『ゴジラ2000 ミレニアム』(ゴジラにせん ミレニアム)は、1999年12月11日に公開された日本映画で、ゴジラシリーズの第23作。カラー、シネマスコープ、ドルビーデジタル。略称は『ミレニアム』。
観客動員数は200万人。
ゴジラミレニアムシリーズの第1作。シリーズ全体を通せば、『ゴジラvsデストロイア』以来、約4年振りの公開であった。背びれが大きく鋭く強調され斬新なデザインに一新されたゴジラが登場、さらに宇宙人ミレニアンとそれが怪獣化したオルガが登場する。主要襲撃地点は根室、茨城、東京。
世界観はVSシリーズから一新され、第1作『ゴジラ』から直接つながる作品となっている。VSシリーズと同様に怪獣同士の戦いも描かれているものの、本作品ではゴジラを描くことを主軸としているため、対戦怪獣もゴジラの魅力を出すための要素の1つと位置づけられている。
地震や台風のような自然災害的存在であるゴジラに対して人類がいかに対抗するかを描くことに重点が置かれた。内閣官房副長官が率いる危機管理情報局 (CCI) に加え、ゴジラ予知ネットワーク (GPN) という民間団体が登場する。
濃霧に覆われた北海道根室市では、異常な不漁が続き、漁船・第三北海丸が行方不明になっていた。破壊された北海丸を咥え、突如出現したゴジラは、濃霧のため列車が停車していた根室駅周辺を破壊。ゴジラ予知ネットワーク (GPN) を主宰する篠田雄二は、娘のイオ、科学雑誌『オーパーツ』の記者である一ノ瀬由紀らと共にゴジラと間近で遭遇し、発電所を破壊するゴジラの姿に「ゴジラは人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのではないか」と感じる。
数日後、鹿島灘沖の日本海溝海底で強い磁力を帯びた岩塊が発見された。新しいエネルギー資源の可能性を見いだした危機管理情報局 (CCI) の宮坂四郎は、局長の片桐光男に引き上げを進言する。しかし、岩塊は引き上げ作業中に自力で浮上してしまう。最深部でその堆積物から6千万年前から7千万年前の隕石で地球外の物体と推定される岩塊の内部には、地球外生命体が存在するものと推測される。
ゴジラは太平洋を南下し、茨城県の東海村原子力発電所を狙う危険性が高まる。片桐は久慈川河口に自衛隊の90式戦車を中心とした重火器部隊を布陣させ、新兵器フルメタルミサイルでのゴジラ打倒を図る。上陸したゴジラと自衛隊との戦闘のさなか、海上から岩塊が飛翔してゴジラに波動砲で攻撃を始める。ゴジラも放射熱線でこれに応戦した結果、相討ちとなってゴジラは海へ去り、岩塊は金属質の本体の一部を露出させた状態で北浦の水郷地帯に墜落し、その動きを止める。
東海村の海岸線に残されたゴジラの足跡から皮膚片を採取した篠田はゴジラの細胞が持つ治癒能力に着目し、宮坂を通してCCIの設備を使用して解析を進めようとするが、片桐は条件として篠田が持つゴジラの情報開示を要求する。細胞を再分析した篠田は、細胞組織内から細胞の強力な個体形成能力と治癒復元能力を行う形成体を発見し、オルガナイザーG1と名付ける。
翌朝、北浦に墜落し、CCIによって電磁ネットで拘束されていた岩塊は太陽光を受けて動き始める。外側に張り付いていた岩を振動で完全に払い落として巨大UFOと化したそれは、幕張を経由してCCIの観測ヘリを撃墜しつつ西新宿に飛来し、『オーパーツ』編集部が入ったオペラシティ・タワー屋上に着底する。夜になるとUFOは不可視の触手を伸ばし、タワー内のスーパーコンピュータにクラッキングを仕掛けてゴジラに関する情報を集めると同時に、周囲の大気組成を変え始める。
片桐はUFOを危険と見なし、ブラスト・ボムでの破壊を決断する。爆破直前のタワーにとどまってUFOの狙いを探っていた由紀に代わり、篠田は検索中の情報をコピーしたモバイルパソコンを持って脱出を試みる。篠田が残っていると知りつつも延期を要請する宮坂や由紀の声を無視し、片桐は爆破を強行する。
