八戸市(はちのへし)は、青森県東部にある市。太平洋に面する。中核市に指定されており、県庁所在地である青森市や県内人口3位の弘前市と共に、青森県主要3市の一角を構成する。1929年(昭和4年)市制施行。
八戸都市圏は約33万人の人口を擁する。三戸郡を包含する八戸圏域連携中枢都市圏でもあり、三八地域県民局が設置されている。2002年(平成14年)12月には東北新幹線が八戸駅まで延伸されている。
八戸港は工業港、フェリー港、漁港を兼ねている。商圏は青森県東部や岩手県北部を包摂する。
八戸藩が置かれた城下町でもある。伝統芸能であるえんぶり(朳)および八戸三社大祭、騎馬打毬はいずれも国の重要無形民俗文化財に指定されている。伝統工芸品には八幡馬、八戸焼、南部姫毬などが、郷土料理には南部煎餅、八戸せんべい汁、いちご煮など、駅弁は「八戸小唄寿司」、特産品には市川いちご、糠塚きゅうりなどがある。お盆には「背中あて」を食べる慣習が根付いている。温泉・銭湯も歴史的に多く存在する。
スケート、アイスホッケーが盛んで、氷都八戸の異名を持つ。実業団体やジュニアチーム、女子チーム、素人アイスホッケーを含め加盟登録数は60チームを数える。
B-1グランプリ発祥の地でもある。
「八戸」の名称は、岩手県北・青森県南西部一帯に古くから存在している数に「戸」のつく地名がもととなっている。「戸」自体の由来は牧場の番号や駐屯地の番号など諸説ある。詳細は糠部郡参照。
縄文時代の是川遺跡や風張遺跡がある。風張遺跡からは縄文時代後期の米粒が出土している。風張から出土した合掌土偶は国宝となっているほか、是川からも数々の工芸品が出土している。
1191年(建久2年)、甲斐国の南部氏が北東北一帯を源頼朝から賜ったとされている。南部氏が実際に北東北に移ってきたのは南北朝時代である。1334年(建武元年)、南部師行が根城を築き、根城南部氏(遠野南部氏)の祖となった。根城南部氏は1627年(寛永4年)、三戸南部氏(後の盛岡南部氏)の命により遠野に居城を移した。
転機となったのは江戸時代前期の1664年(寛文4年)である。南部重直が世継ぎを決めずに亡くなったため、盛岡藩は御家断絶の危機を迎えた。江戸幕府は盛岡藩10万石を八戸2万石と盛岡8万石に分け、八戸南部氏の祖となる南部直房により八戸城が築かれた。これが八戸藩の始まりである。八戸藩の領地と現在の八戸市の領域にはかなり違いがあり、現在の岩手県久慈市までが八戸藩だった。
八戸城は現在の三八城公園にあった(従って八戸公園は城跡ではない)。城下町には三日町、十三日町など市の立つ日を名前とした街が並んでおり、現在も八戸市中心市街地となっている。
1915年(大正4年)、鮫浦港修築工事が開始され、1929年(昭和4年)に商港に指定された。
1935年(昭和10年)6月8日、鮫町天女ヶ窪にあった飛行場で皇国飛行協会八戸支部主催の八戸防空飛行大会が開催。離陸中の飛行機(サムルソン乙型偵察機)が誤って観客者の中へ突っ込み死者3人、重傷1人を出す事故が起きた。
八戸市には馬淵川と新井田川という比較的大きな河川が流れている。特に馬淵川は蛇行が激しく流量も多いため、水害の多い河川だった。特に河口部分で馬淵川が大きく曲がって新井田川と合流するような形で太平洋に注ぎ込んでいた。1937年(昭和12年)、馬淵川の改修工事(河口付近の直線化)が難航し、戦争のために中断された。1949年(昭和24年)に工事が軌道に乗り、新産業都市に指定された1961年(昭和36年)に完成した。これにより水害が減り、臨海地域を工業地帯として利用可能となった。
1961年(昭和36年)5月28日、台風4号接近に伴いフェーン現象が発生。こうした状況下で白銀町の住宅から出火した火災が延焼して4人が死亡、住宅や商店など707棟が全焼。
1977年(昭和52年)10月3日、昭和天皇が第32回国民体育大会開催に合わせ、八戸市公民館、八戸市体育館などに行幸。
2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波により臨海部は大きな被害を受けたものの、岩手県以南よりは比較的被害が少なかった。
太平洋側気候であるものの、夏はやませの影響で冷涼であり、度々冷害が発生する。冬は北東北にありながら降雪量が少なく乾燥し、晴天が多いため日照時間も長い。
