1984年ロサンゼルスオリンピック(1984ねんロサンゼルスオリンピック)は、1984年(昭和59年)7月28日から8月12日までの16日間、アメリカ合衆国のロサンゼルスで開催されたオリンピック競技大会。一般的にロサンゼルスオリンピックあるいはロス五輪と呼称される。
規定の変更により、この大会から夏季オリンピックの入賞枠が6位までから8位までに拡大された。
この大会は1セントも税金を使わずに行われた。スタジアムも1932年ロサンゼルスオリンピック時のものを使っている。それまでの大会は、スタジアムの建設や環境整備などで開催都市が多額の費用を負担し赤字が続いたことや、1972年ミュンヘンオリンピックのイスラエル選手団に対するテロ攻撃や、1976年モントリオールオリンピックの巨額赤字が開催都市に大きなダメージを残したことなどもあり、1984年大会の開催都市立候補はロサンゼルス市だけ、とオリンピック開催は不人気だった。
税金を使わなければ、政治的介入を阻止できると、南カリフォルニアオリンピック委員会は考えたのである(大会委員長はピーター・ユベロス)。
開催するために必要な費用は、以下の4本柱を立てて賄った。
かくして最終的にはこの大会は、およそ400億円の黒字で終了かつ成功し、その全額がアメリカの青少年の振興とスポーツのために寄付された。この大会の成功が、その後の五輪に影響を与える商業主義の発端となった。
1980年に行われたモスクワオリンピックに、その前年に行われた「ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する」という理由で、アメリカが西側諸国とイスラム諸国にボイコットを呼びかけた結果、日本、西ドイツ、大韓民国、サウジアラビア、トルコ、エジプト、インドネシアなどの国々が参加しなかった。その報復として東側諸国は本大会をボイコットした(表向きの理由は1983年のアメリカ軍によるグレナダ侵攻に対する抗議)。
なお、ロサンゼルス大会の不参加国はソビエト連邦、東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ベトナム、モンゴル、北朝鮮、キューバ、エチオピア、アフガニスタン、アンゴラ、イラン などであった。不参加国は本大会に対抗する形でフレンドシップ・ゲームズを開催した。
一方、社会主義陣営の国のうちソ連と距離を置いていたユーゴスラビアとニコラエ・チャウシェスク政権のルーマニアはモスクワオリンピックとロサンゼルスオリンピックの双方に参加してロサンゼルスオリンピックではルーマニアは開催国である米国に次ぐ数の金メダルを獲得し、中華人民共和国は中ソ対立でアメリカと接近したため、モスクワオリンピックは不参加、ロサンゼルスオリンピックは参加して金メダルはルーマニアと西ドイツに次ぐ数を獲得した。
大会委員長のピーター・ユベロスは一般市民の聖火ランナーからも、参加費用を徴収しようと計画。一緒にオリンピックを作る一員として、聖火ランナーに参加してくれる人なら、資金的な協力もしてくれる、というのがユベロスの考えだったのだが、聖火を運ぶのは、もともとギリシャ委員会の管轄で、ギリシャ委員会は「聖火を商品化するとは五輪を冒涜する行為」と待ったを掛けてきた。
しかし結局、ユベロスがギリシャ委員会を説得して有料聖火ランナーは実施された。この時には1936年のベルリンオリンピックで、日本代表でマラソン競技に優勝した孫基禎も聖火ランナーの一員として走っている。
イーグルサムは鷲をモチーフにしたマスコットで、これを主人公にしたテレビアニメも製作、放映された。
オリンピックエンブレムの星にある13本の横線は、米国独立時の13州を表しているという。赤・白・青は、アメリカの国旗の色を表しているという。 デザイナーはロバート・マイルズ・ラニアン。
ソ連・東欧圏の選手が出場しなかった結果、射撃の蒲池猛夫(日本)、体操女子個人総合のレットン(アメリカ)など、幾つかの競技で、それまでメダルに縁の無かった国に金メダルをもたらした。特にレットンの金メダル獲得はアメリカで体操のブームを呼び、多くの子供達が体操競技を始めた結果、のちの体操競技におけるアメリカ勢の躍進の原動力となった。また、「女子選手には危険過ぎる」との理由で長年開催されていなかった女子マラソンがこの大会から公式競技となったが、8月開催の大会のため酷暑の中でのレースとなり、温度を下げるためにコース中にシャワーを設置するなど対策を行ったものの、ガブリエラ・アンデルセン(スイス)が脱水症状により千鳥足でゴールする事となった。ソ連や東ドイツが不参加した結果、アメリカ合衆国は、自国開催であるからこそ、最大限に力を発揮した。
開会式はアメリカ東部時間に合わせて午後5時から開式。
ロナルド・レーガンによる開会宣言、ジョン・ウィリアムズによるオリンピックテーマ曲、風船を持った人間による人文字、軽飛行機による「WELCOME」の文字の描かれた幕を牽引した展示飛行、飛行船2隻による巨大な「WELCOME」の幕の上空掲揚、ビル・スーターの操縦する個人用ジェット推進飛行装置・ロケットベルトを使った空中遊泳(俗にロケットマンと呼ばれた)、多数のピアノを使用したラプソディ・イン・ブルーの演奏などが催され、とくにロケットマンの演出は大きな話題を呼んだ。
閉会式は8月12日午後6時30分に開式通告され、五輪旗がロサンゼルスのトーマス・ブラッドリー市長からIOCのサマランチ会長に、そしてソウル市の廉普鉉市長に手渡された。また、大会委員長のユベロスにオリンピックオーダーの称号が与えられた。聖火が消灯された後、UFOとの音と光の交信が行われ、宇宙人が登場。そして花火で大会が締めくくられた。
本大会は主にロサンゼルス郡、オレンジ郡、サンバーナーディーノ郡、サンディエゴ郡、ベンチュラ郡の5郡にまたがって開催された。一部、他州で開催された種目もあった。
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