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大陸


大陸


大陸たいりくとは、地球の地殻上に存在する陸塊である。一般的にはユーラシア大陸・アフリカ大陸・北アメリカ大陸・南アメリカ大陸・オーストラリア大陸・南極大陸の6つの陸上部分を指すが、これは相対的な判断によるもので厳格な基準は設けられていない。衝突や分裂など大陸の動きは、かつては大陸移動説として説明されたプレートテクトニクスで理論化され、地質学の研究課題となっている。

定義とその適用

慣習的に、「大陸とは有意な水域で切り離された、充分に広く、連続的で、おのおのが独立していると認識される陸地」と言える。しかし、一般に言われる6つの大陸は必ずしも海で分断された離散的な状態にあるわけではない。広さも恣意的な判断に基づき、最大の島グリーンランドの面積は2,166,086km2であり、大陸に分類されるオーストラリアの面積7,617,930km2と比較した際に大陸とはみなされない理由は明確に説明されていない。また、おのおのの独立という点では理想的な基準を満たすために大陸棚や島弧の存在は考慮されず、南北アメリカはパナマ地峡でつながっているために合わせて1つの大陸とする考えがあるなど、定義上の矛盾もある。アジア・ヨーロッパ・アフリカも自然な地形では分断されておらず、このうちアジアとヨーロッパは地峡さえない状態でつながっており、定義から大きく逸脱している。海洋と大陸の関係では、大陸は1つ以上の主要な大洋と接しており、逆に大洋は大陸やさまざまな地理的基準によっておのおのが区分されている。

大陸の範囲

大陸を指す最も狭義の概念は切れ目がない主要な陸地ということになる。この考え方では、海岸線が大陸の淵となり、イギリスやアイルランドが自国と対して使う「大陸(the Continent)」は大陸ヨーロッパを意味するが、アイスランドなどの島を含まないこと、同様な意味で日本などから見た中国大陸や、オーストラリアのタスマニアが「オーストラリア大陸」に加えられない事象が例になる。また太平洋のハワイ諸島やカナダ領土を挟むアラスカを除いたアメリカ合衆国の48州を「アメリカ合衆国本土」(continental United States)と呼称することもこの用法に当たる。

地質学や自然地理学の見地からは、海面下の水深が浅い領域である大陸棚とそこにある島々(大陸島)も連続した陸地として扱われ、構造的に大陸の境界内に入る。この視点では、大陸の境界は海岸線に関わらず大陸棚の縁となり、イギリス諸島やアイルランドはヨーロッパ大陸の一部となり、ニューギニア島はオーストラリア大陸と一体となってサフル大陸(またはオーストラリア‐ニューギニア)を形成する。

文化的な構図から勘案すると、大陸という概念は大陸棚のような地形的境界を越える可能性がある。たとえば、この考え方ではアイスランドはヨーロッパ大陸の、マダガスカルはアフリカ大陸の一部と受け取ることができる。これをさらに拡大すると、オーストラリア大陸がニュージーランドなど全オセアニア諸島を含み込んだオーストララシアまでに至る。その結果、地球上のすべての地域はもれなくいずれかの大陸に含まれることになる。

大陸の区分

各大陸が水域によって区分されているという理想的な基準は、歴史的そして現実的には当てはまっていないと見なされている。この基準に合致するものは、かろうじてオーストラリア大陸と南極大陸のみである。いくつかの大陸は完全に独立した陸塊ではなく「そこそこの大きさの地面」と認識されている。アジアとアフリカはシナイ半島でつながり、南北アメリカの間にはパナマ地峡がある。どちらの地峡も大陸と比べれば非常に狭いもので、しかも人工の運河(スエズ運河とパナマ運河)によって両大陸は切り離されていると言うこともできる。

一方、ユーラシア大陸をアジアとヨーロッパに分ける考えは異例であり、そこには水域は何もない。この点からユーラシア大陸を含む6大陸という数え方が生まれている。この地理的な考えはヨーロッパとアジアをまたぐロシアではユーラシア主義思想とも結びつけられ、日本でもこの考えが主流である。それに対し2つの大陸に分ける考えはヨーロッパ中心主義の残滓もあり、「物理的、文化的そして歴史的な多様性では、中国やインドはヨーロッパの個別国ではなく全体に匹敵する。もしフランスと比類するならば、インド全体ではなくその中の一州、たとえばウッタル・プラデーシュ州を並べる方が完全ではないとしてもより適切である」という意見もあるが、歴史的また文化的な理由からヨーロッパではユーラシアを2大陸に分ける考えが本流である。

