長岡市(ながおかし)は、新潟県の中南部(中越地方)に位置する市。県内では新潟市に次いで第2位の人口を持ち、中越地方では最多の人口を有する。施行時特例市に指定されており、長岡まつり大花火大会で知られている。1906年(明治39年)に市制施行。
新潟県の中越地方の中心都市であり、長岡都市圏を形成している。
長岡市の中央部は信濃川により形成された沖積平野に位置し、江戸時代には長岡藩の城下町として栄えた。
戊辰戦争と第二次世界大戦(長岡空襲)の二度にわたって市の中心部は壊滅的被害を受けるが、共に不撓不屈の精神により復興を遂げ、現在に至る。それに因み、市の紋章は不死鳥をイメージして、「長」の文字を図案化したものになっている。
かつての古志郡や三島郡の大部分を占める他、蒲原郡・魚沼郡・刈羽郡の一部にも跨る市域をもつ。
越後平野が広がりはじめる南部に位置し、新潟市の新潟県庁までは約60 kmの距離にある。新潟市までは上越新幹線では約20分強、在来線では特急で約50分、普通列車で約75分、自動車では約60分で移動できる。
上越新幹線で東京から約80 - 100分、関越自動車道で東京から約3時間の位置にあり、経済面など関東地方との結びつきが強い。
南北に日本最長の大河である信濃川が縦断し、信濃川の両岸に広がる沖積平野を中心に市街地が発展している。
東西には東山連峰と西山丘陵地がそれぞれ連なる。市の東部にあたる山古志地域や栃尾地域の一部は山間地の急傾斜地帯を形成し、さらに栃尾地域の南東方面には越後山脈の守門岳がそびえる。
元来の長岡市は内陸の都市であったが、平成の市町村大合併により寺泊町を合併して以降、南北に約16 kmの海岸線を持つ自治体となった。
地理的に大部分が盆地で占められており、寒暖の差がやや大きい傾向がある。信濃川流域の越後平野には遮蔽物が少なく、夏ごろは突風が吹くことがある。
日本有数の豪雪地帯であり、市街地に設置されたアメダス「長岡」では1981年(昭和56年)1月21日の212 cmなど過去に記録的な豪雪を何度も経験している。最深積雪の平年値(1991~2020年、気象庁)は89 cmであり、青森(101 cm)や札幌(97 cm)などと並ぶ有数の都市である。
同アメダスにおいて2 mを超える積雪は1986年(昭和61年)2月9日に記録された206 cmが最後であるが、2012年(平成24年)2月10日の170 cmをはじめ、1 m以上の積雪深を記録する年は多い。
市域は広大であるため、降雪量・積雪量には地域差がある。市域は長岡地域・小国地域・越路地域・山古志地域・栃尾地域・川口地域が特別豪雪地帯に、そのほかの市域が豪雪地帯に指定されている。
海岸部または海岸近くに位置する寺泊地域や和島地域は比較的積雪が少ないが、盆地部の栃尾地域では2010年度から2012年度にかけて3年連続で2 mを超える積雪が観測されている。
市街には雁木(がんぎ)が整備されているほか、市では「無雪都市」を宣言し、長岡駅前の大手通りには、雁木を改造した大規模なアーケードが設置されている。また、道路には地下水源を利用した消雪パイプが設置され、国道・県道・市道や公共施設の敷地内に至るまで広い範囲で散水消雪を行っている。
※北から時計回りに
2000年代に編入合併が行われた周辺市町村の区域は、合併前の市町村名を冠して「○○地域」と呼称している(例:中之島地域・越路地域・寺泊地域など)。同様に旧長岡市域も「長岡地域」と呼称しているが、特に信濃川右岸側は「川東地域」、左岸側は「川西地域」と称している。
2007年(平成19年)4月1日に特例市に移行し、国や県からの権限移譲が行われた(2015年(平成27年)に施行時特例市となる)。更に今後、周辺市町村との合併によって中核市への移行をも視野に入れている。
芋川砂防フィールドミュージアム(山古志地域)
(運動公園以外の公園を除く)
主なまちの駅
2005年以降の編入10地域が海外の市町村と締結していた姉妹友好都市との関係は、編入合併後も長岡市が継承して交流事業が継続されている。
