ユーゴスラビアのユーロビジョン・ソング・コンテスト(Југославија на Песми Евровизије / Jugoslavija na Pjesmi Eurovizije)では、ユーゴスラビア(1991年まではユーゴスラビア社会主義連邦共和国、1992年はユーゴスラビア連邦共和国)におけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。
ユーゴスラビアは、ユーロビジョン・ソング・コンテストに合計27回参加した。初参加は1961年であり、以降、不参加であった1977年から1980年まで並びに1985年を除き、1992年まで毎年参加している。1989年大会ではユーゴスラビアは優勝を果たし、翌年の1990年大会を主催している。
共産ユーゴスラビア時代は、ユーロビジョン・ソング・コンテストに1961年大会で初出場した。ユーゴスラビア代表を選ぶ国内選考はユーゴスラビア国営放送によって開かれた。国内選考はユーゴヴィジヤ(Jugovizija)と呼ばれ、ユーゴスラビアのそれぞれの構成体の公営放送によって各国で開催されるコンテストから選ばれた、連邦各国の代表によって行われる。
ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国はボスニア・ヘルツェゴビナ国営放送、クロアチア社会主義共和国はクロアチア国営放送、マケドニア社会主義共和国はマケドニア国営放送、モンテネグロ社会主義共和国はモンテネグロ国営放送、セルビア社会主義共和国はセルビア国営放送、スロベニア社会主義共和国はスロベニア国営放送によって代表が選ばれる。また、構成共和国とほぼ同等の地位を持つ自治州からも代表が選ばれ、コソボ社会主義自治州からはコソボ州営放送、ヴォイヴォディナ社会主義自治州からはヴォイヴォディナ州営放送によって代表が選ばれる。第1回の選考に参加したのはセルビア、スロベニア、クロアチアの3国であり、その他の国や州はそれ以降の選考から参加した。
ユーゴスラビアが存続した間に、6共和国と2自治州の合計8つの構成体のうち、5つの構成体からユーゴスラビア代表が選ばれた。ユーゴスラビア代表としてユーロビジョンに参加歌手を送り出したのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、モンテネグロ、セルビア、スロベニアの5国である。一方でマケドニア、コソボ、ヴォイヴォディナからはユーゴスラビア代表は出なかった。最も多くのユーゴスラビア代表を輩出したのはクロアチアであり、26回の参加のうち13回はクロアチアから代表が選ばれている。1977年から1980年、並びに1985年はユーゴスラビアはユーロビジョンには参加しなかった。
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は1989年大会、リヴァの「Rock Me」でユーロビジョン優勝を果たした。これによって翌年のユーロビジョンの主催権を獲得し、1990年大会はクロアチアのザグレブで行われた。
1991年のユーゴスラビア解体に伴って、連邦の一部をなしていたスロベニア、クロアチア、マケドニア共和国は独立を宣言した。これによって、3国はベオグラードで開かれるユーゴヴィジヤからも撤退した。1992年のユーゴヴィジヤにはセルビア、モンテネグロのほかボスニア・ヘルツェゴビナからも参加した。ボスニア・ヘルツェゴビナはこの年の3月1日に独立を宣言したものの、4月6日まで国際社会からの承認は得られていなかった。ボスニアから参加したアルマ・チャルジッチ(Alma Čardžić)は、後にボスニア・ヘルツェゴビナ代表として1994年大会と1997年大会に、それぞれ「Ostani kraj mene」と「Goodbye」で参加した。4月28日、連邦に留まっていたセルビア共和国とモンテネグロ共和国により新しくユーゴスラビア連邦共和国が結成された。セルビアから参加したエクストラ・ネナ(Extra Nena、スネジャナ・ベリッチ Snežana Berić)の「Ljubim te pesmama」が新生ユーゴスラビア代表として選ばれ、5月9日に行われた1992年大会に参加した。
ユーゴスラビア解体後、セルビアとモンテネグロを除く構成共和国はそれぞれ独立国となった。各国の放送局も呼称を変えてそれぞれ欧州放送連合に加盟し、それぞれ個別にユーロビジョンに参加した。
新しく独立した国々の成果もさまざまであった。クロアチアは1990年代に大きな成功を収めた一方、セルビア・モンテネグロやボスニア・ヘルツェゴビナは2000年代に入ってから好成績を残している。2008年までの時点で、マケドニア共和国は一度も10位以内に入ることはできなかった。2004年大会ではセルビア・モンテネグロ代表のジェリコ・ヨクシモヴィッチは2位となった。2007年大会からはセルビアとモンテネグロはそれぞれ独立して個別に大会に参加し、モンテネグロは10位以内に入らなかった一方、セルビア代表のマリヤ・シェリフォヴィッチは優勝を果たした。
1961年にユーロビジョンに参加して以来、ユーゴスラビアは5回、大会への参加を見送っている。1977年大会から1980年大会まで、ユーゴスラビアは不参加であった。また、1985年大会にも国家の祝日のために参加を見送った。
以下のユーゴスラビア代表は、ユーゴヴィジヤによって選出される。1978年から1980年までと1985年は、国内の理由により不参加となった。背景が金色はユーロビジョンで優勝、赤色は最下位を表す。
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