高田 博厚(たかた ひろあつ、1900年8月19日 - 1987年6月17日)は、第二次世界大戦前に芸術を学ぶためにフランスに渡り、新聞記者としても戦後までフランスに滞在していた彫刻家。思想家、文筆家、翻訳家としても活躍した。
少年時代から文学・哲学・芸術に目覚め、18歳で上京し、高村光太郎の勧めで彫刻や翻訳に従事。31歳でフランスに渡り、ロマン・ロラン(作家)やアラン(哲学者)、ポール・シニャック(画家)、ジョルジュ・ルオー(画家)をはじめとするヨーロッパの知識階層と交流した。生活のために在欧日本人向日刊紙『日仏通信』を刊行し、第二次世界大戦中も日本に戻らず新聞記者としても活動し、パリ外国人記者協会副会長を務めた。
戦後は、難民生活を経てフランスに留まり、彫刻家としての創作活動や記者としての取材活動を継続、カンヌ国際映画祭日本代表を約10年にわたり務めるなど、フランスでは日本人を代表する存在となる。57歳の時、フランスで制作し手元にあった彫刻は、すべて自ら破壊して日本に帰国(絵画はアトリエを受継いだ野見山暁治に処分を依頼した)。新制作協会会員、日本美術家連盟委員、日本ペンクラブ理事、東京芸術大学講師などを務めるが、九州産業大学芸術学部の創設に尽力した後、徐々に引退し制作のみに専念する。
高田は加藤周一の小説『運命』のモデルとなっている。また、娘の田村和子は詩人田村隆一の元夫人で、ねじめ正一の小説『荒地の恋』のモデルとなった人物。
資料等
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