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1994年ドイツグランプリ


1994年ドイツグランプリ


1994年ドイツグランプリ(1994 German Grand Prix)は1994年のF1世界選手権第9戦として7月31日にホッケンハイムリンクで開催された。

概要

国際自動車連盟 (FIA) の安全強化策として、マシンに「スキッドブロック」を装着することが義務化された。床下に薄い木板を貼り付けることで車高を上げさせ、ダウンフォース発生量を減らすことでコーナリング速度を落とすという狙いがあった。

前戦イギリスGPでの黒旗無視を理由に、ベネトンのミハエル・シューマッハは同レースの失格並びに2戦出場停止のペナルティを受けた。出場停止のペナルティに対しベネトンチームが抗議したため処分は保留され、シューマッハはこのレースへの出走が許可された。なお、シューマッハはベルギーGP後に2戦の出場停止処分を受けた。

予選

フェラーリのゲルハルト・ベルガーが個人としては1991年の日本GP以来となるポールポジションを獲得。2位にもチームメイトのジャン・アレジがつけ、フェラーリが1990年のポルトガルGP以来となるフロントロー独占を果たした。

3位にデイモン・ヒル、4位にはシューマッハがつけた。また、ティレルの片山右京が当時の日本人の予選最高位となる5位を獲得した。

予選結果

  • 予選結果は AUTOCOURSE 1994-95より。

決勝

スタート時にベルガー、アレジのフェラーリ・コンビが先行するが、隊列後方でザウバー、ロータス、ミナルディらのマシンが絡むマルチクラッシュが発生。さらに1コーナーではデビッド・クルサードと接触したミカ・ハッキネンがコントロールを失ってコースを横切り、それを避けようとしたマーク・ブランデルがスピン。あおりを受けてハインツ=ハラルド・フレンツェンとジョーダンの2台がコースを飛び出した。これにより10台ものマシンがリタイアに追い込まれる事態となるが、レースは続行となる。この1コーナーの多重接触の原因を作ったとして、ハッキネンが1戦の出場停止処分を受けた。

1コーナーを曲がった後、2位アレジのマシンにも電気系トラブルが発生し、リタイアとなった。ヒルとクルサードのウィリアムズ勢はオープニングラップ中に接触などでフロントウィングを傷つけ、ピットで交換する間に周回遅れに転落した。

片山は好スタートを決めて一瞬2位にジャンプアップ。次のクラークカーブでシューマッハには抜かれるも、ヒルのアタックを阻止して3位を走行した。しかし、7周目にスロットルのトラブルによりマシンを降りた。

15周目にベネトンのヨス・フェルスタッペンがピットストップして給油を行った際、給油口につないだ燃料ホースからガソリンが噴出。フェルスタッペン自身とマシンに降り注いだ直後に高温のエキゾーストパイプに触れて引火し、マシンは猛烈な炎に包まれた。迅速な消火活動の結果、フェルスタッペンやピットクルーが軽い火傷を負ったものの、幸いに大きな怪我はなかった。この年レース中の再給油が認められてから初めて起きた火災事故だったが、後にベネトンチームが給油速度を上げるために燃料ホースのフィルターを取り外す改造をしていたことが原因であることが判明した。

2位のシューマッハは母国初優勝に向けてトップのベルガーを猛追していたが、21周目にエンジントラブルによりガレージに戻ってリタイアした。

優勝候補が続々と脱落していく荒れた展開の中、ベルガーは安定した走りで一度もトップを譲ることもなく優勝。フェラーリに1990年スペイングランプリのアラン・プロスト以来4年(59レース)ぶりの優勝をもたらした。2位にはリジェのオリビエ・パニス、3位にチームメイトのエリック・ベルナールが入り、リジェは2台とも表彰台圏内でゴールした。4位と5位にはフットワークのクリスチャン・フィッティパルディとジャンニ・モルビデリ、6位にラルースのエリック・コマス。完走は8台というサバイバルレースとなった。

決勝結果

脚注


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 1994年ドイツグランプリ by Wikipedia (Historical)


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