夏木 マリ(なつき マリ、1952年〈昭和27年〉5月2日 - )は、日本の女優、歌手。旧芸名及び旧姓は中島淳子である。
東京都豊島区池袋のびっくりガードに近いぬかりや病院で生まれる。小学校3年から埼玉県大宮市で育ち、県内の小学校、大宮市立三橋中学校、豊島岡女子学園高校をそれぞれ卒業する。高校在学時から坂本博士主宰のサカモト・ミュージック・スクールへ通い、女声合唱団「サカモトプリティーズ」で活動する。ザ・テンプターズやザ・タックスマンを追っかけたことがある。
19歳の1971年に、本名の中島淳子名義で「小さな恋」を歌唱して歌手として活動を始める。ジャニス・ジョプリンのような曲を希望するも叶わずに、清純派アイドルとしてデビューした。人気は高まらずに各地のキャバレーを日々巡る。
21歳の1973年に、夏木マリ名義で「絹の靴下」を歌唱して再デビューする。6月のデビューに掛けた「夏に決めよう」から着想した「夏木マリ」は嫌だったが、妖艶な振り付けやフィンガー・アクションが盛り込まれて大ヒットした。テレビの歌番組に続けて出演するなど多忙な日々を過ごすが、低色素性貧血を発症して3か月間入院する。退院後は仕事が激減して再びキャバレーを巡る。1974年当時のボディーサイズはB90cm、W60cm、H90cmである。
ヌードダンサーらが踊るレビューショー小屋で仕事中、演劇を生業とする観客から舞台出演に誘われ、舞台の仕事を始める。1990年に単身ニューヨークへ赴き、自分も何かを発信したい想いを抱く。1993年に企画、構成、演出、出演の全てを手がける舞台表現『印象派』を発表して以降、2006年のvol.8まで9作品で80ステージ以上公演し、国内のほかドイツ、フランス、イギリス、ポーランドで高評価を得た。
1995年に小西康陽からアプローチを受け、ミニアルバム『九月のマリ-』を発表する。
2006年にブルースバンド『GIBIER du MARIE』を結成し、アルバムのプロモーションビデオの監督を務める。
2007年にパーカッショニストの斎藤ノヴと交際中であると発表して「フランス婚」と表現し、籍にこだわらないと語る。
2008年に自ら主宰するパフォーマンス集団「Mari Natsuki Terroir (MNT)(マリ・ナツキ・テロワール)」を立ち上げ、東京都現代美術館の『イン・トランジット』公演を経て、従来は1人ですべてを手掛けてきた『印象派』から集団の創作へ進化させた『印象派NÉO』を2009年に発表する。Vol.1『わたしたちの赤ずきん』を上演する。
2010年に支援活動『One of Love』プロジェクトを開始して、バラと音楽の収益を途上国の働く女性と子供たちに支援している。毎年6月21日の「世界音楽の日」に開催されるギグは、さまざまなアーティストらが参加している。
2011年5月に斎藤と入籍していたことを、26日に発表する。
2015年にキャリア44年目の62歳で、自身初めて全国ライブハウスツアー「夏木マリ MAGICAL MEETING TOUR Live & Talk 2015」を敢行する。
2016年、華原朋美、土屋アンナ、シシド・カフカ、LiLiCoと女性コーラスユニット「and ROSEs」(アンド・ローゼス)を結成する。
2018年、レザーブランド「バリー」のキュレーターに就任。「夏木」という漢字と好物のリンゴをイメージしたオリジナルロゴが作られたことや、自身がプロデュースするイベントを夏と冬に2回分けて行うことが発表された。
うどん店「つるとんたん」をプロデュースしているとたびたび誤解されるが、東京の店舗の経営者と親交があり開店時にBGMなどを手伝っただけで「私のお店じゃない」ときっぱり否定している。
夫婦共に阪神タイガースのファン。
旅行好きで、2016年にH.I.S.ヨーロッパ親善大使を務める。
フィギュアスケートのアイスダンス選手である小松原美里・小松原尊のペアが、北京オリンピックの団体で演じたフリーダンスの曲「SAYURI」で、日本語ナレーションを担当した。
2006年3月、ブルースバンド『GIBIER du MARIE』(ジビエ・ドゥ・マリー)のヴォーカルとしてavexよりデビュー。
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