長石 多可男(ながいし たかお、1945年1月7日 - 2013年3月31日)は、映画・テレビドラマ作品の監督・演出家。広島県出身。広島県立広島国泰寺高等学校卒業。
1965年頃、ピンク映画で前衛的な作品を発表していた映画監督の若松孝二と知り合ったことがきっかけで、映画界入りを志す。当初は若松プロダクションへの参加を考えていたが、当時の若松プロは足立正生・沖島勲・小水一男(=ガイラ)をはじめ多くの助監督を抱えていたことから断念し、他社でピンク映画作品の助監督となる。その後、『特命捜査室』(1969年、東映・フジテレビ)で初のテレビドラマ助監督を務めた。
『柔道一直線』の助監督を経て、チーフ助監督を務めた『仮面ライダー』では、原作者・石森章太郎(=石ノ森章太郎)が監督を務めた第84話「危うしライダー! イソギンジャガーの地獄罠」で監督補を務めた。第11話「吸血怪人ゲバコンドル」では、脚本も書いている。その後も、石森が監督した『イナズマン』第11話「バラバンバラはイナズマンの母」や映画『フィンガー5の大冒険』で監督補を務めている。
『ザ・カゲスター』(1976年、東映・テレビ朝日)の第13話「ドクターサタンの世界征服作戦!!」でテレビドラマの監督デビューを果たし、『5年3組魔法組』『Gメン'75』などの助監督兼監督を経て、1985年の『電撃戦隊チェンジマン』より本格的に監督として東映特撮作品に携わるようになる。『光戦隊マスクマン』から『地球戦隊ファイブマン』まで4シリーズ連続でパイロット&メイン監督を歴任し、『マスクマン』の劇場版で映画監督デビューも果たす。『ファイブマン』に続いて『世にも奇妙な物語』を手掛けると東映を離れてVシネマの演出に転身し、日本ビデオ映画・ケイエスエス・ピンクパイナップルの作品で手腕を振るった。1995年10月には『超力戦隊オーレンジャー』で4年9か月ぶりに東映特撮に復帰し、シリーズ問わず数々の作品に携わった。
2000年の『仮面ライダークウガ』からは仮面ライダーシリーズに主な活躍の場を移していたが、2009年の『仮面ライダーディケイド』の終了後には『侍戦隊シンケンジャー』にて『救急戦隊ゴーゴーファイブ』の終盤以来約10年ぶりにスーパー戦隊シリーズへの復帰を果たす。そして、2010年には『天装戦隊ゴセイジャー』にて『電磁戦隊メガレンジャー』以来13年ぶりとなるパイロット演出を担当した。しかし、2010年11月頃に撮影された同作品のVシネマ『帰ってきた天装戦隊ゴセイジャー last epic』が、最後の監督作品となった。
2013年3月31日、進行性核上性麻痺によって東京都内の病院で死去。享年68。
2014年の映画『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』では、平山亨との連名でエンドクレジットに献辞が掲げられている。
太字はパイロット作品。
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