ブラスト・ボムによるダメージをまったく受けなかったUFOは、地球の大気を自分たちの適したものに変換して自らのミレニアム(千年王国)を築くことを、パソコンへのジャックを通じて宣言する。UFOに手始めとばかりに崩壊されたタワーからの脱出に成功した篠田は、UFOにいる生命体ミレニアンの目的が「地球を自分たちに適した環境に作り替えること」と、「ゴジラが持つオルガナイザーG1から、長い時間で失った肉体を取り戻すこと」であると片桐たちに語る。そんな折、東京湾にゴジラが出現し、UFOがいる西新宿を目指す。
ミレニアンはUFOからの不可視の触手によってゴジラのオルガナイザーG1を吸収し、巨大な宇宙怪獣・オルガに変貌する。オルガはゴジラとの同化すら目論んでその上半身をも飲み込むが、ゴジラは放射熱線のエネルギーを体表から放つ体内放射でオルガを爆殺すると篠田たちのビルに迫り、片桐をビルごと撃破する。怒りに満ちて新宿を破壊するゴジラを止められる者は誰もいないまま、物語は幕を下ろす。
宇宙人ミレニアンが、ゴジラの細胞の自己再生能力を司る因子「オルガナイザーG1」を取り込んだが、その作用によって力を体内で制御できずにゴジラの形質に負けて変異・怪獣化してしまった姿。拳は肥大化しており、長い両脚部は2本のカギ爪とミレニアンよりも1本多い3本の指、魚のヒレのようなが特徴でディテールは左右非対称、いびつな姿をしている。鈍重な外見に反して、四肢の強靭な筋力による敏捷な動きで、空中高くジャンプが可能なほどの身軽な体と跳躍力を有する。殴り合いや噛みつきなどの接近戦を得意とする。搭乗してきた飛行体と同じく、左肩に波動発射口の穴があり、飛行体同様の波動光線を放つことができる。波動発射口を発光させて周囲の物体を宙に浮遊させる超念動攻撃(念動力)や、飛行体の残骸を遠隔操作することも可能。オルガナイザーG1を取り込んでいるため非常に再生能力が高く、ゴジラの放射熱線によって左肩部を丸々吹き飛ばされるほどの重傷を負っても即座に肉体を再生してしまう。その反面、攻防ともに高くはなく、生き残るためにゴジラにより近い存在になろうとする。
ゴジラと肉弾戦を繰り広げるが、その最中、くわえ込んでさらにオルガナイザーG1を吸収し、うろこのようなものも生え始めてゴジラのような体表と色となる。最終的には首の付け根まで大きく裂けた口を開け、触手のある膜を口から広げてゴジラの上半身を包み込んで丸飲みしようと同化を図り、背びれまで獲得してゴジラ化しようと変態を続けるが、ゴジラの体内放射によって頭部を失い死亡した。胴体も後に倒れ込んだ後、風化して黒い粉に変化して崩れ去った。
巨大UFOに乗って6,000万年前から侵入していた宇宙生命体。長い宇宙航行の間に肉体を失い、その間に耐えるために体組織を変化させて不定形生命体となり、量子流体化することで生存している。
鹿島灘沖の日本海溝にUFOとともに沈んでいたが、しんかい6500のサーチライトにより復活。千年王国を築くために地球征服を企み、地球の大気を自身の適したものに改造しようとした。UFOがゴジラからオルガナイザーG1を吸収することで元の肉体を取り戻したが、ゴジラ以外の生物ではオルガナイザーG1を制御できず、怪獣オルガに変化する。
オルガに変化する直前には、タコ型火星人を彷彿させる光る粒子が中に漂う半透明な体色をした姿を見せる。身体の形状は巨大飛行体、前後に長い頭部(本体)はUFOに似ており、身体の下部から6本の触手が生えている他、左右の触手が腕、中央の1本と後ろの3本が体を支える足としての役割を持つ。先は二股に分かれていて指のようになっている。オルガに変化した際は、左右の触手が鋭い3本爪を持つ腕、残りの触手は足や尻尾などになった。由紀は「彼ら」、篠田は「奴ら」と複数形で呼んでいることから一個人ではなく、集団がひとつの個体に合体したものであるとされる。
漫画版では地球人と同じ姿で、地殻変動で滅んだ母星から全住民を脱出させるための苦肉の策として、全住民の意識を一つの流体に移植した結果量子流体化し、失った肉体を取り戻すことを目的にオルガナイザーG1を求めたという設定となっている。こちらは複数の人型ミレニアンがオルガナイザーG1で肉体を取り戻しかけるが、制御できずオルガに変異してしまう。