長岡市の中心市街地は長岡駅周辺を中心に形成されており、特に同駅大手口側にはオフィスやホテル、総合スーパーなどが軒を連ねている。新潟県のほぼ中部に位置し、周辺市町村を含めた商圏人口は約65万人を有し、商圏は新潟市、三条市、柏崎市、十日町市などと一部重複している。
山古志地域を含む二十村郷と呼ばれる地域は錦鯉発祥の地であり、現在は錦鯉の養鯉が盛んに行われている。2017年(平成29年)5月5日には錦鯉が新潟県の鑑賞魚に指定されている。
天然ガスの産出量が日本一であり、越路地域を中心とした地域には、埋蔵量が日本屈指の南長岡ガス田がある。明治20年代から大正期にかけては、東山地区で産出した石油の採取が盛んに行われ、長岡は日本有数のオイルタウンとして知られていた。
長岡の石油産出は記紀の頃(奈良時代)から記録があるが、本格的な生産は1882年(明治15年)頃に出雲崎町尼瀬で石油掘削が盛んになったことに触発されたのが始まりである。1889年(明治22年)に北越石油会社(東山油田)、1893年(明治26年)に宝田石油株式会社が地元資本で設立され、中小の石油会社も300社以上相次いで創業した。1908年(明治41年)の宝田石油の納税額は長岡市の市税収入の1割強に上った。石油産業の隆盛は各方面に波及し、機械工業、電灯・ガス産業、証券業(石油関連企業の設立の際に、株式発行による資金調達が行われたため)の発達につながった。
長岡市の商業施設は全国的に近年見られる傾向と同様、郊外型商業施設の進出が顕著な半面、中心市街地の空洞化が深刻となっている。
1988年のジャスコ長岡店(現:イオン長岡店)の開店を皮切りに、郊外への店舗の出店が相次ぎ、現在は郊外に展開する大型ショッピングセンターやロードサイド型店舗には、市内や周辺市町村から連日多くの買い物客が訪れる。一方、長岡駅大手口周辺の中心地では、2010年(平成22年)4月25日に中越地方最後の百貨店であった「大和長岡店」が閉店するなど、かつて地区の核店舗としての役割を担っていた百貨店や総合スーパーなどの大型店などが次々と撤退し、加えて個店舗の閉店も相次ぎ、空洞化が進んでいる。これは全国各地の地方都市でも同様に見られる傾向でもある。
長岡市では近年、中心市街地の活性化を目的として、郊外にあった市役所の駅前移転や駅前の利便性を高めようとペデストリアンデッキ「大手スカイデッキ」などを設置したほか、大手通りに地下駐車場の建設、市営駐車場の設置のほか、市街地再開発など様々な施策を現在も進めている。
市内各所では、露店市場が朝から開かれ買い物客でにぎわう。
書籍・雑誌といった出版物は、(中央での)発売日より1日遅れて店頭に並ぶ物が多いが、物によっては発売日あるいは発売日前日に店頭に並ぶ物もある。音楽CDは通常、発売日前日には店頭に並ぶ。
(長岡市に本店(※印)、支店を置くもの。)
この他、東日本信用漁業協同組合連合会が市内に代理店を設置している。また、東京スター銀行、セブン銀行、イオン銀行、新潟県信用農業協同組合連合会、ローソン銀行が市内にATMを設置している。
明治20年頃の石油採掘にともない、機械産業が発達し、現在も北陸工業地域の一角として精密機械や工作機械を生産している企業が多い。鉄道と河川を備え、古くから交通の要衝であったことから卸売業などの商業活動も栄えている。また、米菓の生産などを主とする食品製造業も盛んである。関越自動車道・長岡ICに隣接する「長岡新産業センター」や北陸自動車道・長岡北SICに隣接する「長岡北スマート流通産業団地」をはじめ、市内には工業団地が多数存在する。
国土交通省と新潟県、県内各市町村では、幹線道路沿線の景観向上やバリアフリー化を目的として電線地中化(電線共同溝の新設による無電柱化)に取り組んでおり、長岡市内では、国土交通省が国道8号・長岡バイパス沿線の神田、蓮潟などで、県と長岡市が長岡駅周辺など川東地域中心部の他、郊外部では長岡ニュータウンの一部などで無電柱化事業を実施している。