1989年(平成元年)に「はちのへ共通商品券」が発行されている。朝市は、市民の買い物・飲食と観光客誘致の両方に貢献している。
八戸市内でも指定されている。
水揚げ数量は2021年度は全国12位の4万4472トンで、サバ1万0005トン、イカ7842トン、イワシ1万8966トンなどが主要な魚種となっている。水揚げ数量が5万トンを割るのは72年ぶりで、水産業再生の必要性が唱えられている。
このほか、アニメイト、未来屋書店、くまざわ書店、文教堂書店、川村商店、成田本店、木村書店、アリス書店などが単独出店している。最大規模の書店はVidawayが運営するTSUTAYA八戸ニュータウン店である。
IBC、TVI、mitは本来岩手県内のテレビ局であるが、岩手県北部の沿岸地方(久慈市)と内陸地方(二戸市)の双方に交通の便が良い八戸市に取材拠点としての支社を置いている。 また同市の大半の地域では、岩手県内のテレビ(TVI、IAT、IBC、mit、NHK盛岡放送局)の送信局の一つである二戸中継局から発射される電波により岩手県のテレビを越境受信する事が可能であり、特に青森県に存在していないフジテレビ系列の番組を最速で多く放送するmitの需要は同市でもかなり高いものとなっている。 また、mitは青森県南部地域(三八上北)を実質的な放送エリアであるとしてHPで明言しており、同テレビの緊急地震速報は岩手県内に出された場合や三八上北地域に出された場合に放送される。岩手県北の商圏が八戸にあるので、岩手県内でのテレビ・ラジオ等の気象情報では岩手県外の八戸地方の天気も紹介される例が多い。
2015年(平成27年)国勢調査の人口増減を見ると、2.68%減の231,257人であり、増減率は県下40市町村中4位。
※:以下は廃校。
※:私立高校の数が同規模の他都市より多い。これは生徒の増加に対応して私立高校が早期に開校したことにより受け皿となったためである。同時期に公立高校でも共学化や普通高校の新設が図られた。
※:以下は廃校。
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※:八戸市庁の最寄り駅は本八戸駅であるものの、『JTB時刻表』では八戸駅が中心駅として記載されており、いずれも八戸市中心市街地までは距離がある。八戸駅と市中心街は路線バスが10分間隔程度で結んでいる。
※:2009年3月に市が策定した「八戸市地域公共交通総合連携計画」により、同市内を運行する八戸市交通部(八戸市営バス)、南部バス(当時)、十和田観光電鉄(十鉄バス)共通の系統番号表示がなされた。2009年に詳細が決定し、地図『バスマップはちのへ』が発行された。さらに、2010年4月1日のダイヤ改正時よりバスの方向幕への表示が開始された。2022年2月26日より Suicaと相互利用の地域連携ICカード「ハチカ」を導入。すでに交通系ICカードを導入していたJRバス東北や東北新幹線に加え、市営バス・南部バスでも交通系ICカードが使えるようになった。ただし、在来線の八戸線・青い森鉄道線では使えないため注意が必要。なお、同市内を運行する十和田観光電鉄の路線バスでも利用可能だが、ハチカの交通ポイントや定期券の対象外となる。
1965年から1975年までは三沢空港での民間機共用が米軍の保安上の理由に伴い、中止されていたことから海上自衛隊八戸航空基地が代替していた。
「氷都八戸」の歴史は1947年(昭和22年)の第1回冬季国体から始まったとされている。以来、冬季国体は2009年のみちのく国体まで過去11回八戸で行われた。また、アイスホッケーは1932年(昭和7年)の第3回全日本アイスホッケー選手権大会から始まり過去4回八戸で開催。60年ぶりの八戸開催となった2007年(平成19年)の第74回全日本アイスホッケー選手権大会は各地で行われた。1948年(昭和23年)の第16回全日本アイスホッケー選手権大会(盛岡)では八戸ホワイトベアが優勝を飾った。アジアリーグアイスホッケーのH.C. TOCHIGI 日光アイスバックス、廃部になったSEIBUプリンスラビッツなどにはゆかりの選手も多い。
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