都営バス志村自動車営業所(とえいばすしむらじどうしゃえいぎょうしょ)は、東京都板橋区東坂下にかつて存在していた都営バスの営業所である。営業所記号はY、ナンバーは練馬であった。
志村営業所の跡地は板橋区の広場を経て、現在は警視庁志村警察署となっている。
1978年10月に滝野川営業所から移管されていたが、志村営業所の廃止に伴い北営業所に再移管された。
1947年(昭和22年)、交通局と東都乗合の共同運行による東京駅直通路線の第1弾として新設された。当初は小滝橋営業所や大塚営業所が担当し、志村に移管されたのは路線末期の1971年(昭和46年)のことである。1974年(昭和49年)に営団地下鉄有楽町線が開業し、池袋と飯田橋の間が完全並行になったため、1975年(昭和50年)9月2日限りで廃止。
なお池袋駅東口と常盤台駅入口の間は、2018年現在国際興業バス光02系統が運行されている。
交通局と東都乗合の共同運行による東京駅直通路線の第2弾として、1949年(昭和24年)に新設された。常盤台-大和町間は国際興業バスの王54系統と同一経路だが、中山道では板橋二丁目から旧道に入り、国鉄赤羽線板橋駅を経て上池袋三丁目(明治通り堀割交差点)から大塚駅前に出ていた。 更に大塚駅と白山二丁目の間は千川通り を経由していた。1972年3月1日現在の「都営バス系統路線図」によれば、板橋区側の終点が上板橋駅で、公園入口(現・国際興業バス富士見台小学校)-前野町-常盤台三丁目-中央通三丁目(現・国際興業バス中央通り)-常盤台公園(現・国際興業バス教育科学館)-上板橋で運転されている。 交通局第2次再建計画に伴う路線再編成により、1977年(昭和52年)12月15日限りで廃止。大塚駅 - 白山二丁目間の代替は茶60系統(池袋駅 - 御茶ノ水駅)によって行われた。
1954年(昭和29年)に王子駅と東十条四丁目の間で開設。当時は都営単独で、王子駅で都電19・32・トロリー104系統などからの接続を受け、沿線の成立商業高校へ向かう通学輸送を目的としていた。その後、王子駅 - 赤羽駅間や日暮里駅 - 赤羽駅間の運行を経て、1969年(昭和44年)4月25日付けで国際興業バスの赤羽 - 浮間 - 高島平線(後の赤05系統)と接続して2社共同運行になる。同時に都電終点停留所(今の赤羽岩淵駅)で都電27系統に接続するようになった。
さらに1971年(昭和46年)に王子駅以遠が付け替えられ、王40系統や草64系統と同じ明治通り経由で池袋駅までの運行になって最終形が完成した。交通局第2次再建計画に伴う追加の路線再編成により、1978年(昭和53年)10月31日限りで廃止。浮間舟渡駅と赤羽駅の間は国際興業バスの赤06系統、赤羽駅と東十条四丁目の間は国際興業バスの赤25と国際興業・関東バス共同の赤31系統が現存している。
交通局第2次再建計画に伴う追加の路線再編成により、1978年(昭和53年)10月31日限りで都営が撤退し国際興業単独に変わる。2013年現在は上板橋駅 - 王子駅間での運行となっている。
この系統は国際興業との共同運行で東京駅まで乗り入れていた105系統と、都電志村線18系統・41系統の代替という2つの出自を持つ。
105系統は1947年(昭和22年)6月、104系統と同時に運行を開始。最盛期には戸田橋を渡って埼玉県内に入り、浦和駅(1950年4月~1966年5月)もしくは蕨市の蕨操車場(1966年5月~1969年9月)まで運転されていた。
都営地下鉄6号線の着工に伴う都電志村線の先行撤去を受け、1966年(昭和41年)に都電代替系統が新設された。 あくまでも地下鉄開業までの暫定的な運行とされたために系統番号は付与されなかったが、105系統グループのひとつと位置づけられる。地下鉄開通後の1968年(昭和43年)12月31日限りで運行を終了した。
105乙系統は翌1969年(昭和44年)1月1日から運行され、かつての都電18系統の経路をほぼ踏襲するルートであった。本系統の新設に伴い、従来の105系統は「105甲」系統に改称された。しかし1972年(昭和47年)に都営地下鉄6号線の巣鴨以南が開業したことで完全並行となり、105乙系統は同年廃止。105甲系統は同年11月「東55系統」に改称されたが、交通局第2次再建計画に伴う追加の路線再編成により、1978年(昭和53年)10月31日限りで廃止された。
1972年(昭和47年)11月の都電第7次撤去で廃止された27系統(現・都電荒川線)王子駅前 - 赤羽間の代替としてスタート。1982年の閉鎖時に、沿線に新設された北営業所へ移管された。
環七通りが整備されたことにより、1966年4月に堀ノ内営業所(→杉並営業所→現・杉並支所)管轄で開通した。1972年7月に志村営業所へと移管されてきたが、閉鎖に伴い杉並営業所に再移管、同時に新宿地区の経路が宿91系統などと同じ東京医大病院経由となる。1988年から2003年にかけては練馬営業所(現・練馬支所)との共管としていたが、はとバス委託に伴い再度杉並支所の単独管轄となり現在に至る。志村営業所担当時代の名残で、入庫便だった大和町止まりが現在も設定されている。
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