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北マケドニアのユーロビジョン・ソング・コンテスト


北マケドニアのユーロビジョン・ソング・コンテスト


北マケドニアのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、北マケドニアにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。北マケドニアは、2019年の国名改称まで「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」(略称: F.Y.R. Macedonia)の呼称でユーロビジョン・ソング・コンテストに参加していた。

歴史

北マケドニアは1998年で大会に初出場したが、1996年大会でも予選に参加している。参加したのはカリオピの「Samo ti」(Само ти)であったが、決勝に進むことはできなかった。

北マケドニアが最高の順位につけたのは、イスラエルのテルアビブで開かれた2019年大会であり、タマラ・トデフスカが「Proud」を歌い決勝で7位となった(審査員票では1位、視聴者票では12位)。2008年までの間、翌年大会で自動的に決勝進出が決まる10位以内に進むことは一度もなかったが、2008年大会を除いて1998年以降全て決勝進出を決めている。2008年大会に参加したのはタマラ・トデフスカ、ヴルチャク、アドリアン・ガジャの3人で、彼らは準決勝では電話投票で10番目となった。決勝に進出できる10組のうち、最後の1組は電話投票ではなく審査員の推薦によって選ばれる。このとき審査員がスウェーデンを選んだため、彼らは決勝進出を果たすことができなかった。それ以降、2019年までに決勝に進出したのは2012年と2019年の2度のみである。

マケドニア国営放送(Makedonska Radio Televizija; MKRTV)がこの大会を放送し、大会に参加する北マケドニア代表は、マケドニア国営放送のスコピエ・フェストによって選ばれる。財政難のためにスコピエ・フェストはたびたび中断されており、そのため2004年から2007年まではマケドニア代表はスコピエ・フェストの枠外にて選ばれている。

北マケドニアが1991年に独立を宣言する前、マケドニアはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の構成国・マケドニア社会主義共和国であり、他のユーゴスラビア構成諸国とともにユーゴヴィジヤ(Jugovizija)と呼ばれるユーゴスラビア国内選考に参加していた。また、マケドニアの作曲者たちは他のユーゴスラビア諸国の代表の曲を制作してきた。しかし、マケドニアからはユーゴスラビア代表としてユーロビジョンに参加することはできなかった。1980年には、マケドニア代表のマヤ・オジャクリエフスカ(Маја Оджаклиевска / Maja Odžaklijevska)がユーゴスラビアの国内選考で優勝したものの、この年ユーゴスラビアは1980年大会には参加しなかった。

参加者

投票履歴

北マケドニアから得点が送られた国々

北マケドニアに得点を送った国々

脚注

注釈

出典

Collection James Bond 007


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 北マケドニアのユーロビジョン・ソング・コンテスト by Wikipedia (Historical)