豊島区(としまく)は、東京都の区部北西部に位置する特別区。
面積は13.01平方キロメートルで、東京23区のうち18番目。都内有数の繁華街の一つである池袋などを擁する。周囲は全て東京都の他区で、北は板橋区と北区、東は文京区、南は新宿区、西は中野区と練馬区に接する。
交通・経済・行政の中心は池袋であり、新宿や渋谷と並ぶ東京の三大副都心として発展している。巨大ターミナル駅である池袋駅周辺は、東口・西口ともに百貨店などの大型商業施設や飲食店が集まる繁華街になっている。高層ビルもあり、東池袋にはサンシャイン60(サンシャインシティ)と旧豊島区役所跡地を再開発したHareza Towerを中核としたHareza池袋があり、南池袋にはタワーマンションと一体化した区役所新庁舎が所在する。池袋駅西口では三菱地所による「池袋駅西口地区再開発事業」が計画されており、超高層ビル3棟が建設される予定となっている。
このほか立教大学、学習院大学、川村学園女子大学、東京音楽大学、東京国際大学といった大学キャンパス、「おばあちゃんの原宿」として知られる巣鴨、高級住宅街・文教エリアの目白、多くの著名人が眠る雑司ヶ谷霊園や慈眼寺、染井霊園など、区内には様々な表情を持つエリアが存在する。
1965年度の国勢調査の結果、日本一の人口密度の地方自治体になった(前回調査までの1位は東京都台東区)[1]。2005年の国勢調査では、東京都中野区に次いで国内第二位となったが、2010年の調査で再び人口密度日本一となった。2014年に日本創生会議から東京23区で唯一の「消滅可能性都市」に選出された。このことに危機感を覚えた区は区長主導で豊島区消滅可能性都市緊急対策本部を設置し、持続発展都市に向けた再開発や取り組みを行なっている。2020年には東京の自治体として初めて内閣府より「SDGs未来都市」「自治体SDGsモデル事業」の両方に選定された。
2015年の夜間人口(居住者)は291,167人であり、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は417,146人である。
2014年5月8日、日本創成会議の人口減少問題検討分科会で発表された「2040年における消滅可能性都市」において、豊島区は東京都区部で唯一ランクインした。この集計は、20歳から39歳までの豊島区に居住する女性人口に着眼し、女性居住人口が2040年に50パーセント以下になる市区町村を、国立社会保障・人口問題研究所による人口流出の統計を、日本創成会議が独自に集計して公表したものである。
そのため豊島区は、定住人口を増やすため様々な方策をとり、2018年には40年ぶりに人口29万人を突破した。
合計特殊出生率も0.99と回復傾向を示しているが、人口減少の克服は日本全体の課題という認識のもと、「女性にやさしいまちづくり」「地方との共生」「高齢化への対応」「日本の推進力」の四つの方針を柱とし、安全・安心なまちづくり、文化の多様性を活かした国際アート・カルチャー都市づくりなど、持続発展都市を目指した取組みを進めている。
日本の国花であるサクラの代表的な品種であるソメイヨシノは、現在の駒込から巣鴨の旧染井村が発祥。染井の植木屋が江戸時代後期、交配して生み出した新種がソメイヨシノである。旧染井村では鉢植えをつくることが盛んで、ここでつくられた植木や盆栽は、花売りによって江戸中に運ばれていた。1860年(万延元年)に染井を訪れた英国人植物学者ロバート・フォーチュンはその種類の多さに驚き、世界一とのお墨付きを与えている。また霧島ツツジも多くつくられ、JR駒込駅の土手が春になるとツツジでいっぱいになるのは、その名残である。
北豊島郡に属する4つの町が合併して東京市に編入される時に、郡名からこの名前が採用された。ただし、豊島区の前身である4町は北豊島郡の一部に過ぎず、元々の北豊島郡は現在の北区から練馬区にかけての広い範囲を含んでいた(右図)。本来の郡の中心地は板橋町であったが、東京市に隣接する4町が郡内で最も発展した地域であったため、4町の区域が「豊島区」と名付けられた。
さらに元を辿ると、北豊島郡はかつての武蔵国豊島郡の一部であり、「豊島」が指す範囲はより一層広かった。古代豊島郡の郡衙は現在の北区に置かれ、中世には現在の北区を発祥とし、石神井川流域を本拠地とする桓武平氏の豊島氏が豊島郡を治めた。豊島という町名が豊島区ではなく北区にあったり、同じく「としまえん」(2020年に閉園。豊島氏の城の一つ練馬城の跡地)が練馬区にあったりしたのはそのためである。なお、豊島氏は1477年に江古田・沼袋原の戦いで太田道灌に敗れて滅亡した。