陸峡を挟む南北アメリカ大陸はユーラシアよりも明瞭に区分されるが、それでも以前はまとめて1つの大陸として認識されており、第二次世界大戦以前のアメリカ合衆国でも支配的だった。現在でも米州機構にこの概念が残っている。この、アメリカ大陸を1つとみなす考えは、スペインやポルトガルおよびラテンアメリカ諸国の概念から来ている。しかし19世紀ごろ、アメリカ合衆国との混同を避けるために使われ始めたアメリカ州(Americas)という言葉に見られる複数形から示唆されるように、このころには新世界は2つの大陸で成り立っているという認識が広まった。この区分は近代オリンピックのシンボルマークに使われており、大陸を表す環は南極を除き5つがデザインされている。

もし大陸の定義を離散的な陸塊とし、接触する場所がある陸地はまとめて考えるとするならば、アジア・アフリカ・ヨーロッパはアフロ・ユーラシア大陸という呼称のように1つの大陸と見なさなければならなくなる。この場合、南北アメリカもひとつと数えられ、地球の大陸は4つとなる。さらに、更新世の氷期によって海水準変動が起こっていた時期を考えれば、より広い範囲で大陸棚を介した陸橋で大陸はつながっていた。この時期、ニューギニアはオーストラリア大陸の一部であり、アメリカ大陸とアフロ・ユーラシア大陸はベーリング海峡を通じて連なっていた。グレートブリテン島など大陸周辺の島もことごとく大陸と一体化していた。この時代に冒頭の大陸と定義できる陸地は3つだけだった。

大陸の数

大陸をどう数えるかについては複数の方法がある。

「オセアニア」や「オーストララシア」はオーストラリアを示す名称としてしばしば用いられ、カナダの地図帳『Atlas of Canada』もオセアニア表記である。中南米とイベリア半島を指しイベロアメリカという用語も使われる。

面積と人口

以下の表で、7大陸法で区分したそれぞれの大陸の面積と人口についての統計を示す。

全大陸の面積は総計148,647,000km2であり、地球表面(510,065,600 km2)の29.1%を占める。

最高地点と最低地点

以下の表で、7大陸法で区分したそれぞれの大陸の最高標高地点(最高峰)と最低標高地点を示す。

† 北アメリカ大陸と南極大陸の最低標高地点は厚さ数キロメートルの氷河に覆われている。露出した地点に限れば、北アメリカの場合 デスヴァレー(-86メートル)、南極大陸ではベストフォードヒルズ(-50メートル)の湖が該当する。

ヨーロッパとアジアの地質学的境界をパラテーチス海の名残りであるクマ=マヌィチ窪地に求める意見もある。これに則るとエルブルス山があるコーカサス山脈はアジアの領域に入り、そのためヨーロッパ最高標高地点はグライアンアルプスのモンブラン(4,810メートル)となる。

その他の大陸

現在知られている大陸とは別に、別な観点に立った大陸と呼ぶ対象もある。地質学的記録を遡ったことにより、超大陸と呼ばれる、単一のクラトンや大陸塊をしのぐ大きさを誇った陸地が、かつての地球上に存在したと考えることが今日では妥当とされるようになった。これらには、ローラシア大陸、ゴンドワナ大陸 、バールバラ大陸、ケノーランド大陸、コロンビア大陸、ロディニア大陸そしてパンゲア大陸などがこれに当たる。理論上、現在のユーラシア大陸もこれに該当する。

おもな太古の大陸
未来に予想される超大陸
  • アメイジア大陸
  • パンゲア・ウルティマ大陸
亜大陸

大陸の一部を指して亜大陸と呼称する用例もある。特に、異なるプレートに乗る陸地が大陸と接続しているような場合に用いられ、インド亜大陸やアラビア半島が顕著な例に当たる。北アメリカプレート北東部にあるグリーンランドは、大陸と接続こそしていないが亜大陸と認識される場合もある。南北アメリカ大陸を単一の大陸と見なす場合、ふたつの亜大陸がつながっているという見方もある。