長岡市内では2004年(平成16年)の新潟県中越地震と、2007年(平成19年)の新潟県中越沖地震で地中化の予定地域が被災し、また既設歩道内への電線地中化が水道管・下水道管といった支障物件の移設に時間がかかるなどしたため、無電柱化率が当初の目標値を一時下回った。
電線類の地中化は、耐震性のある樹脂管等で保護したケーブルを地中の共同溝に埋設するもので、災害時には電柱の倒壊による様々なリスクが回避できる反面、仮に共同溝に被害が及んだ場合には電力・通信などライフラインの復旧が大幅に遅延する可能性がある。なお中越地震の際、地中化が行われていない地域では電力の復旧に7日から10日間を要した。
長岡市では2010年(平成22年)に「長岡市バイオマスタウン構想」を策定し、廃棄物を活用したバイオマスの利活用に向けた取り組みを進めている。
これに先立って、長岡市と市域内の主な企業は2008年(平成20年)に越後ながおかバイオマス地域協議会を設立し、菜の花やエゴマなどの作物を活用した資源循環の実証実験を3箇年にわたって実施した。
またバイオマス構想策定後の2011年(平成23年)春には長岡市環境衛生センターの敷地内において、生ごみを発酵させてバイオガスを採取し、それを動力源として発電などを行うプラント「バイオガス発電センター」の建設事業に着工し、2013年(平成25年)春に竣工、試運転を経て同年7月1日から本格稼働を開始した。この発電センターの試運転開始に合わせ、長岡市では同年4月1日からごみ・資源物の分別方法を9種類に細分化する措置を取り、市民への周知徹底を図っている。
長岡市の汚水処理人口普及率は96.4%(2012年(平成24年)度末現在)である。普及率は都市部等の下水道設備や農村部等の集落排水施設が整備された区域の人口と、合併処理浄化槽の利用者数に基づくもので、新潟県内の全30市町村では14番目と中位に位置する。また下水道処理人口普及率は89.7%(同年度末現在)で、新潟県内では共に99%以上を有する弥彦村と聖籠町に次ぎ3番目に高い普及率を有している。
このうち下水道事業は、市街地の浸水防止と生活衛生の向上を目的として、1903年(明治36年)に整備計画が策定されたのが端緒で、1924年(大正13年)1月、上水道の整備と併せて上下水道の整備に同時着手した。下水道事業は全国で7番目の整備着手、上下水道の同時整備着手は全国初であった。
事業は第1期が1924年から1927年(昭和2年)にかけ、長岡駅を中心とした川東地域の市街地238 haを対象に、第2期が1960年(昭和35年)から1967年(昭和42年)にかけ、第1期と合わせて計336 haを対象に進められた。第3期は川西地域も対象として1971年(昭和46年)から整備が開始され、のちに編入市域となる各市町村でも相次いで下水道整備が進められた。
なお合併前の旧市域にあたる長岡地域(川東・川西両地域)の下水道普及率(総人口に対する下水道の利用可能人口の割合)は96.1%、水洗化率(下水道利用可能人口に対する下水道接続人口)は95.7%(2003年3月時点)であった。
越路、三島、栃尾、与板、川口地域では、市町村合併まで旧各市町による公営事業として行われていた。これら公営事業は市町村合併の際に長岡市水道局の管轄下としたのち、川口を除く4地域は2009年10月1日付で、川口地域は2014年4月1日付で北陸ガスへ譲渡・継承された。中之島地域では見附市ガス上下水道局が導管事業を行っていたが、2020年4月1日付で北陸ガスへ譲渡・継承された。
市内には多くの雁木が残されている。雁木の延長は長岡が全国2位、栃尾が3位である。
県教育委員会指定技能教育施設
現在は東日本旅客鉄道(JR東日本)一社のみが運営しており、長岡駅をターミナルに上越新幹線と、在来線4路線が走っている。宮内駅は上越線の終点であるが、定期旅客列車は全てが信越本線の長岡駅まで乗り入れている。信越本線の新潟方面は日中は概ね60分間隔で運行されている。また、市内北西部には越後線が、南部には飯山線が通る。北陸新幹線と接続する特急「しらゆき」が長岡駅に停車する。
