日置島津家(ひおきしまづけ)は、島津氏の支流である武家・士族・華族だった家。安土桃山時代の島津歳久を祖とし、江戸時代には薩摩国鹿児島藩島津家の一門家臣として薩摩日置を領し、維新後には華族の男爵家に列せられた。
歴史
島津宗家15代当主・島津貴久の三男である島津歳久を祖とする。歳久は天正8年(1580年)に薩摩国祁答院で1万7300石を与えられ、宮之城に住したが、豊臣秀吉の九州平定後も朝鮮出兵に出陣しないなど秀吉に反抗的な態度が多かったために文禄元年(1592年)に切腹に処された。文禄4年(1595年)に3代・常久が日置郡日置郷に転封となり、以降「日置島津家」と呼ばれるようになった。江戸時代の家禄は7700石。
明治維新後、日置島津家は当初士族に列したが、華族への叙爵運動を行い、明治33年5月9日付けで戊辰戦争における賊徒掃討の功績を以て島津久明が男爵に叙せられた。
その養子・繁麿の代に日置島津男爵家の住居は鹿児島県鹿児島市鴨池町にあった。
歴代当主
- 島津歳久(宗家15代・島津貴久の三男)
- 島津忠隣(薩州家・島津義虎の三男、歳久の娘婿)
- 島津常久
- 島津久慶(死後、養子・久予の讒言により、一時日置家の系図より削られる)
- 島津忠朝(忠心とも。初代薩摩藩主(宗家18代)家久の十二男。桂氏を継いでいたが日置当主に)
- 島津忠竹(忠興・久竹とも)
- 島津久健
- 島津久林
- 島津久甫
- 島津久暢
- 島津久知(久尹とも。兄の久典(後の島津貴品)が垂水家を継いだため家督を相続)
- 島津久風
- 島津久徴
- 島津久明
- 島津繁麿(久明の弟・歳寛の嫡男)
- 島津久欣
- 島津晴久
略系図
- 太字は当主。実線は実子、点線は養子。[ ]は、その家の祖を意味する。
脚注
出典
参考文献
- 阿部猛、西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年(平成2年)。ISBN 978-4404017529。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
- 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』吉川弘文館、2015年(平成27年)。ISBN 978-4642014724。
- 森岡浩『日本名門・名家大辞典』東京堂出版、2012年(平成24年)。ISBN 978-4490108217。
- 島津修久『島津歳久の自害(増補改訂版)』(島津顕彰会、2000年10月)
- 稲葉行雄『「さつま」歴史人名集』(高城書房出版)ISBN 4-924752-28-2
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