微小大陸

微小大陸(英: microcontinent)とは、大陸地殻としては海中に没しているものの、比較的水深の浅い場所に広い面積を持つ領域であり、これを単純に水没した大陸とする見方がある。ニュージーランドからニューカレドニア付近の海域にあるジーランディアは典型的な例で、ほかにインド洋南部のケルゲレン海台もこれに当たる。

大陸断片

大陸断片(continental fragment)とは、かつては大陸と一体だった大地が断裂して島状になった地形を指し、これを比較的小さな大陸ととらえた用語である。マダガスカル島はこの例に当たる最大の島で、「第8の大陸」と呼称されることもある。

伝説上の大陸

アトランティス、ヒュペルボレイオスの伝説やトゥーレ、レムリア・ムー大陸などが例に挙げられる。

概念の歴史

初期の大陸概念

最初の大陸区分は、古代ギリシアの船員たちが名づけた「アジア」と「ヨーロッパ」だった。ただしこれは単純にエーゲ海、ダーダネルス海峡、マルマラ海、ボスポラス海峡および黒海の両岸のことを指していた。当初は海岸のみを指していたこれらの言葉は、のちに広大な背景地にまで及ぶようになった。しかし、これらの区分はせいぜい航海によってたどりつけた土地までの範囲に留まり、「その限界を超えて、決して分割が叶わないユーラシアを仕切るためのいかなる説得力を持つ地理的な特徴を内陸部に見出すことは、ギリシアの地理学者たちの手に余った」と評されている。

次に古代ギリシアの思想家たちは、アフリカ(当時はリビアと呼ばれていた)が果たしてアジアの一部なのか、それとも異なる場所なのかを議論し、そこが異なる3番目の土地だという考えが優勢となった。ギリシア的観点に立つと、エーゲ海は世界の中心であり、東にアジア、西と北にヨーロッパ、そして南にアフリカが位置した。大陸間の境界は明瞭されなかった。早くから、ヨーロッパとアジアは黒海からグルジアを流れるリオニ川(当時はファシス河と呼ばれた)に沿って分けられた。その後、この線は黒海を起点にケルチ海峡、アゾフ海を通ってロシアのドン川を遡上する形と変化した。アジアとアフリカの境界はナイル川に置かれた。しかし紀元前5世紀のヘロドトス は、これではエジプトがアジアとリビア(アフリカ)に分断されてしまうため反対し、同地はあくまでアジアだとの主張の元に境界をエジプトの西側国境線に置いた。また彼は、実質的に陸続きのこの3地域をわざわざ分けることに疑問を呈し、この論争は2500年後の現在でも取り沙汰される。

紀元前3世紀のエラトステネスは、地理学者たちが主張するナイル川やドン川で区分される大陸部分に着目し、川で区分される大陸を「島」、地峡で分けられる大陸を「半島」と考えた。彼以後の地理学者たちは、アジアをヨーロッパの区分をカスピ海と黒海の間の地峡に、アジアとアフリカの区分を地中海沿岸のバルダビル湖河口から紅海の間に置いた。

古代ローマから中世の間、シナイ半島をアジアとアフリカの境界に置く地理学者はわずかで、ほとんどは依然としてナイル川もしくはエジプトの西境を基準に置いていた。中世には世界はTO図の形式で描かれ、Tが3つの大陸を分割する水域として表現されるようになったが、18世紀中ごろまで境界をエジプトとリビアの間(Great Catabathmus)に求める流儀はしぶとく残っていた。

ヨーロッパのアメリカ大陸到達

クリストファー・コロンブスが大西洋を航海し西インド諸島に到達した1492年は、ヨーロッパ人のアメリカ大陸探査の口火となった。ただし、コロンブス自身は4度アメリカへ渡ったにもかかわらず、彼はそこがアジアの一部だと生涯信じていた。

1501年、アメリゴ・ヴェスプッチとゴンサロ・コエーリョが、彼らがインディアスと考えていた地を南下しインド洋へ抜ける海路を目指していた。ブラジル海岸を航海する一行は、この地が当時考えられていたアジアよりもはるかに南に伸び、その広さも大陸と呼ぶにふさわしい規模であることを確認した。ヨーロッパへの帰路、探検の報告はヴェスプッチの名前で『Mundus Novus』(「新世界」の意)という名で1502年または1503年に出版された。これには別人の加筆も疑われているが、ヴェスプッチの言葉「私は南の地に大陸を発見した。そこには、私たちのヨーロッパやアジア、アフリカと比べてもよりたくさんの人々や動物たちが息づいている」という言葉で明白な通り、彼はその大陸を既知の3大陸と区別している。