長岡駅は、上越新幹線開業以降、関東地方から上越地方や富山県・石川県などの北陸西部方面へ向かうメインルートの乗換駅であり、「雷鳥」や「かがやき」など多数の特急列車が停車していた。その後ほくほく線や北陸新幹線の開業でその機能の多くはそれらに移転した。
かつては、旧国鉄が運営する魚沼線が来迎寺駅から小千谷市に伸びていた。更に越後交通が運営する長岡線、栃尾線が長岡駅および西長岡駅を中心に運行していたが、双方とも既に廃線となっている。他にも長岡ニュータウンの開発事業開始当初は長岡駅など市内中心部とを結ぶモノレールの建設構想もあったが、同ニュータウンの開発停滞などもあって実現には至らなかった。
長岡市の一般路線バスは現在、主に越後交通とその子会社の南越後観光バスが運行している。越後交通は1960年(昭和35年)10月1日、中越地方の私鉄・バス3社が合併して発足したもので、市域内の一般乗合バス及び廃止代替バスの運行業務のほぼ全てを担っている。長岡駅の大手口・東口双方に設けられたバスターミナルを中心に、市内各地や近郊各市町村とを結ぶ路線網が発達している。 中心市街地と公共施設・商業施設の集積地を結ぶ「まちなかべんりバス」ではパークアンドライドの取り組みが行われている。
2021年10月時点では以下が運行されている。
長岡JCTは、北陸自動車道と関越自動車道の2路線が接続する要衝である。市域内の高速道路は全区間片側2車線。
長岡市は国道8号と国道17号の接点であるため、一般道の要衝でもある。市内を一般国道11路線が経由している。市内各地でバイパス道路網が整備されており、中心部では市街地を南北に縦貫する長岡東バイパス、東西に横断する長岡バイパスがある。いずれも一部連続立体交差方式。沿岸部の国道116号は、新潟市と柏崎市を結ぶ、国道8号のバイパス的路線である。道路元標は大手通り交差点にある。
このように長岡市は、幹線道路をはじめとする広域道路交通の面においては充実しているものの、生活道路交通の面においては必ずしも充分に整備されているとは言えない。信濃川によって市域の東西が分断されている地理条件から、各橋梁部では交通渋滞が慢性化しており、これらは長岡市の拠点性向上を図る上で大きな課題となっている。また自転車歩行者道の整備の立ち遅れや、狭隘道路の点在など、降雪地という立地条件上の交通安全や生活安全に関わる問題も数多く残存している。県と長岡市では市域の信濃川橋梁と幹線道路をはしごに見立てた「ラダー型広域道路網」の整備強化を進めている他、生活道路の通行環境改善などに取り組んでいる。
なお、長岡市における国道・県道・市道を合わせた道路改良率は62.9%、道路舗装率は64.7%(2006年4月1日現在、長岡市資料より)である。
#博物館・美術館、#文化施設も参照。
花火の街としても知られ、長岡まつり大花火大会は、「大曲」・「土浦」の花火とともに日本3大花火に数えられている。
毎年8月1日から3日に長岡まつり(うち大花火大会は2、3日)が開かれ、市の中心を流れる信濃川の中州から、正三尺玉花火を含めた数々の花火が打ち上がる。
2005年(平成17年)の長岡まつりでは、市民などからの協賛金を募って、新潟県中越地震からの復興祈願花火「フェニックス」を打ち上げ喝采を浴びた。この「フェニックス」は、同年10月23日の中越地震からの「復興の集い」や年末年始のカウントダウンイベントでも打ち上げられ、長岡を象徴する花火になった。この花火は、翌年以降の長岡まつりでも継続して打ち上げられている。
新潟県の花であるチューリップは、明治後期に現在の長岡市越路地域で栽培が試みられ、その後商業生産が本格化した。2019年現在、新潟県はチューリップ切花の生産量が全国1位となっている。
長岡市には国営越後丘陵公園があり、ゴールデンウィークにはおよそ130品種16万球のチューリップが満開になり「チューリップまつり」が開催される。
長岡市に本拠地とするスポーツチーム
※ 50音順
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou