BEGIN(ビギン)は、日本のアコースティック・バンド。1988年に沖縄県石垣島出身の比嘉栄昇、島袋優、上地等の3人で結成され、1990年にデビュー。『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場した。1990年のデビュー後、「涙そうそう」や「島人ぬ宝」などヒット曲を世に送り出し、『NHK紅白歌合戦』に出場した。
所属事務所はアミューズ。レコード会社はImperial Records。
※担当楽器の記載は公式サイトの表記に準拠。
沖縄県石垣島出身の幼なじみ3人が、東京で結成。結成当初はハードロックを演奏していたが、下手だと指摘し、のちにブルース調の楽曲を作るようになる。
1989年9月2日、TBS系オーディション番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天)にエントリーナンバー6番で出場。登場時トークではウチナーグチの発音にツッコミを入れられる、上地が「植木等と一字違いだ」と名前をネタにされるなど地方からの一参加者の扱いであったが、「恋しくて」を演奏した後評価は一転、主として歌詞の面で審査員全員の絶賛を受ける。グーフィー森は、手放しで「好き」と言い切り、中島啓江は「詩が少なくても表している」伊藤銀次は「気持ちよくてまだこのあたり(首)痺れてる」と一言の意見もつけずに絶賛した。三宅裕司には「こういうバンドがチャレンジャーになったら比べるのが大変ですね、イカ天キングと」と評された。この週は2代目グランドイカ天キングに挑戦したNORMA JEANのファイナルステージであったが、結果的にNORMA JEANを倒して12代目イカ天キングとなる。
グランドイカ天キングを阻止されたNORMA JEANが番組終了後にメンバー全員で泣いていたことを、BEGINは、今でも申し訳なく思っているらしく、2007年の『イカ天2007復活祭』においても心情を語っている。なお、イカ天出場が決まった日に比嘉栄昇の祖母が亡くなっている。葬式のため沖縄に戻ったとき、もう東京に戻るなと言われていたが、イカ天出場が決まっていたため、番組出場のためだけに勝つ気もなく東京に出てきたところ、本人たちも予期せぬ大人気となった。
番組史上初のグランドキングチャレンジ阻止バンドとなったBEGINは生島ヒロシが司会を務めた9月9日の2週目で「心ゆくまでブルース」を演奏。ポキールらを倒して勝ち上がったヴィンテージ(楽曲は「DRIVIN' GUITARS」。ベンチャーズ風の四人組でキャラクター賞を受賞)を、翌週9月16日には「Wonderful Tonight」でC-BA(エントリーナンバー5番。楽曲は「旅でスカ」。ベストヴォーカル賞を受賞)を倒して3週目を突破。4週目9月23日には「No Money Blues」を演奏。チャレンジャーunbelievable worldを退けた。なお、この3週の間には前述のポキールほか、アブドラ・ザ・ブッチャーは是非ともスポーツ平和党、マリア観音も登場している。
彼らが勝ち抜くたびに、地元の石垣島は盛り上がり、宴席でイカ天を見る地元の人々の姿が番組内の特集コーナーで放映されたこともあった。
9月30日、「Lonely Night」で最後のチャレンジャーPSYCHO(楽曲は「いつかみた青い空」)を倒し、2代目グランドイカ天キングを勝ち取った。
この時期のBEGINの楽曲は、次の対戦が決まるたびに1週間かけ仕上げてきたものばかりだった。
1990年3月21日にプロデビュー。デビュー曲の「恋しくて」は、日産自動車のコマーシャルソングにも採用された。この曲でオリコン4位を記録する。1996年、アステル東京のPHS・コマーシャルソングに「声のおまもりください」が採用されスマッシュヒット。
2001年より沖縄慰霊の日の翌日を「うたの日」として『うたの日コンサート』を始める(2007年より『うたの日カーニバル』と名称を改め、この年より入場無料になった。2009年のうたの日カーニバル2009に明石家さんまがゲストで参加した結果、5万人程の観客が訪れてしまいパニックに、翌年から有料に戻す)。2011年、当初は6月25日の予定だったが台風のため中止され、翌日急遽、代わりのライブ「石垣島うたの日「はっさもー、メアリーよ〜!」」を開いた。その翌年、6月30日にBEGINの出身地でもある石垣島で初めて開催された。
2005年、デビュー15周年を記念し、初めての日本武道館および大阪城ホールにて記念コンサートを開催。大阪城ホールでのコンサートはトラブルにより延期となるが、代わりに大阪城ホールコンサートの予定日に万博記念公園にて1500円という破格で親子連れOKの野外コンサートを開催した。
事務所アミューズの先輩であるサザンオールスターズの桑田佳祐の呼びかけにより、2006年8月26日・8月27日の両日開催された『THE 夢人島 Fes.2006』に参加。『おきなわのホームソング』を中心となって制作し、2007年4月から琉球放送で放送されている。
デビュー20周年を迎え、「第二の故郷」である大阪を選び、2010年3月21日、大阪城ホールで「BEGIN20周年記念歌えるだけで丸もうけ大阪城ホールコンサート」を開催した。
BEGINデビュー25周年当日の2015年3月21日に地元石垣島で「BEGIN25周年記念音楽公園 石垣島で会いましょう」を開催。
2018年夏、新曲2曲「バンドを組もうよ」と「飛んで火に入る腹の虫」を配信。「バンドを組もうよ」は、『ラジオ深夜便』深夜便のうたとして放送され、「飛んで火に入る腹の虫」は、NHK BSプレミアムの単発ドラマ『戦争めし』のエンディングテーマとして使用された。
2019年10月16日にBEGIN30周年記念ベストアルバム『ガジュマルベスト』を発売。
誰でも簡単に弾けるのが特徴のギターと三線を合体させたようなオリジナル弦楽器「一五一会」(いちごいちえ)を作成し、セルフカヴァー、洋楽、スタンダードなど収めたアルバム『一五一会』シリーズを発表した。シリーズには通常の『一五一会』、廉価版の『音来(にらい)』、さらに小ぶりになった丸型の『奏生(かない)』が存在する。『奏生』は外観がウクレレにそっくりであるが、調弦方法は全く異なる。
福山雅治と「年齢」「所属事務所(アミューズ)」「デビュー年月日」「東京に出てきた年齢」が全く同じである。このため、お互いの親交も深く福山は自身のラジオ番組にBEGINがゲスト出演した際に「俺は4人目のBEGINだ」と言ったり、福山が沖縄に行った際にはふらりと比嘉の実家を訪ねたりしている。
夏川りみとは、同郷で古くからの知己。夏川の姉とBEGINメンバーが同級生という間柄でもある。後に夏川が森山良子作詞・BEGIN作曲の「涙そうそう」をヒットさせる。森山・BEGIN・夏川の3組でのコンサート・歌番組の出演も多い。
『ロンドンブーツ1号2号のオールナイトニッポン』のコーナー「イメージ3・2・1」で比嘉はYOU THE ROCK★と人気を二分するほど1位にされることが多かった有名人だった(ただし大半の表記が名前ではなく「BEGINのボーカル」だった)。なお、BEGINが『ロンドンブーツ1号2号のオールナイトニッポン』にゲスト出演したこともある。
津波信一と家が非常に近いので、よく一緒に飲んでいる。
イカ天への出場は、バンド活動を開始しても、ライブハウスに訪れるのが、知人が数名程度の惨状で、そんな中で冗談のつもりで比嘉がイカ天に出場しますと発言したものが、広まってしまって収拾がつかなくなり、せめて応募だけでもすれば嘘にはならないよねと、応募したところ審査が通り、まさかの展開となった。因みに応募だけで終わってたら出場しますは結局嘘だったので、応募した事自体が奇跡である。
2001年以降、上地と島袋が東京住まいで比嘉のみ沖縄(沖縄本島への移住を経て2014年より故郷の石垣島在住)で生活している状態が続いていた。そのためアルバム制作時やツアーの時はどちらかが一旦東京か沖縄にいかなければならず、比嘉はそのことを冗談交じりに語ることがある。なお、バンドのアルバム制作は東京での作業が中心であるが、『Ocean Line』はFM沖縄の一室を借り切って録音された。なお、2023年時点では島袋が沖縄本島に移住していることが判明している(参照)。
本人たち曰く、知名度の割にはCDの売上が少ないそうである。テレビ番組「さんまのまんま」(2009年6月放映分)では、そのことを延々愚痴り、ホストの明石家さんまは「CD買ってあげて」と何度か発言した。
東日本大震災による津波で流され、2012年12月に故郷近くの西表島で発見された郵便ポストを元の設置場所である宮城県南三陸町歌津地区に届けた。このポストがテーマの新曲「歌津さきてけさい」を書き下ろした3人は、2013年8月11日に「歌津復興夏祭り」で同曲を初披露。
比嘉の息子の舜太朗は6歳からドラムを始め、ミュージシャンとして沖縄本島でバンド「HoRookies」のドラム&ボーカル、石垣島でアコースティックユニット「Selsati」などで活動している。
また、『2008年FNS27時間テレビ』で、「笑顔のまんま」を作詞・作曲している。
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