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リンゼイ・ダベンポート


リンゼイ・ダベンポート


リンゼイ・ダベンポートLindsay Davenport [líndzi dǽvənpɔ̀ːrt], 1976年6月8日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州パロスベルデ出身の女子プロテニス選手。身長189cm、体重79kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

4大大会では女子シングルスで1998年全米オープン、1999年ウィンブルドン、2000年全豪オープンの3冠を獲得したが、女子ダブルスでも1996年全仏オープン、1997年全米オープン、1999年ウィンブルドンで3度の優勝がある。WTAツアーでシングルス55勝、ダブルス38勝を挙げた。

2014年国際テニス殿堂入り。

来歴

ダベンポートの両親はバレーボール選手で父のウィンク・ダベンポートは1968年メキシコ五輪に出場している。リンゼイは5歳からテニスを始め1992年全米オープンジュニアで単複優勝を果たしている。

1993年2月に16歳でプロ入り。翌1994年、年間最終ランキング上位16名が出場可能な女子テニスツアー年間最終戦、WTAツアー選手権(当時の名称は「バージニア・スリムズ選手権」)に初出場し、いきなりガブリエラ・サバティーニとの決勝戦まで進出した。1996年アトランタ五輪の女子シングルス決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオを 7-6, 6-2 で破り、金メダルを獲得する。

1998年、全米オープンで4大大会女子シングルス初優勝を達成。決勝でマルチナ・ヒンギスを 6-3, 7-5 で破り、1986年全仏オープンのクリス・エバート以来12年ぶりに、アメリカ合衆国出身の女子テニス選手として優勝を飾った。その1ヶ月後、1998年10月12日付で初の世界ランキング1位になる。全米オープン女子シングルスで初優勝した1998年、ダベンポートはナターシャ・ズベレワとペアを組んですべての4大大会女子ダブルス決勝に進出したが、4大会ともヒンギスのペアに敗れて準優勝に終わった。その結果、ヒンギスの1998年度「女子ダブルス年間グランドスラム」が成立した。

1999年ウィンブルドンで、ダベンポートは決勝でシュテフィ・グラフを 6-4, 7-5 のストレートで破って優勝した。この大会ではコリーナ・モラリューとペアを組んだ女子ダブルスでも優勝し、単複2冠を獲得している(グラフは決勝戦の終了後、このウィンブルドン選手権を最後の4大大会出場にすると宣言し、1ヶ月後の8月13日に現役を引退した)。2000年全豪オープン決勝ではマルチナ・ヒンギスを 6-1, 7-5 で破り、ヒンギスの全豪4連覇を阻止した。こうしてダベンポートは4大大会3冠王となったが、同年のウィンブルドンと全米オープンの決勝でビーナス・ウィリアムズに2連敗を喫してしまい、しばらくウィリアムズ姉妹の後塵を拝することになった。

2004年ウィンブルドン準決勝でマリア・シャラポワに敗れた後、一時は引退を示唆する発言をしていた。しかし直後の全米オープン前哨戦の大会(ハードコート)で好成績が続き、世界ランキング1位に返り咲いたため、引退を翻意する。2005年全豪オープンで5年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、セリーナ・ウィリアムズに逆転負けして準優勝に終わる。同年のウィンブルドンでも5年ぶり3度目の決勝に進出するが、今度はビーナス・ウィリアムズに敗れ、またしてもウィリアムズ姉妹に優勝を阻まれた。

2003年4月25日に結婚した夫のジョナサン・リーチは元プロテニス選手で、かつてのダブルスの名選手であったリック・リーチの末弟であり、その後投資銀行勤務のビジネスマンになった人である。ダベンポートは2006年12月に妊娠のため出産休養に入ったが、2007年6月10日に第1子の長男を出産した後、ツアー復帰を宣言した。9月16日、インドネシア・バリ島大会のシングルス決勝でダニエラ・ハンチュコバを破り、復帰第1戦を優勝で飾る。出産からの復帰後、彼女はツアーでシングルス4勝・ダブルス1勝を加え、2008年北京五輪の女子ダブルスにもリーゼル・フーバーとのコンビで出場した。2008年全米オープン3回戦でマリオン・バルトリ(フランス)に敗れた試合を最後に、ツアーから再度遠ざかり2009年6月、彼女は第2子の長女を出産した。

2010年7月にダベンポートはスタンフォード大会のダブルスでリーゼル・フーバーと組んで優勝した。8月のサンディエゴ大会のダブルスに出場したのが最後の公式戦出場になっている。その後ダベンポートは2012年1月に第3子の次女を、2014年1月に第4子の三女を出産した。

4大大会で唯一優勝がない全仏オープンでは、1998年のベスト4が自己最高成績である。

ダベンポートは2014年に国際テニス殿堂入りを果たした。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 94回 (55勝38敗)

ダブルス: 61回 (38勝23敗)

4大大会優勝

  • 全豪オープン 女子シングルス:1勝(2000年) [女子シングルス準優勝1度:2005年/女子ダブルス準優勝6度:1996年-1999年・2001年・2005年]
  • 全仏オープン 女子ダブルス:1勝(1996年) [女子ダブルス準優勝2度:1994年・1998年]
  • ウィンブルドン 女子シングルス:1勝(1999年)/女子ダブルス:1勝(1999年) [女子シングルス準優勝2度:2000年・2005年/女子ダブルス準優勝1度:1998年]
  • 全米オープン 女子シングルス:1勝(1998年)/女子ダブルス:1勝(1997年) [女子シングルス準優勝1度:2000年/女子ダブルス準優勝1度:1998年]

4大大会シングルス成績

略語の説明

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

: 2008年ウィンブルドン2回戦の不戦敗は通算成績に含まない

脚注

外部リンク

  • リンゼイ・ダベンポート - WTAツアーのプロフィール (英語)
  • リンゼイ・ダベンポート - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール (英語)
  • リンゼイ・ダベンポート - 国際テニス連盟
  • リンゼイ・ダベンポート - 国際テニス殿堂のプロフィール (英語)
  • リンゼイ・ダベンポート (@LDavenport76) - X(旧Twitter)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: リンゼイ・ダベンポート by Wikipedia (Historical)