ペドロ・ロドリゲス・デ・ラ・ベガ(Pedro Rodríguez de la Vega、1940年1月18日 - 1971年7月11日)は、メキシコのレーシングドライバー。1968年のル・マン24時間レース覇者。
F1で2勝を挙げており、2020年にセルジオ・ペレスがサヒールGPで優勝するまでメキシコ人唯一のF1優勝者であった。またスポーツカー・レースでは、フォードで1968年のル・マン24時間レース、1970年・1971年にポルシェでデイトナ24時間レースを制したのをはじめ、F1以上に実績を残した。
弟のリカルドもレーサーであり、2人纏めて「ロドリゲス兄弟」と称されることも多い。
リカルド同様、メキシコ2輪・メキシコ4輪の両方でチャンピオンを獲得している。四輪に転向後の1957年、ペドロはポルシェで、リカルドはフェラーリで四輪の国際舞台レースにデビューした。
1961年、ペドロより先にF1デビューを果たしていたリカルドが、非選手権として行われたメキシコグランプリで事故死。ペドロは一時引退も考えるが、引き続きレース活動を行った。
1962年のセブリング・インターナショナル・レースウェイで行なわれた12時間耐久レースではスターリング・モス、スティーブ・マックイーン、イネス・アイルランドと共にチームを組んで参戦。その前座で行なわれた1000cc以下の車に限定された3時間耐久レースではオースチン・ヒーレースプライトMk.2にも乗っていた。このエピソードは、『カー・SOS 蘇れ!思い出の名車』シーズン3第3話で語られている。
1963年にはロータスからF1デビューを果たす。当初は北米で行われるアメリカグランプリ・メキシコグランプリへのスポット参戦が主であり、1966年終了時までは計8レースしか参戦していなかった。
1967年、クーパーに招かれたペドロは、開幕戦南アフリカグランプリで初優勝。これ以後、F1でもレギュラーとして活躍するようになる。1968年にはBRMから参戦し、第2戦スペイングランプリでは自身ベストタイとなる予選2位を獲得。第6戦フランスグランプリでは、ファステストラップをマークした。
1969年途中に一旦フェラーリへ移るが、1970年にはBRMに復帰。第4戦ベルギーグランプリでは、クリス・エイモンとの争いを制し、自身2勝目を挙げた。この際の平均速度241km/hは、F1史上2番目となる速さである。また第12戦アメリカグランプリでは、2位表彰台を獲得。
元々、素質面においてリカルドのほうが評価は高く、ペドロは「リカルドの兄」という見方をされることも多かった。しかし1969年頃より再評価を受け、この頃にはF1における勝利、同時期のスポーツカーレースでの活躍等から、ペドロ自身が評価されるようになっていた。1970年以降、F1ではBRM、スポーツカーではポルシェのエースを担った。
1971年も、ペドロはF1において2度の入賞を記録するなど、奮闘していた。
そんな中、ドイツ・ノリスリンクでのヨーロッパ・インターセリエ第4戦「ニュルンベルク200マイル」に参戦。乗り慣れたポルシェ・917ではなく、フェラーリ・512Mを駆ってのものだった。
しかし、レース中にタイヤがバーストしてフェンスに激突し、31歳で他界。
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