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藤枝MYFC


藤枝MYFC


藤枝MYFC(ふじえだマイエフシー、英: Fujieda MYFC)は、日本の静岡県藤枝市、島田市、焼津市、牧之原市、吉田町、川根本町をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要

2009年に創設。2010年に静岡FCと合併。2013年にJリーグ準加盟クラブとして承認され、2014年にJリーグに入会した。運営会社は株式会社藤枝MYFC、ホームスタジアムは藤枝総合運動公園サッカー場、練習場は焼津市の藤枝MYFCサッカー場である。

クラブ名称の「MYFC」はわたしの(MY)フットボールクラブ(FC)に由来する。かつてはイギリスのマイフットボールクラブに次ぐ世界で2チーム目の「ネットオーナーシステム」を採用し、ネットオーナーによる議論・投票により、戦術・運営・強化方針・人事などを決定していたが、2015年にネットオーナーサイトは閉鎖しており、アイデンティティを失った状態で今日に至る。なおネットオーナーの会員数は無料時代は300–400人、有料時代は60人程度であり、活動は困難な状況にあった。

エンブレムは藤枝市を表す盾に、サッカー伝承の地を示す緑色のストライプを配し、上にMYFC、中央にサッカーボールと藤枝市の市鳥であるウグイス、左右に上がり藤の図柄がある。このエンブレムの原案は運営事務局が作成し、ネットオーナーの投票で選出された。

オフィシャルマスコットはフェニックスがモチーフの蹴っとばし小僧。サポーター投票で2015年12月に発表、2018年3月に名前が公表された。

歴史

前史

藤枝市を本拠地とするクラブがJリーグを目指そうとする動きは、Jリーグ発足当初から、ジャパンフットボールリーグ(初代JFL)に在籍したことがある中央防犯サッカー部・藤枝ブルックスが加盟へ向けて動いていたが、当時の藤枝市民グラウンドサッカー場はJリーグ(現J1)基準を充足できるスタンドや照明設備が整っておらず、このままではJリーグ加盟ができないため、Jクラブの誘致に熱心だった福岡市と交渉し、福岡ブルックス(1996年からアビスパ福岡)とチーム名を改めたうえでJリーグ準会員資格を取得し、福岡市へ移転することとなった。

その後改めて、藤枝ネルソンCF(ふじえだネルソンクラブ・デ・フットボール)を母体に、藤枝市を本拠とするクラブでJリーグ入りを目指すことになったのである。チーム名のネルソンは元日本代表のネルソン吉村に由来している。藤枝ネルソンCFは静岡県社会人サッカーリーグで活動した他、全国社会人サッカー選手権大会に1度出場した経歴を有する(1998年。1回戦で札幌蹴球団に敗退)。2008年11月、「ネットオーナーシステム」を運営するMYFC運営事務局と藤枝ネルソンCFは同クラブを運営候補とすることで合意した(後に名称を「藤枝MYFC」に制定)。

2009年
ガンバ大阪元監督の釜本邦茂が監督に就任。ただし、釜本は「実際には監督というよりはスーパーバイザー的役割である」とコメントしており、現場でのチームの指揮はヘッドコーチ兼選手の斉藤俊秀が執っていた。後に釜本は総監督となり、ネットオーナーシステムの投票で97.5%の承認を得て3月から斉藤が監督に就任した。
静岡県リーグ1部で1位となったが、リーグ戦における試合当番の不履行により5順位降格の処分を受けて、最終順位は6位となった。
2010年
1月、東海社会人サッカーリーグ1部の静岡FCと統合。東海リーグの指導により、静岡FCを存続クラブとしてshizuoka.藤枝MYFC(シズオカ・ふじえだマイエフシー)へ登録チーム名を変更(呼称は「藤枝MYFC」)することで東海リーグへの参加が認められた。4月に釜本が総監督を退任した。
東海リーグ1部で優勝したが、第46回全国社会人サッカー選手権大会は1回戦で、第34回全国地域サッカーリーグ決勝大会は1次ラウンドで敗退した。
2011年
東海リーグ1部を連覇。第47回全国社会人サッカー選手権大会は3位、第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会は準優勝の成績をそれぞれ収めた。12月16日の日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFL入会が承認された。

2012年 - 2013年(JFL)

2012年
登録チーム名を藤枝MYFCへ変更。なお、Jリーグ準加盟申請を準備していたが、静岡県サッカー協会から準加盟に必要な支援文書が発行されなかったため、年内の申請を断念したと報じられた。
2013年
6月に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)へ準加盟を申請し、9月17日に準加盟が承認された。11月19日、Jリーグ理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された。
シーズン終了後、斉藤が監督退任と同時に現役引退した。斉藤のつけていた背番号2は2019年まで永久欠番であった。

