重要な事件に関するこうした歌は、時にはその事件の直後に歌われた。たとえば、ロンスヴォーの戦い(Battle of Roncevaux Pass)でのさして有名でもない待ち伏せ攻撃で斃れた人々の名前を、事件から60年後の誰もが知っていたという当時の記録がある。元々の小事件が、伝説(現在『ローランの歌』として知られている様々なヴァージョンの中にある)として大きくなったことを示している。また、ギヨーム・ド・ティールの『Historia Transmarina』(10.20)、およびノジャンのギベール(Guibert of Nogent)の『Gesta Dei per Francos』の中には第1回十字軍をテーマにした当時の歌のことが言及されていて、現存する『アンティオキアの歌』(Chanson d'Antioche)の作者Graindor de Brie(活躍:1170年頃)によると、ジョングルールや遠征に参加したRichard le Pèlerinの作品から引いてきたということである。スペイン文学の『わがシッドの歌』は当時はスペインでも似たような物語の伝統があったことを示している。
1215年頃、ベルトラン・ド・バール=シュル=オーブ(Bertrand de Bar-sur-Aube)はその『ジラール・ド・ヴィエンヌ』(Girart de Vienne)の序文の中で、武勲詩が扱う「フランスもの」(Matière de France)を、3人の主要人物にまつわる3つのサイクルに分割した(カロリング・サイクル。詳細は後述)。武勲詩、あるいはそこに取り入れられた伝説は他にもあり、『Des Deux Bordeors Ribauz』という題名のファブリオーの中には、ジョングルールが自分の知っている話をリストに加えたという13世紀後半のユーモラスな逸話が書かれている。他には、カタルーニャ(カタロニア)のトルバドゥール、Guiraut de Cabreraのユーモラスな詩『Ensenhamen de Cabra』がある。これはその冒頭の言葉から"Cabra juglar"として知られている。本人が知っているのが当然なのにそうでない詩を書くjuglar(フグラール。ジョングルールのこと)に当てて書いた教訓詩である。
王のジェスト(Geste du roi)は、シャルルマーニュ、またはその直後の後継者を主人公とするもの。全体にわたるテーマは、キリスト教の擁護者としての王の役割である。この中には最初に書きとめられた武勲詩『ローランの歌』も含まれる。
ローランの歌(La Chanson de Roland。最初に書かれたヴァージョンのオックスフォード・テキストは1080年頃) - オック語版の『Ronsasvals』、中高ドイツ語版の『Ruolandsliet』、ラテン語版の『Carmen de Prodicione Guenonis』など、複数のヴァージョンが存在する。前編と続編は以下の通り。
スペイン侵攻(14世紀)
Galiens li Restorés - 1490年頃の1冊の写本から見つかった。
アンセイス・ド・カルタージュ(Anseïs de Carthage。1200年頃)
シャルルマーニュの巡礼(Le Pèlerinage de Charlemagne。1140年頃。15世紀に2つの改訂版がある) - シャルルマーニュとその騎士たちのエルサレムならびにコンスタンティノポリスへの架空の冒険を描いたもの。
フィエラブラ(Fierabras。1170年頃)
アスプレモン(Aspremont。1190年頃) - 後のヴァージョンはAndrea da Barberinoの同名のものをベースに作られた。
Aiquin
サクソン人の歌(La Chanson de Saisnes。1200年頃。ジャン・ボデル作)。作品を Matière de France など話材ごとに分類する試みは、この詩の冒頭部が嚆矢である。
ユオン・ドーベルニュ(Huon d'Auvergne) - 消失。16世紀に改作。Guiraut de Cabreraの『Ensenhamen』の中の叙事的英雄の中で言及され、『Mainet』の登場人物でもある。
ガラン・ド・モングラーヌのジェスト
ガラン・ド・モングラーヌのジェスト(La Geste de Garin de Monglane)の中心人物はガラン・ド・モングラーヌではなく、その曾孫とされるギヨーム・ド・ジェローヌ(またはギヨーム・ドランジュ。Guillaume de Gellone)。世継ぎではない若い息子たちである騎士たちが、反キリスト教(実際にはイスラム教)との戦いを通して、土地と栄光を得ようとする。
ギヨームの歌(Chanson de Guillaume。1100年頃。佐藤輝夫による邦訳が、訳者代表 呉茂一・高津春繁『世界名詩集大成 1 古代・中世篇』 平凡社 1963年に所収)
ロキフェールの戦い(Bataille Loquifer。韻文版10写本の成立は13世紀前半から14世紀前半まで。D 写本によれば、ジャンドゥー・ド・ブリー Jendeus de Brie の作。『アリスカン』において、ギヨームの片腕としてサラセン軍に対する勝利に貢献したレヌアールが主人公。レヌアールはアリスカンでの戦闘後にルイ王の娘と結婚する。彼は異教徒側の巨人ロキフェールと戦う)
レヌアールの出家(Moniage Rainouart。12世紀末~13世紀初め。Graindor de Brie作。アリスカンでの戦いの大立者レヌアールは修道生活に入っていたが、その生活に馴染めないでいた。再びギヨームに向かってきた異教徒軍を迎え撃つ戦いに呼び出されレヌアールはサラセン軍の巨人ガディフェールを一騎討で打ち負かす)
Foulques de Candie(活躍期:1170年頃の Herbert le Duc of Dammartin作)