数年後にはオリヴェリアーナ(ペーサロ)の地図(1504 - 1505年ごろ)のように「新世界」を南アメリカと名づけた地図は作成されたが、まだ北アメリカはアジアとつながっていた。しかし1507年にマルティン・ヴァルトゼーミュラーが出版した地図『Universalis Cosmographia』では、新大陸が水域でアジアと分けられた。この地図に添えられた付録冊子『宇宙誌入門(Cosmographiae Introductio)』でヴァルトゼーミュラーは、地球の陸地は4つに分けられ、ヨーロッパ、アジア、アフリカに次ぐ4番目の大陸をヴェスプッチのファーストネームにちなんで「アメリカ」と名づけたと記している。

英語continent

1500年代から、名詞「continent」はラテン語 terra continensを語源とし、連続している大地(continent land)の意味から派生する形で生まれた。しかし当初は「接続または連続した土地」以外にも「本土」の意味にも使われ、必ずしも広大な陸地を意味していなかった。1600年代、マン島・アイルランド・ウェールズに対する「本土」また1745年にはスマトラ島を指して「本土」として使われた例がある。ギリシア語やラテン語の翻訳では「continent」は世界を3分したパーツとして訳されたが、この本来の意味に忠実な形で用いられることは無かった。

一方で「continent」は連続する大地の一部を指して用いられることもあり、他方ではヘロドトスの提言を再評価する地理学者たちは、実質的に一つの広大な陸地をわざわざ別の大陸に分ける必要がないと主張した。1600年代中ごろ、ピーター・ヘイリンは著書『Cosmographie』にて「大陸は広大な面積を持つ陸地を指し、必ずしも他の土地と海で隔てられなければならないわけではない。ヨーロッパ、アジア、アフリカは完全に大陸だ」と筆した。1727年にイーフレイム・チェンバーズが書いた『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典』(Cyclopaedia, or an Universal Dictionary of Arts and Sciences)には、「世界は基本的に2つの超大陸に分けることができる。旧大陸と新大陸だ」という記述がある。エマニュエル・ボーエンは1752年製作の地図において、大陸を「広く乾燥した充分な面積を持つ土地であり、多くの国が国境を接してつながり、水域によって分断されない」と定義し、ヨーロッパ・アジア・アフリカは合わせて1つの大陸であり、また別にアメリカがあるとした。しかし、ヨーロッパの伝統的な考えから、ヨーロッパとアジア・アフリカは世界を構成するパーツでありながらそれぞれが大陸とする見方に固執した。

複数の大陸概念

18世紀末ころには、地理学者の中に南北アメリカを別な大陸と見なし、世界を5つに区分する考えを持つ者が現れだしたが、19世紀にも依然4大陸の概念が一般的だった。

ヨーロッパ人によるオーストラリア発見は1606年だったが、当初そこはアジアの一部と見なされていた。これを独立した大陸とし世界を6大陸とする考えが一部の地理学者から提案されたのは18世紀末のことであった。オックスフォード英語辞典も依然あいまいな表現に止まる中、1813年にサミュエル・バトラーが「地理学者の中には別な大陸名をつけて権威づけるものがいる、広大な面積を持つ島ニューホランド」とオーストラリアを記した。

メガラニカと名づけられた対蹠地として1000年以上前から存在を予言されていた南極大陸は1820年に発見され、1838年に行われたアメリカ合衆国の探検調査にてチャールズ・ウィルクスが最後の大陸と特定した。1849年には大陸として確認されたが、ほとんどの地図には記載されず、これは第二次世界大戦以後にようやく反映された。

19世紀中ごろから、アメリカ合衆国で発行される地図はヨーロッパのそれと異なり、南北アメリカを別の大陸と扱うものがだんだんと増え、二次世界大戦以降の1950年代にはほとんどがそのようになり、現代的な地質学やプレートテクトニクスの理解と一致した。これに南極が加わり7大陸の概念が確立した。