2014年 - 2022年 (J3)

2014年
総監督に菊川凱夫、監督に水島武蔵が就任。リーグ戦は12チーム中11位。シーズン終了後に水島が監督を退任した。
2015年
監督にヘッドコーチだった大石篤人が就任。リーグ戦は13チーム中10位の成績で昨年より1つ順位を上げた。また、天皇杯で清水に勝利した。
2016年
大石体制2年目。18人の選手が退団したが、大迫希、鮫島晃太、遠藤敬佑ら14人が移籍加入、大学生4人が加入し18人の選手が加入した。リーグ戦は過去最高の7位。
2017年
大石体制3年目。4人の引退を含む14人の選手が退団したが、大竹隆人、伊藤竜司が移籍加入、田口潤人がレンタル移籍で加入、遠藤敬佑、川島將はレンタル移籍から完全移籍に移行した。県サッカー選手権大会決勝で沼津に敗れ、2年連続で天皇杯出場を逃した。J3リーグ戦では、枝本雄一郎がリーグ6位タイの13得点、遠藤が8位タイの12ゴールを挙げるなど、3位沼津、優勝した秋田に次ぐリーグ3位の50得点を挙げ、2年連続の7位躍進に貢献した。DF福王忠世・FW三好洋央の引退、期限付き加入だったDF伊藤槙人・DF薗田淳・GK田口潤人の期限付き移籍満了を含め、22名が退団した。
2018年
主要スポンサーで企業や官公庁などからの受託による測定・検査事業を展開する静環検査センターがクラブの筆頭株主となり、クラブ創設に携わった小山淳がクラブ運営から退き、後任の代表取締役に藤枝東高校サッカー部OB会長の鎌田昌治が就任。
GK川田修平・DF木下高彰・DF川上盛司の期限付き加入3名を含め、GK杉本拓也・MF岩渕良太・MF養父雄仁・FW谷口堅三ら20名もの新加入選手を迎えた。
J3リーグ戦では開幕戦に勝利したものの第5節から3連敗を含む5試合未勝利となるなど、夏季の中断期間前までで6勝3分8敗で勝点21の14位と低迷、7月24日には大石とコーチの増嶋真也の退任を発表し、同月27日に前月までJFLテゲバジャーロ宮崎の監督だった石﨑信弘が後任の監督に就任した。しかし、リーグ戦再開後いきなり5連敗、1引分の後第26節から3連勝し暫定12位まで浮上したが、直後に4連敗し16位まで順位を下げ、結局監督交代後は4勝1分10敗、最終的に10勝4分18敗で勝点34、前年度から大きく順位を下げ16位に終わった。得点が前年度より18点も少ないリーグ16位の32得点に低下し、失点も前年度の43から48に増えた。シーズン終了後DF木下高彰・DF川上盛司の期限付き移籍満了を含め、17名が退団した。
2019年
石﨑体制2年目。一方で、MF片岡爽(期限付き移籍)・MF谷澤達也・MF成岡翔・MF松岡亮輔・FW森島康仁ら17名を獲得、また、前年途中から期限付き移籍で加入していたMF出岡大輝が完全移籍に移行した。
J3リーグ戦では序盤から好調を維持し、第7節長野戦に勝利しクラブ史上初の首位に立つ。その後6位まで順位を落とすが、第14節以降は常に4位以上をキープし、第18節から第20節までは再び首位に立つなど、最後まで優勝争いを展開した。最終成績は2位群馬と勝点63で並ぶ3位でフィニッシュし、過去最高順位を更新した。得点はリーグ13位の42だったが、失点はリーグ2位タイの31で過去最少を記録した。
2020年
石﨑体制3年目。MF成岡翔とMF養父雄仁の引退など11名が退団、DF西埜植颯斗がJFL・ヴェルスパ大分に期限付き移籍した。一方で、MF枝村匠馬やMF姫野宥弥(期限付き移籍)、5年ぶりの復帰となるFW大石治寿ら8名を獲得、期限付き移籍で加入していたMF片岡爽とFW吉平翼が完全移籍に移行した。
6月30日、藤枝総合運動公園サッカー場の改修工事着工を前提とした特例処置を適用の上で、2021年度J2ライセンス申請を行う。9月28日、施設基準のうちJリーグ理事会で例外適用(スタジアム整備の猶予期間)が承認されたため、2021年度J2ライセンスが交付されることとなった。
結果は前年度を大きく順位を下回り、10位でシーズンを終え、石崎監督が退任した。
2021年
地元・藤枝市出身で元FC岐阜・栃木SCの監督を務めた倉田安治が監督に就任するも、同年7月12日に退任し、後任にクラブOBである須藤大輔が監督に就任した。
結果は2年連続の10位となった。
2022年
須藤体制2年目。
いわきFC・松本山雅FC・鹿児島ユナイテッドFC・FC今治・カターレ富山との激しい昇格争いを繰り広げたが、終盤戦では2位以内を保持し、最終的にJ3リーグで過去最高順位となる2位でシーズンを終えて、来シーズンのJ2リーグへの昇格が決まった。なお、2022年のJ1リーグでは同じく静岡県の静岡市に本拠を置く清水エスパルス(年間17位)と磐田市に本拠を置くジュビロ磐田(年間18位(最下位))の来季のJ2への自動降格が決まったため、来シーズンのJ2には静岡県のJリーグクラブのうちの3つ(清水・磐田・藤枝)がJ2に所属することになった。

