラクター。
※はインターネット配信。
※はインターネット配信。
※キャラクター名義での出演、もしくはゲスト出演。
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