足利市(あしかがし)は、栃木県南西部にある市。旧足利郡と旧群馬県山田郡の一部から成る。地方拠点都市。
古くは足利庄が栄えて清和源氏義家流・足利氏発祥の地としても知られ、フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と呼びルイス・フロイス が日本全国で唯一の大学と記した足利学校がある。
栃木県南西部に位置する安足地区の中心都市。1921年(大正10年)1月1日、足利郡足利町が栃木県内2番目・県南部で初めて市制施行。2021年(令和3年)1月1日、市制施行100周年を迎えた。隣接する群馬県桐生市とともに織物業が盛んで、足利銘仙の産地として知られる。人口は約14万千人で栃木県内第4位。昭和後期から平成前期までは県南部で人口最多の市であった。県南地域の佐野市・栃木市・小山市とともに栃木県南部地方拠点都市地域の中心都市に指定されている。
市内に史跡や美術館が多く、本庁地区に足利学校・鑁阿寺・足利市立美術館・草雲美術館、富田地区に栗田美術館・あしかがフラワーパークがあり、2010年(平成22年)は330万9千人だった観光客入込数が2015年(平成27年)には394万5千人に増加している。平成年間の観光客入込数は増加傾向にあり、2018年(平成30年)には508万3千人に達した。2019年(令和元年)は486万2千人で、県内第6位の観光客入込数となった。南部の御厨地区に旧日光例幣使街道の八木宿跡があり、両毛地域の民謡である八木節の名の由来となっている。
2015年(平成27年)4月、聖廟および附属建物を含む足利学校跡、足利学校遺蹟図書館の蔵書である『礼記正義』・『尚書正義』・『文選』・『周易注疏』、孔子の祭である釈奠が、水戸市の旧弘道館、備前市の旧閑谷学校、日田市の咸宜園跡などとともに「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」の名で日本遺産に認定された。
足利家歴代当主の宗廟があった法界寺跡(樺崎寺)や、室町幕府三代将軍・足利義満が再興した浄因寺や、初代将軍足利尊氏が崇拝した日本三大毘沙門天の一つである大岩毘沙門天など足利氏ゆかりの寺が多い。京都市や鎌倉市に似た景観を待つことから、「東の京都」、「北の鎌倉」と呼ばれている。足利市は全国京都会議に加盟しており、足利市と鎌倉市は姉妹都市の提携を行なっている。
市の北部に足尾山地、南部に関東平野が広がり、中央部を渡良瀬川が流れる。山地と平野の接点に位置する。市役所(本城三丁目2145番地)の海抜は34.54m。群馬県前橋市から南東に約35km、栃木県都の宇都宮市からは南西に約45kmの場所に位置する。
隣接する佐野市(人口約11万5000人)、桐生市(人口約10万5000人)、太田市(人口約22万2000人)、館林市(人口約7万4000人)とともに両毛地域の都市核であり、県都である宇都宮市よりも群馬県東部地方との経済的・文化的繋がりが深い。特に桐生市・太田市との関係は県境を跨いで密接であり、太田市とは平成の大合併において一時期、越境合併の話もあがった。旧小俣町・葉鹿町は桐生織物組合に加盟していたことがあり、小俣町は桐生市外十四箇町村医療事務組合にも加盟していた。
下野国足利荘は清和源氏義家流四男・義国からの足利氏ゆかりの地で、平安時代末期には足利義兼が源頼朝の縁戚として鎌倉幕府創設に尽力し、有力御家人の本貫地として発展した。鎌倉時代足利尊氏は後醍醐天皇の討幕運動に参加し、室町時代には足利将軍家となった。足利義康の時代から絹の産地として有り、近世近代において織物業が発達した。足利学校は学生数約3000人と記録されるほど盛況を迎え、室町時代には関東の文化の中心地として栄えた。
1947年(昭和22年)9月16日、カスリーン台風による豪雨で渡良瀬川が氾濫。市内一万戸の内九千戸が水没したほか、後に編入する周辺市町村(後述)も多くの浸水被害を出した。
1920年(大正9年)の第一回国勢調査での足利町の人口は3万3千人で、栃木県内では県庁所在地である宇都宮市に次いで2番目に多かった。1965年(昭和40年)国勢調査で足利市の人口が15万人に達し、桐生市の人口を追い抜いて両毛地域で最多人口の市となった。国勢調査での最多人口は1990年(平成2年)の16万8千人で、2005年(平成17年)国勢調査にて小山市に、2014年(平成26年)に下都賀郡岩舟町を編入した栃木市に抜かれ、2015年(平成27年)の国勢調査人口は14万9千人で県内4番目の人口規模となっている。
(2023年5月22日現在)
地区分けは足利市ホームページの国勢調査結果(地区別男女別人口)における旧足利郡の町村を基礎とする16地区分けに基づく。
本庁地区(旧足利町)
毛野地区
山辺地区
北郷地区
郵便番号は以下が該当する。4の集配局が集配を担当する。
市内全域が足利MAの管轄となり、市外局番は「0284」。収容局は以下の7ビルが該当し、市内局番は以下の通り。
JTB時刻表で市の中心駅とされるのは足利駅であるが、渡良瀬川の対岸にある足利市駅のほうが本数が多く、東京都心へのアクセスに便利なため利用者数が多い。また東武伊勢崎線は足利市内区間に多数の駅を有し、各駅周辺の再開発事業も進行したことから、福居 - 野州山辺間の各駅周辺には近年大型マンションや商業施設の集積が進んでいる。一方でJR足利駅を中心とした旧市街には足利学校や鑁阿寺など観光名所が多い。
年は撮影時のもの。
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