ただし、ラテンアメリカには南北アメリカ大陸をまとめる考えが根強く、またアジアとヨーロッパをユーラシア大陸とみなす概念も依然残っている。

地質学

地質学は、地理学と異なる「大陸」の定義下でこの用語を使う。それによれば、変成岩や火成岩、広くは花崗岩の岩盤で構成された部分を大陸地殻とする。より厳密に定義されたものでは、15億年から38億年前の先カンブリア時代に安定した「盾」状の地殻部分であるクラトン(安定陸塊)を指す意見もある。クラトンそのものは、古代の山岳帯が初期の沈み込み帯や大陸衝突帯またはプレートテクトニクスの上昇部分での活動帯で造られ、これが集まったものであり、その表面は形成されたばかりの薄い堆積岩が覆っている。地質学で言う大陸は、その周辺をある程度活発な造山帯・海溝または三角州や海底プレートに形成された珊瑚礁や積もった堆積物などが付着した「付加体」で周辺を覆われている。縁辺部の外側は地球のプレート配置によって、大陸棚や玄武岩質の海盆が広がるか、もしくはほかの大陸地殻と隣り合っている状態にある。大陸地殻の周辺は必ずしも水域ではない。地質学的な時間スケールで見れば、大陸地殻はやがて海洋地殻の下にもぐりこむか、大陸地殻同士が衝突するかの結末を迎える。現在の地球地殻は、他の時代に比べて陸地部分が多く「(標高が)高く乾いた」変則的な状態にあると言える。

大陸を例えて、より重い玄武岩質の海洋地殻とは異なり、大陸地殻にへばりついた「いかだ」のようなもので、プレートテクトニクスが起こす沈み込みで破壊されることを免れているという言及もある。この仮説は、大陸クラトンを構成する岩石の年代が非常に古いことを説明できる。この定義では、東ヨーロッパやインドなどといった地域は、古代の独立した箇所(東ヨーロッパ・クラトンやインドクラトンなど)であった事から他のユーラシア大陸とは異なる大陸塊と言える。これらの大陸塊とユーラシアの境界が、ウラル山脈やヒマラヤなどの新しい造山帯である。

大陸地殻には、クラトンに至らない多くの微小大陸がある。ゴンドワナやジーランドなど古の大陸の断片にあたるニュージーランドやニューカレドニア・マダガスカルなど、またはマスカレン海台北部やセーシェルなどがこれに当たる。カリブ海の諸島は花崗岩質だが、ほとんどの大陸は花崗岩と玄武岩質の表層を持っている。ただし、このような線引きで島と微小大陸を区別できない。たとえば、ケルゲレン海台はゴンドワナ大陸の分裂に関与したと考えられるため微小大陸に相当するが、その地質はおもに火成岩であり微小大陸ではないアイスランドやハワイ諸島と同じである。ブリテン諸島、スカンジナビア半島の一部、ニューファンドランド島は過去同じ大陸の一部分であり、内海(イアペタス海)が広がって分断された。これらも大陸断片にあたる。

プレートテクトニクスは、大陸を定義する別の方法を提案する。今日、ヨーロッパをアジアの大部分を合わせユーラシア大陸としているが、これをユーラシアプレートを基準に見るとインド、アラビア半島、そしてロシア東部は除外される。インドは楯状地を中央に含みヒマラヤ山脈を北端とする単独のプレートである。南北アメリカは比較的近年の火山活動によって形成された陸峡で繋がった、プレート的には別々の大陸となる。そして北米はカナダ楯状地の端にグリーンランドを、そして西の境界でアジア(ロシア)東部を含むことになる。ただし、地質学者たちはこのプレート配置を取り上げてアジア東部の一部を北アメリカに加えるといったような主張はしていない。通常「大陸」は地理的な意味にて用いられ、大陸岩石やプレート境界といった定義はあくまで補充的に適宜用いられるに過ぎない。

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金星の大陸

金星の地形において、地球の大陸に匹敵する大きさの高地も「大陸 (la: terra)」 と呼ばれる。面積順に、アフロディーテ大陸、イシュタール大陸、ラダ大陸の3つがある。金星では少なくともプレートテクトニクスは機能しておらず、どのようなメカニズムで高地が生まれたものかは今後の研究に委ねられている。

脚注

出典

参考文献

関連項目

  • 国の一覧 (大陸別)

外部リンク

  • 『大陸』 - コトバンク

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 大陸 by Wikipedia (Historical)


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