東京市による最初の区名原案は「池袋区」(いけぶくろく)だった。その後区名案が「目白区」(めじろく)に変更され、その後各所から寄せられた様々な陳情を受け、東京府会に於いて「豊島区」と再変更され決定された。
豊島区では全域で住居表示を実施済であるる。以下は住居表示実施後の町名と、当該住居表示実施直前の旧町名の一覧である。旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。
自動車のナンバープレートは練馬ナンバー(東京運輸支局)を割り当てられている。練馬ナンバー割り当て地域は以下の通りである。
市街地再開発プロジェクトが複数計画されている。「豊島区の超高層建築物・構築物の一覧」も参照。
豊島区はフクロウ、ミミズクを区のシンボルの鳥としており、区内各所にオブジェなどを設置している。
豊島区雑司が谷の郷土玩具すすきみみずくにまつわる伝承によれば、かつて病気の母を持つ娘が、雑司ヶ谷の鬼子母神のお告げを受け、ススキの穂でミミズクを作り、それを売った金で、母のための薬を買ったといわれる。この伝承や、歌川広重による浮世絵『江戸高名会亭尽 雑司ヶ谷の図』にも「すすきみみずく」が描かれていることから、豊島ふくろう・みみずく資料館(豊島区南池袋)の館長である池沢清治は、フクロウについて「江戸の昔から縁がある」と話している。また池沢は、豊島区の形が羽を広げたフクロウに似ていることや、JR埼京線と東武東上線の分岐点が頭部から突き出た羽にも見えることも、豊島区とフクロウの関連性に紐づけている。
豊島区立舞台芸術交流センターの愛称を「あうるすぽっと」(あうる=owlはフクロウの英名)としているほか、区制70周年記念キャラクターとして2002年にフクロウの「としま ななまる」を制定した。
2012年には、東京都豊島区と栃木県那珂川町の間で、観光と文化面で交流を図る観光交流協定「ふくろう協定」が締結された。当時の豊島区長である高野之夫の父親が茨城県常陸大宮市出身であり、フクロウ神社として知られる鷲子山上神社(茨城県と栃木県との県境)を知っていたことなどから、フクロウの縁として交流話が持ち上がったことによる。池袋駅西口駅前のフクロウ像「えんちゃん」を設置してから1周年を記念した「ふくろうフェスティバル」が同2012年3月に開催され、それに合わせ、高野区長と那珂川町長の大金伊一が出席して、えんちゃんの前で協定調印式が行われた。文化や観光を軸として、官民で交流を進めていくことが目指されている。
2018年にはフクロウを擬人化したキャラクターのコンテストで最優秀作を決め、池袋エリアのPRアニメーション作品の制作を決定。池袋に基幹店を置くアニメイトと協力して完成させ、2019年に公開した。
池袋駅の一日の乗降客数は約268万人(2018年度)で、新宿区の新宿駅に次ぐ世界第2位である。 東日本旅客鉄道(JR東日本)
東京地下鉄(東京メトロ)
東京都交通局
東武鉄道
西武鉄道
埼京線板橋駅はホームが豊島区に架かっているが、所在地は北区である。また、東武東上線下板橋駅の所在地は板橋区ではなく豊島区である。
以上の各事業者が路線バスを運行しているほか、コミュニティバス「IKEBUS」がある。また池袋駅前は東北地方から関西にかけての各地との高速バスが発着する。
上記のように鉄道・バス網が発達しているとはいえ、道路が狭くバスの乗り入れにくい木造住宅密集地域もあり、自家用車を持たない、長距離を歩くことが難しいといった交通弱者の問題は豊島区にも存在している。200メートル圏内に鉄道駅もバス停留所もないという区独自の定義による「交通弱者の公共交通不便地域」は全体の36%を占めており、豊島区は民間と協力して乗り合い輸送の実証実験を行なっている。
都立
私立
区立
私立
区立
私立
池袋のような商業エリア、繁華街を擁する。外国人を含む観光客の誘致に力を入れており、2018年には観光情報サイト「タイムアウト東京」運営会社と提携。2019年には各種イベントを行う「東アジア文化都市2019豊島」を開催する予定である。
東武東上線や西武池袋線、埼京線など北・北西方面に向かう路線が多数走っていることから埼玉県、東京都北西部、北東部まで巨大な商圏を形成している。2021年春の日経リサーチによる「商業施設の利用実態調査(首都圏版)」によれば、首都圏の商業施設で集客力1位が西武池袋本店、4位がサンシャインシティ、7位が東武百貨店池袋本店と、トップ10のうち3つが池袋地区の商業施設である。
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