京極 高矩(きょうごく たかのり)は、江戸時代中期の大名。讃岐国丸亀藩の第4代藩主。丸亀藩京極家6代。
第3代藩主・京極高或の長男。享保9年(1724年)、父の死により家督を継いだ。
享保16年(1730年)叙任し、享保19年(1733年)に初めて江戸から丸亀城に入った。
寛保2年(1742年)の夏には寛保二年江戸洪水が起こり、復興のための西国大名の手伝い普請に参加した。
寛延元年(1748年)、領内に台風によるものと思われる風水被害が発生し、寛延3年(1750年)正月半ばから丸亀藩と多度津藩の領内で大規模な百姓一揆(讃岐寛延一揆)が発生した。苛政糾弾や年貢減免などを求めた一揆は参加者7千人とも1万数千人、6万人とも言われるが、月末までに藩側が一部の要求を呑んだことにより沈静化した。藩は首謀者の詮議を行い、同年7月末に首謀者12人を処刑し、その他24人を処断した。
宝暦4年(1754年)に藩内の弘田郷に雲気神社を再興した。宝暦13年(1763年)に46歳で死去した。跡を長男の高中が継いだ。
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