バナナマン(BANANAMAN)は、ホリプロコムに所属する日村勇紀と設楽統からなる日本のお笑いコンビ。1993年、コンビ結成。キングオブコント2008準優勝。
1993年10月、2人の共通の知人に誘われ、4人組のお笑いグループを結成。そこで設楽と日村は初めて会った。しかし、4人組での活動を前提として話や稽古を進めていくうちに、設楽は「このグループじゃダメなんじゃないか?」と違和感を抱くようになったといい、日村だけを誘ってグループを脱退し、コンビを結成。
1994年2月、「設楽日村」の名でラ・ママ新人コント大会でデビューし、春にコンビ名を「バナナマン」に改名。翌年の1995年秋にOFF・OFFシアターで初単独ライブ『処女』を開催。コンビ名の由来はアメリカでの日本人の蔑称「バナナ」(外見は黄色い『黄色人種』だが、一皮剥けば白色の『白人』のごとく振る舞う日本人)を聴き覚えていた設楽の提案で「バナナマン」とした。バナナマンの「マン」はスネークマンショーが由来。
1999年、ラフォーレミュージアム原宿でYOUとのユニットライブ「FULL CHAMPION STYLES」を開催。
2000年、ラーメンズとユニットライブ「genico」を開催。同年12月よりスタートした『宝島の地図』(BSフジ)の全シリーズに出演。
2003年、長年出演してた『赤坂お笑いD・O・J・O』(TBSラジオ)にて、最終回間際に3代目免許皆伝を獲得。『内村プロデュース』(テレビ朝日)の若手芸人との対決コーナーにおぎやはぎ、劇団ひとりと共に若手の一員として出演し、以降番組に不定期に出演。
2005年、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)の企画「コンビ解散ドッキリ」に出演。
2007年元日に放送の第20回『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ)で、日村はカンニング竹山と共に初優勝する。同年1月31日にで放送された特番『激突グルメ芸人料理王決定戦2007ウマイド美食祭り!』(TBSテレビ)で、設楽が初代料理王になる。同年3月18日放送の『ウルダン』(中京テレビ)で3代目チャンピオンになる。
同年3月18日、設楽の自宅が火事になる。当日は『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』(TBSテレビ)の収録日だったため、火災直後に参加し、初のゲームクリア及び100万円獲得を達成した。日村は賞金を修繕費として設楽に全て渡したという。
2008年10月、『キングオブコント』の第1回大会にて決勝に進出。Bリーグ内で500点満点中482点という圧倒的な高得点を記録して最終決戦に進出するも、決選投票でバッファロー吾郎に2対5で敗れて準優勝となる。
2009年8月、バナナの地位向上に貢献から日本バナナ輸入組合主催の第4回「勝手にバナナ大賞」を受賞し、2010年も受賞して殿堂入りした。
2010年12月18日、『ザ・イロモネア』で2回目の100万円獲得。
2011年3月25日、『ザ・イロモネア』でコンビ最多タイとなる3回目の100万円獲得。前回出場時にも100万円を獲得したため、2連覇となった。因みに設楽が『ザ・イロモネア』の企画「ピンモネア」でも100万円を獲得しているため、番組最多記録となる4冠を達成。同年3月11日に発生した東日本大震災の復興支援として、賞金を全額寄付した。収録は震災前だったが、震災の影響もあり放送日が延期となり、番組終了後に2人が画面から「獲得した賞金は被災地支援に寄付する」といった内容を報告した。
2011年10月、テレビ東京系列『乃木坂って、どこ?』の司会を担当。
2012年、設楽は『ノンストップ!』(フジテレビ)の司会を担当。また、放送作家オークラが脚本を務める日村主演のドラマ『イロドリヒムラ』の第10話(最終回)を監督した。
2013年3月29日 - 31日、コンビ結成20周年を記念して、結成10周年の東京03とユニット「handmade works」を結成し、コントライブ『handmade works live』を俳優座劇場で開催。
2014年12月、『第65回NHK紅白歌合戦』(NHK)で、宣伝部員と「紅白ウラトークチャンネル」内の司会を担当。
2015年4月、『乃木坂って、どこ?』のリニューアル番組であるテレビ東京系列『乃木坂工事中』の司会を担当。