平成VSシリーズ終了後の1998年に公開されたハリウッド版『GODZILLA』は、興行的には成功を収めたものの、従来のゴジラのイメージとは大幅に異なるものであった(GODZILLA#評価を参照)。ハリウッド版に対する日本のファンの反応を察知した東宝プロデューサーの富山省吾は、アメリカ版との違いをアピールするには早く日本の本来のゴジラを作るべきだと思い、7月の同作の日本での公開直後に日本版ゴジラの再開を8月に企画し、本作品の製作に至った。当時のゴジラシリーズとしては最高となる12億円の製作費が投入された。
監督は、VSシリーズで3作品を手掛けた大河原孝夫が担当。プロデューサーの富山は、従来のような監督と特技監督の二人の監督制では、時間的にそれぞれのパートを最初から分担するという形が理想的な体制で、絵コンテの立て方や脚本についての意見などを二人でやっていく形だが、先に片方が撮って後追いで片方が撮るため、ズレがどうしても出てきてしまうことから、その場でそのズレがなくなるまで話し合うには、全体をとらえる総監督が必要であったという。特殊技術は、VSシリーズの川北紘一に替わり、前年に『モスラ3 キングギドラ来襲』でデビューした鈴木健二が務めた。
第1作の『ゴジラ』を大前提として受け継ぐものの、VSシリーズとは全く異なる展開を計ることをコンセプトに、企画をゼロから考えていく作業が始まった。製作にあたっては「初代ゴジラの再生」と初期の東宝特撮映画に見られた「謎と脅威」を基本理念としている一方、新解釈によるゴジラのデザインや海外SF作品のモンスターを彷彿とさせるオルガのデザインなど、新たな要素も取り入れられている。タイトルの『2000』は東宝、『ミレニアム』はプロデューサーの富山が付けたもので、後者には一作目との区別を付けているほか、これからゴジラの王国が新しい千年紀に入る時にあるという意味で、ゴジラは千年生きる不滅のスターであるという想いも込められている。
ゴジラが登場するのにふさわしい場所として、「恐怖映画は霧」ということから、霧が出る根室と、日本の原発が誕生した地である東海村が本作品の舞台となった。
ゴジラを撮影したカメラのフィルムが感光してしまうなど、現実的な放射線の影響を示す描写も存在する。ただし、脚本を手掛けた柏原寛司は、登場人物に防護服を着用させたり、ゴジラの出現場所が立ち入り規制されることが報道されるなどの描写も検討していたが、作品内容との兼ね合いから過度のリアリティは避けたとしている。
ラストシーンは、ゴジラによる都市破壊がなおも続いている状態でエンドロールを迎えるという従来にないものとなっており、VSシリーズで定番化していた海へ帰るというラストシーンとの差別化を図るとともに、ゴジラが人間の味方ではないことを強調し、その脅威を示している。宮坂四郎役の佐野史郎は、本作品は問題提起で終わっており、新しいシリーズのプロローグであったと評している。
前年の『モスラ3 キングギドラ来襲』までの平成期の東宝特撮映画は、本編が東宝映画、特撮は東宝映像美術がそれぞれ受け持っていたが、本作品からは予算の一元管理とクオリティ統一のため東宝映画が一括して制作する体制となった。編集装置も『モスラ3』まではアナログ機器が用いられていたが、本作品からはAVIDのデジタル編集ソフトが導入された。
これまでのシリーズとはまったく異なる世界観を構築するためには多角的な視点が必要であるとして2人の脚本家が登用されている。両者は富山から提示された「怖いゴジラ」「ゴジラの謎」というテーマをもとに、主に三村がSF要素を、柏原が人間ドラマを提案していった。実作業としては、物語の起承転結で担当を振り分け、起と結を三村が、承と転を柏原がそれぞれ担当した。また、監督の大河原は、初めに読んだ脚本が少し満足ができないものであったため、大河原が考えた基本構想をたたき台に脚本づくりをしてもらったという。基本的な方向は1998年11月半ばに決定し、検討用のシナリオが同年12月半ばに出来上がった。翌年には監督の鈴木と大河原が加わり、シナリオをさらに練り直して、絵コンテを描く作業が同年4月に入った。これまで絵コンテは本編と特撮別々に作成されてきたケースが多かったが、本作品では両者が綿密な打ち合わせを重ねることで、本編と特撮が一体となった映像づくりとなっている。本作品以降、ゴジラシリーズでは「特撮監督」の呼称を廃し、「特殊技術」としている。富山は、本来映画を作り上げるのは1人の監督であるべきだと述べている。絵コンテは、VSシリーズでも特撮絵コンテを手掛けた破李拳竜に加え、VSシリーズや平成モスラシリーズにデザイナーとして参加していた西川伸司も初めて担当した。
