戸越(とごし)は、東京都品川区の地名。現行行政地名は戸越一丁目から戸越六丁目。住居表示実施済区域。
品川区中部に位置する。町域北辺は百反通りに接し、これを境に西五反田・大崎にそれぞれ接する。東部から南部にかけては豊町に接する。東部は西品川にも接する。西部は第二京浜に接し、これを境に平塚・東中延にそれぞれ接する(いずれも地名は品川区)。町域内を26号線通り(東京都道420号鮫洲大山線)が通っている。
戸越一丁目と戸越二丁目との間には、戸越銀座商店街がある。この商店街は、近隣の住民を中心に日用品を買い求めるため多くの人が訪れる。戸越銀座商店街は地名としては戸越の他、隣接する平塚、豊町にも跨る。そのほかは、第二京浜沿いに高層建造物が見られる他は、主に住宅地として使用されている。
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、戸越3-3-1の地点で73万6000円/m2となっている。
永禄2年(1559年)の小田原衆所領役帳に初見される。江戸時代までは「とごえ」と読んだ。寛政5年(1793年)には廻船問屋の山路勝孝が孟宗竹の栽培を始め、村の名産となり、後に碑文谷村を中心とした荏原郡一帯に伝播した。
1889年(明治22年)、町村制の施行に伴い平塚村の大字となる。関東大震災後、銀座の瓦礫を埋め立てて戸越銀座が始まった。1932年(昭和7年)より荏原区戸越町。1941年(昭和16年)西戸越・東戸越・平塚・荏原・小山台に分かれ、1965年(昭和40年)東戸越全域と西戸越・東中延、西品川の一部に戸越一~六丁目が成立した。
この地が江戸越えの村だったことに由来するという。この江戸越えが「戸越」になったといわれている。戸越の名の起こりといわれている古歌を刻んだ石碑が地域内の戸越八幡神社にある。戸越八幡神社#戸越の名のおこりを参照。
「戸」を「江戸」でなく「谷戸」の省略と見る地形説も存在する。
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2020年4月時点)。
町域内における鉄道駅として、西部の第二京浜下に都営浅草線戸越駅が設置されている。また、南部には東急大井町線戸越公園駅が置かれる。目的地によって西方の東急池上線戸越銀座駅、南西方向にある東急池上線荏原中延駅、南方の東急大井町線中延駅もそれぞれ利用可能である。
第二京浜沿いを通る路線バスが利用できる。路線は以下の通り。いずれも東急バスが運行する。
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
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