同年、『キングオブコント』の審査方式の変更に伴い、審査員にコンビで就任。2020年までの6年間、審査を務めた。
同年11月、前年に引き続き『第66回NHK紅白歌合戦』(NHK)の宣伝部員を担当することが発表された。
2016年2月13日、2人が扮した音楽ユニット「T-STYLE(ティースタイル)」のシングル「T-BACK」をiTunesで配信。12月に『THE GOLD RUSH』の司会を担当。
2017年12月31日、紅白歌合戦にて2014年から4年連続で「紅白ウラトークチャンネル」の司会を担当。
2021年12月17日、過去の単独ライブ20作品が12月25日よりNetflixで独占配信されることが発表された。タイトルは『bananaman live』で、Netflixでのコントライブ作品の配信は芸人単独では初となる。1999年から2019年までの単独ライブを3つのシーズンに分けて配信し、第1弾は2013〜2019年の7作品を12月25日、第2弾は2006〜2012年の7作品を2022年1月25日、第3弾は1999〜2005年の6作品を同年2月25日から配信された。
2022年1月16日、同年7月8日に開幕する舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』の応援大使に就任することが発表された。
同年6月24日、ラジオ番組『バナナマンのバナナムーンGOLD』(TBSラジオ)にて、同年8月4日 - 7日に『bananaman live 2022 H』を開催することが発表された。単独ライブでは2019年8月に開催された『bananaman live S』以来約3年ぶりとなった。また8月6日の19時開演回では、バナナマン初となる生配信が行われる。
バナナマンの二人が演じるコント『赤えんぴつ』が2024年2月9日(金)に日本武道館LIVEを開催した[1]。
舞台コントを原点と考えており、テレビに数多く出演するようになった現在でもなお毎年夏に行う単独ライブは恒例となっている。ボケ・ツッコミがはっきりしていない演劇のようなコントが特徴。結成当初からどちらがボケ・ツッコミなのかはこれといって決めていない。基本的に本来は設楽がボケ、日村がツッコミとしているがバラエティ番組への露出が多くなって以降は日村のキャラクターによるものなのか、日村がボケで設楽がツッコミというスタイルがほぼ定着してしまっているため、現在ではもっぱら後者のスタイルで活動することが多い。このため、本来は互いにボケもツッコミもできるコンビとなる。ライブでは10分から30分超のコントを常に主に行うが、放送時間の制約もあってあまりネタの時間が取れないテレビでは、4〜5分ほどのコントや、オリジナルのショートコント、日村の合いの手で進行する単発ネタを披露する場合が多い。
「即興コントの達人」と呼ばれるなどミニコントとも呼ばれる即興コントを得意とする。
結成当初は日村が「芸歴も年齢も自分が上だから」とネタ作りを引き受けたが、設楽は日村の書いたネタをあまり面白いとは感じなかったため自然と設楽も書くようになった。結成して1か月も経つと日村はネタ作りを完全に設楽へ任せるようになった。しかしコントライブなどでは、第3のバナナマンとの呼び声高い作家・オークラも脚本に入り設楽と2人でネタを書くこともある。
単独ライブではコントの他に様々な芸風のネタを披露している。
他の芸人たちとのユニット。
コンビ仲が非常によく、互いの誕生日に一番近いラジオの本番中にプレゼントを贈りあったり、ラジオで日村が設楽に相談したりすることがある。設楽は2009年9月29日放送の『バナナ炎』(TOKYO MX)で「(自分たちのように)ずっと仲いいって滅多にない」と述べている。設楽曰く「自分の奥さんの誕生日プレゼントより、日村さんのプレゼントのほうがいいのあげてる」という。これについて設楽は「戦っていかないといけない相手が周りにたくさんいるのに、コンビ間で揉めてるわけにもいかない」と話している。また児嶋一哉(アンジャッシュ)、近藤春菜(ハリセンボン)、三村マサカズ(さまぁ〜ず)、おぎやはぎも、バナナマンは仲がいいといった旨の発言をしている。
プライベートの場合やコントを披露する場面など、比較的テレビの露出が無い場合には互いを原則的には「さん」付けで呼びあうが、番組中等での第三者に対してへの相方の呼称は呼び捨てであることが多い。また若い頃は「ヒムケン」、「統」と呼び合っていた。