VSシリーズではビスタサイズだった画面が、本作品からはフルフレーム撮影された35mmフィルムをシネマスコープサイズに切り出したスーパー35方式となっている。プロデューサーの富山は、できるだけ画面を広く使いたいということと、新たな映画としてスタートするということの一つの現れとして、シネスコサイズの画面になったという。
キャスティングについて富山は、俳優としてのパワーを際立たせることができる人物を求め、全体的に大人っぽいイメージでまとめたと述べており、それぞれ役柄の中で自分の持ち味を発揮し、功を奏したと評している。
篠田雄二役の村田雄浩は、ゴジラシリーズへは3度目の出演となった。大河原は最初から村田のイメージがあったといい、一ノ瀬由紀役の西田尚美ともども庶民派な部分を大事にしたかったと述べている。監督の大河原は髭を生やした村田をイメージキャストで挙げており、特殊技術の鈴木も黄桜酒造のCMに出演していた村田をイメージしていたといい、イメージの時点で符合していたという。
イオ役の鈴木麻由は、本作品が映画初出演であった。
戦車隊隊長役の西村雅彦は、ゴジラを愛好していたことから本作品へ出演したとされ、大河原は楽しんで現場をやってくれる人は歓迎すべきことだと語っている。
番頭役のなぎら健壱は、大河原からの要望により起用された。大河原は、当初なぎらの役どころをUFOが飛来したときに映る下町のおやじと考えていたが、なぎらのキャラクターを最大限に活かすには食い足りないと感じ、急遽番頭の役を設けた。そのため、なぎらの演技はほとんど大河原によるアドリブであった。
1999年6月10日に本編がクランクインし、同年8月11日にクランクアップ。同年6月11日に特撮がクランクインし、同年8月24日にクランクアップした。CG、デジタル合成などのポストプロダクションは同年11月半ばまで続いた。
迫力のある映像構図へのこだわりが見られ、ヘリコプターでの空撮にゴジラを合成するなどCGも効果的に使われた。また、基本的に着ぐるみによって表現されるのが主だったゴジラが水中を泳ぐシーンで、シリーズとしては初のフルCGで描かれた作品でもある。その一方で、根室上陸シーンでは実物大造形物で破壊描写を表現したり、浜辺のゴジラの足跡はパワーショベルで実物大のものを掘削して再現するなど、実写にこだわったシーンもある。
防衛庁の協力もシリーズ最大級のものとなった。検討段階では空母を登場させる案などもあったが、最終的にはリアリティのある兵器描写に留められた。
根室のロケでは霧が出ず、風も強かったためスモークも使用できなかったことから、霧は合成で処理された。大河原によれば、ロケに同行していた合成スタッフが進言してくれたことが助けになったという。実物大の鉄塔は、実際に鉄で作られており、俳優と絡む部分のみ木製となっている。当時の漁船はFRPやグラスファイバーで作られているものがほとんどであったが、本作品の実物大セットは落ちたときにバラバラになるようあえて木製とした。居酒屋のセットでは、建物全体を揺らすために従来のスプリングではなく空気圧式のアクチュエータを用いている。居酒屋がゴジラの尾で壊されるシーンは、ユンボのアームを尾に見立てて実際にセットを壊しており、美術の清水剛はユンボのオペレーターの動作が正確でとても上手かったと評している。
篠田らがトンネルでゴジラに襲われるシーンは、丹沢の韮尾根トンネルで撮影しており、土砂崩れは実際に土でトンネルの片側を埋めている。トンネル内にはスタント用のジャンプ台も設けていたが、撮影時は雨天となり車が思うように進まず、スタントが成功したときには拍手喝采となったという。
F-15Jイーグル戦闘機が由紀とイオの後方から飛んでくるシーンではヘリコプターを使用して強風を起こしている。