シモン・ド・プッリャ(Simon de Pouille) - 架空の東方冒険譚。主人公は Garin de Monglane の孫と言われる。
エメリ・ド・ナルボンヌ(Aymeri de Narbonne。ベルトラン・ド・バール=シュル=オーブ作。エメリはギヨームの父)
ジラール・ド・ヴィエンヌ(Girart de Vienne。ベルトラン・ド・バール=シュル=オーブ作) - 『Hernaut de Beaulande』、『Renier de Gennes』と一緒に後の短編ヴァージョンも見つかっている。
Les Enfances Garin de Monglane(15世紀)
Garin de Monglane(13世紀)
Hernaut de Beaulande(14世紀の断片と後世のヴァージョン)
Renier de Gennes
ギヨームの少年時代(Enfances Guillaume。1250年以前)
ナルボンヌ人(Les Narbonnais。1205年頃。『Le département des enfants Aymeri』、『Le siège de Narbonne』の2部。
ヴィヴィアンの少年時代(Enfances Vivien。1205年頃)
ヴィヴィアンの武勲(Covenant Vivien または Chevalerie Vivien)
Le Siège de Barbastre(1180年頃)
Bovon de Commarchis(1275年頃) - アドネ・ル・ロワによる改訂版。
Guibert d'Andrenas(13世紀)
La Prise de Cordres(13世紀)
エメリ・ド・ナルボンヌの死(La Mort Aymeri de Narbonne。1180年頃)
Les Enfances Renier
ギヨームの出家(Moniage Guillaume。1160年 - 1180年)
ドーン・ド・マイヤンスのジェスト
ドーン・ド・マイヤンスのジェスト(Geste de Doon de Mayence)は王権に対する大逆と謀反を扱っている。どの作品も反逆者の敗北で反乱は終結し、反逆者は後悔する。
ジラール・ド・ルシヨン(Girart de Roussillon。1160年 - 1170年) - 主人公ジラールは『ジラール・ド・ヴィエンヌ』にも登場し、その中ではGarin de Monglaneの息子とされている。続編がある。
Auberi le Bourgoing
ジラール・ド・ヴィエンヌ(12世紀末)
ルノー・ド・モントヴァンまたはエイモンの4人の息子(Les Quatre Fils Aymon)(12世紀末)
アンティオケの歌(Chanson d'Antioche。Richard le Pèlerinが1100年頃に始めた。現存するもので最も古いものはGraindor de Douai作の1180年頃のもの。14世紀に拡大版)
Les Chétifs - 隠者ピエールに率いられた貧しい十字軍参加者たちの(ほとんどが架空の)冒険譚。主人公はアルパン・ド・ブールジュ。このエピソードは最終的に1180年頃Graindor de Douaiが『アンティオケの歌』改訂版の中に組み込まれた。
Matabrune - Matabruneとゴドフロア・ド・ブイヨンの曾祖父の話。
Le Chevalier au Cigne - ゴドフロア・ド・ブイヨンの祖父エリアスの話。オリジナルは1192年頃に作られ、後に延長され、いくつかの拡大・分岐した。
Les Enfances GodefroiまたはChildhood exploits of Godefroi - 少年時代のゴドフロア・ド・ブイヨンとその3人の兄弟の話。
エルサレムの歌(Chanson de Jérusalem)
ゴドフロア・ド・ブイヨンの死(La Mort de Godefroi de Bouillon) - まったく非歴史的な物語でエルサレム総主教によってゴドフロアは毒を盛られる。
Baudouin de Sebourg(14世紀初期)
Le Bâtard de Bouillon(14世紀初期)
その他の武勲詩
Gormont et Isembart
Ami et Amile - 続編がある。
ジュールダン・ド・ブライ(Jourdain de Blaye)
Beuve de Hanstonne - 関連した詩がある。
Daurel et Beton - 古フランス語版の存在が推定されるが消失している。物語は1200年頃のオック語版で知られている。
Aigar et Maurin
Aïmer le Chétif - 消失。
Aiol(13世紀)
遺産と適用
武勲詩が創造した一群の神話は、ジャンルそれ自体の創造的な力が潰えた後もなお生き続けた。トルクァート・タッソのイタリア語叙事詩『リナルド』(1562年)、ボイアルドの『恋するオルランド』(1495年)、アリオストの『狂えるオルランド』(1516年。といった作品は、最初に武勲詩に登場したシャルルマーニュの12勇士たちの伝説に基づいたものである。また、そこに描かれた事件や筋はエドマンド・スペンサーの『妖精の女王』といったイギリス文学作品の核になった。スペンサーは、カトリック教会に対するプロテスタントの勝利の代わりに、イスラム教に対するキリスト教の勝利を語るために創案された形式を適用しようと試みた。一方、ドイツの詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(Wolfram von Eschenbach)はギョーム・ド・ジェローヌの生涯を、その未完の叙事詩で78冊の写本から成る『ヴィルハルム』(13世紀)の基礎にした。さらに武勲詩はアイスランドのサガ『Karlamagnús』にも記録されている。