2023年 - (J2)

2023年
須藤体制3年目。
同時昇格のいわきFCとの開幕戦を制し、長崎にも勝利して開幕連勝を飾る。その後3連敗するも第9節から3連勝するなど確実に勝ち星を拾う。2度の4連敗やホームでの大敗(東京Vに0-5、熊本に0-4、甲府に1-4)など調子の波が目立ったが、途中まで得点ランクトップを走った渡邉りょう(セレッソ大阪に移籍)を筆頭に、好調な攻撃陣で撃ち勝つ試合も多かった。最終的にJ2参入1年目を12位で終えた。得点数はリーグ6位タイの61得点を記録したが、失点数はワーストの72失点だった。また、今シーズンは、静岡県内3チーム(清水・磐田・藤枝)がJ2に所属し、静岡三国決戦と題して、それぞれのダービーマッチを盛り上げた。特に9月30日第37節のホーム清水戦では、2-0で歴史的勝利を収めた。また、クラブ史上最多となる6,288人を動員した。
2023年9月26日、 2024シーズンに関するJ1クラブライセンスが施設基準の例外規定の適用で承認された。
2024年
須藤体制4年目。

成績

タイトル・表彰

リーグ戦

  • 東海社会人サッカーリーグ1部:2回
    • 2010年、2011年

カップ戦

  • 静岡県サッカー選手権大会(兼天皇杯静岡県予選):3回
    • 2013, 2014, 2015
  • 東日本社会人サッカー大会:1回
    • 2011年

個人別

  • J2リーグ
    • 月間ベストゴール
      • 中川風希:1回(2023年10月)
  • J3リーグ
    • ベストイレブン
      • 内山圭(2022年)
      • 横山暁之(2022年)
    • 月間MVP
      • 森島康仁:1回(2019年4月)
      • 吉平翼:1回(2020年9月)
      • 岩渕良太:1回(2021年10月)
      • 久保藤次郎:1回(2022年7月)
      • 内山圭:1回(2022年9月)
    • 月間ベストゴール
      • 大石治寿:1回(2020年6月、7月)
      • 岩渕良太:1回(2021年10月)
      • 押谷祐樹:1回(2022年5月)
    • 月間優秀監督賞
      • 石﨑信弘:2回(2019年4月、2020年8月)
      • 須藤大輔:2回(2022年7月、9月)

下部組織

小学4,5,6年生のアカデミーではMYFC焼津U-15を所有する。

また、2013年12月に女子サッカーチームとしてルクレMYFCを創設し、その運営会社として株式会社MYFCマーケティングを設立した。 2023年度は東海女子サッカーリーグ1部に所属。

静岡FCと統合した直後は、静岡県リーグ1部に所属していた旧:藤枝MYFCを「F.F.C.」に改称しセカンドチームとしていたが、メンバー確保が困難となり2011年3月に解散した。

ユニフォーム

クラブカラー

  •   藤、  白、 

ユニフォームスポンサー

ユニフォームサプライヤーの遍歴

  • 2013年 - 2015年:ラッツォーリ
  • 2016年 - 現在:ゴル

歴代ユニフォーム

歴代ユニフォームスポンサー表記

メディア

他の番組については公式サイトのメディア欄で確認可能。

  • 静岡第一テレビ(SDT)
    • KICK OFF! SHIZUOKA(毎週日曜日・17:00~17:30)2023年4月 -
  • 静岡エフエム放送(K-MIX)
    • 「Viva! MYFC!」(毎週金曜日・10:52~10:57)2023年4月 -
  • g-sky FM島田(76.5 MHz)
    • 「MYFCロッカールーム」(毎月第2・4水曜日・19:30~20:00)2023年3月 -

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 藤枝MYFCの選手一覧
  • 静岡ダービー
  • 静岡FC

外部リンク

  • 公式ウェブサイト
  • 藤枝MYFC (myfc.jp) - Facebook
  • 藤枝MYFC (@fujiedamyfc_pr) - X(旧Twitter)
  • 藤枝MYFC (@fujiedamyfc_official) - Instagram

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 藤枝MYFC by Wikipedia (Historical)



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