
山王(さんのう)は、東京都大田区の町名。現行行政地名は山王一丁目から山王四丁目。郵便番号は143-0023。
東京都大田区の北東部に位置する。北辺は品川区西大井・品川区大井にそれぞれ接する。東辺はJR東海道線の線路に接し、品川区南大井・大田区大森北にそれぞれ接する。南辺は環七通りに接し、これを境に大田区中央に接する。西辺も環七通りに接し、これを境に大田区南馬込に接する。北西端は大田区東馬込に接する。なお、現在、池上通り拡幅を含めた大森駅西口再開発計画がある。
町域内を南北に池上通りが通っている。町域東部は大森駅の西口にあたり、駅周辺は商店やビルが立ち並ぶ。他に池上通りやジャーマン通りなど幹線道路沿いにはビルや商店が並んでいる、そのため多くの商店街組合が形成されている。
池上通りの裏、駅前の傾斜を下ったところにある山王小路飲食店街は、かつて雨が降ると坂を上がれないことから地獄谷と呼ばれており、昭和の香りを色濃く残す飲食店が並んでいる。高台地区は、基本的に第一種低層住居専用地域に指定されており、低層住宅地となっている。
住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、山王3-34-3の地点で59万1000円/m2となっている。
かつては文化人や実業家、政治家の邸宅が並ぶ住宅地であった。江戸時代は平間街道(現池上通り)ぞいの宿場町として新井宿(現在の中央)と称した。大森駅前の山側は将軍家の御狩場で低地部は田畑となっていた。
明治5年に鉄道が開通し(新橋~横浜間)、大森停車場が開業(明治9年)すると、多くの外国人が移り住み、開発が始まった。また、その列車に乗車していたエドワード・S・モースがこの地域(実際は隣接する品川区大井が有力とされている)にある貝塚を発見、現在は大森貝墟の石碑が建てられている。
明治20年には大森八景園が開業し、京浜の新名所となる。その後、大森ホテルや望翠楼ホテルを中心に別荘地として栄えたが、大正12年の関東大震災後は安全利便な郊外住宅地として人気を博し、各界の名士が移り住んだほか、独逸学園が横浜より移転し(1991年閉校)、現在もジャーマン通りの名称にその名残を残す。
明治22年に本郷より日本帝国小銃射的協会が移転し、約15,000坪の土地に射的場を建設。その後、敷地内にテニスコートを設置し、大正12年には「大森庭球クラブ」が開設された。射的場は鶴見に移転し、敷地の過半が住宅地として分譲されたが、テニスコートは残り、「大森テニスクラブ」として存続している。
また、昭和初期には時代を代表する文学者が数多く集まり、馬込文士村の一角を形成した。
かつてのお屋敷街も現在では相続等により分割され、往時を偲ばせる洋館は年々少なくなっている。
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
町域東部に京浜東北線大森駅がある(大森北に所在)。他に、大森駅から各方面通じているバス路線の利用もある。
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