ラストシーンでのXビルの屋上セットは、俳優による撮影をスタジオで行った後、ゴジラにより破壊されるギミックを仕掛けたものに飾り変えられ、後からゴジラの顔アップやオルガの大爆発などを合成している。従来の倒壊用セットでは柱をワイヤーで引っ張るという方法が主であったが、この方法では仕掛けが数か所に及ぶうえ倒れない柱も出てしまうため、本セットでは柱に関節を設けて確実に外れる仕様となっている。
ミニチュアセットは、ゴジラの身長設定が変更されたことに伴い1/25スケールとなり、VSシリーズ時代のような全体セットは作ることができず、ビルなど部分的なセットを飾り変えて撮影している。これについては、過去作品のミニチュアが処分されてしまったため、1から作り直さなければならないという事情もあった。鈴木は、セットが狭くなったものの、逆に自由度があってよかったと述べている。シティタワーは、1/25スケールではスタジオに入り切らないため、全体のミニチュアは1メートル大の小型のものとなり、爆破シーンは壊し用のミニチュアを上半分と下半分で別に制作し、それぞれグリーンバックで撮影したものを合成している。
海底での岩塊のシーンでは、鈴木の要望によりマリンスノーをCGで加えている。
音楽は、『ゴジラvsスペースゴジラ』以来2度目のゴジラシリーズとなる服部隆之が担当。東京湾でのゴジラの出現シーンでは、伊福部昭によるゴジラのテーマも用いている。服部は、『vsスペースゴジラ』では曲が軽くなってしまい、伊福部の楽曲と調和が取れていなかったことを唯一の後悔として挙げており、本作品では音色重視の作りとし、前回からの流用もない。
本作品ではゴジラの主題とオルガの主題の2つを楽曲の柱としている。ゴジラの主題は、服部がラッシュフィルムを最初に観た際に浮かんだ旋律を用いている。オルガの主題は、シンセサイザーや打ち込みによるパーカッションを用いて、飛翔感の雰囲気をつけつつ、実態がつかめない漠然としたイメージを表現している。映画音楽評論家の小林淳は、前者について「アクに欠けるが憶えやすい」と評している。
ラストシーンでのコーラスは、大河原からの要望により入れられたもので、服部は構成に迷ったため大河原に判断を委ねたという。
本作品の楽曲について小林は、「表現音楽・状況音楽を細かく配置したウェルメイドな音楽」と評しており、「肩に力が入りすぎた様子もなく、ある種飄々とした仕上がりだった」と述べている。
シリーズ最終作と銘打たれた前作からわずか4年での復活となったが、配給収入は9億円で、平均17億円であったVSシリーズにはおよばず、正月映画の目標である10億円にも届かなかったことから、富山省吾はとても厳しい結果であったことを語っている。富山によれば、ゴジラファンからの評価は得られたものの、ゴジラを知らない幼児層が「恐いから観たくない」と述べていたことにショックを受けたといい、制作側がゴジラを誰もが観たがっているという想定で制作したのが大きな過ちであったと述懐している。
アメリカでは『ゴジラ』(1984年)以来15年ぶりに劇場一般公開されたゴジラシリーズ作品となった。北米2,111館で上映され、全米のマスコミからは「これぞ、エンターテイメント。ビッグな奴が帰ってきた!」などと評されたが、興行的には振るわず、最終的な興行収入は約1,000万ドルとなった。また、劇中のBGMが多数変更されているうえ、セリフもスラングを多用したり改変が行なわれたりしている。米国公開版は、後に日本でもデーブ・スペクター総監修による日本語字幕スーパー版としてお台場シネマメディアージュで2000年11月11日から17日まで、1週間の特別興行が行われた。
書籍『ゴジラ大辞典』では、片桐やオルガを「科学の傲慢」の象徴と捉え、ゴジラがこれを打ち砕くことで、人間の兵器に負けるゴジラを描いた『GODZILLA』に対するアンチテーゼであると解釈している。
いずれも東宝ビデオより発売。
脚本を担当した柏原・三村の両名によりノベライズされている。
映画の登場人物を深く掘り下げた内容となっており、またミレニアンが如何にして地球にたどり着いたかが詳しく説明されている。反面、東海村での戦いまでに多くの紙幅が割かれており、それ以降の展開はほとんど描写されない。
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