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ブルーファミリー


ブルーファミリー


ブルーファミリー(Blue Family)とは日本の競走馬、種牡馬。おもな勝ち鞍に1993年の羽田盃、東京王冠賞、1994年の東京シティ盃など。

戦績

  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ

1992年9月28日、大井競馬場でのサラ系3歳新馬戦でデビューし、1着。2戦目嵯峨菊特別1着を経て青雲賞で重賞初制覇。12月中にもう1戦走って勝利し、3歳時は4戦4勝とする。4歳となり、初戦の京浜盃を制すると続けて黒潮盃も勝ち、三冠第一冠羽田盃も5馬身差で勝利。無敗のまま東京ダービーを迎えたが、当時の南関東公営競馬では「外枠希望」という制度があり、ゲートに不安があったため最後の枠入りとなる外枠をここまで希望してきており、東京ダービーでもコース設定上不利と言われている外枠をあえて希望してレースに臨んだ。レースでは、この時に限っては外枠が災いし、桑島孝春騎乗のプレザントが逃げの手に出ると離れた2番手のポジションに位置取りしたが、最後の直線でも伸びきれず5着に終わった。

秋に入り、東京盃4着から駒を進めた東京王冠賞を制して二冠馬となったが、12月の東京大賞典は14頭立ての13着に終わる。古馬となり、金盃2着、帝王賞4着と2戦勝てず、オープン特別の隅田川賞ではアングロアラブのトチノミネフジの2着に終わり、そのまま休養に入る。1995年1月の東京シティ盃で復帰して1着となった後は6着以下の成績が続き、1996年9月の東京盃14着を最後にホッカイドウ競馬・米川伸也厩舎に移ったが、移籍後も4戦して未勝利に終わり、1997年7月旭川競馬場での南十字星特別8着が最後の競馬となった。

競走成績

以下の内容は、JBISサーチ、netkeiba.comに基づく。

引退後

引退後は種牡馬となったが、供用初年度の1998年8月1日に死亡した。血統登録頭数は9頭、出走頭数はそのうち4頭であった。

血統表


脚注

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ブルーファミリー by Wikipedia (Historical)


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