自身の番組であるバナナ炎やバナナムーンGOLDにおいて、何か問題が起こるとビンタで決着をつけるのがお決まりである。ビンタは主に設楽が日村に対して行い、逆に設楽がビンタされることは稀。
所属事務所のウェブサイトに掲載されているプロフィールの写真は、所属当初来同一のものが使用されている。その為、特に日村の容姿が当時と異なっていることを良くいじられることが多い。
お笑い芸人の中でもブレイクが遅い所謂「遅咲き」である。若手時代に『ボキャブラ天国』(フジテレビ)『エンタの神様』(日本テレビ)といった人気番組の出演オファーを舞台現場主義の観点もあって敢えて断り、地道に努力した結果30代後半に入って漸く日の目を浴びた。
第3のバナナマンと言われ同コンビの放送作家をしているオークラは、当時仲良くしていたサブカル通の女性にバナナマンの存在を教えられ、バナナマンコントライブにて「オサムクラブ」というコントを見て、どうやったらこんなコントを作れるのか衝撃だったと語っている。また、飯塚悟志(当時アルファルファ、現・東京03)は「バナナマンは僕らの世代ではとても大きな存在だった」とコントの上手さを表現している。
結成2年目から単独ライブをしており、新型コロナウイルスが流行する2020年までは毎年欠かすことなく行っていた。オークラ曰く、当時若手時代で単独のコントライブを行う芸人はほぼおらず、バナナマンが草分け的存在だったとのこと。
2005年以降にメディアへの出演が増えるとレギュラー番組を持つようにもなりゲスト出演することも多かったが、中でもダウンタウンやとんねるずなどのお笑い第3世代との共演も多かった。
藤井フミヤに似た背の低いイケメンで、日村とはタメ口で話す仲である。
※シリーズ物が多いため、50音順。
コンビでの出演番組を記載。単独での出演は日村勇紀、設楽統を参照。
単独ライブは主に東京公演が多いが、2003年の『Sugar Spot』と2004年の『Elephant pure』の際には全国で公演が行われた(全国公演での主な開催場所の詳細は「全国公演」の項を参照)。なお、2005年以降のライブは全て俳優座劇場で行われている。コンビ結成以降、ほぼ毎年欠かさず開催されてきたが、2020年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で初の開催見送り(中止)となり、公式ホームページ内でライブグッズの販売のみ行われた。2021年も2020年と同様にライブグッズの販売のみ行われた。2022年は約3年ぶりの開催となった。
『日本人は人に物を頼むとき土下座をすると聞いたのだが。』と『最少年公演記録樹立』以外のライブは全て映像化され発売されている(ただし、『人間番号』と『RADIO DANCE』はVHSのみの発売。『激ミルク』以降のライブは全てDVDで発売されている。また、『処女』も当初はVHSのみの発売だったが、2006年2月24日に『処女&サルマンとバカジュリエット SPECIAL EDITION』としてDVDで発売された)。
2006年以降、ライブのタイトルは決められたテーマに沿って名付けられる事が3〜4年程続く傾向にある。『kurukuru bird』-『wonder moon』までは花鳥風月4部作として、『DIAMOND SNAP』-『TURQUOISE MANIA』までは設楽(ダイヤモンド)、日村(エメラルド)、オークラ(ターコイズ)の誕生石に因んで、『Cutie funny』-『LIFE is RESEARCH』までは「女」「金」「仕事」をそれぞれテーマとして、タイトルがつけられた。
後に『激ミルク』で披露されたコント「CLEVER HOSTAGE」は『30minutes』の第3話「バカ達の誘拐」(2004年10月15日放送回)としてドラマ化され、『kurukuru bird』で披露されたコント「青い鳥」は2010年1月1日に放送された番組『笑う女優』内でドラマ化されている。
2022年の『H』では、8月6日の19時開演回のみ、バナナマン初となる生配信が行われる。
2006年から2010年にかけて2年おきに行われた、過去にライブで披露したコントの『傑作選』ライブ。『Punch』『Kick』『Chop』と三部作構成になっており、2010年7月にはこの三部作をまとめたDVDも発売された。
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