オルデンブルク朝(Oldenburg)は、1448年から1863年まで続いた、デンマークおよびそれを中心とする北欧の王朝である。オルデンブルクはドイツ語に基づく名称で、デンマーク語ではオレンボー(Oldenborg)である。ドイツ、ニーダーザクセン州のオルデンブルクを発祥とする。
家祖はオルデンブルク伯エギルマール1世(1108年没)とされる。同家はもともとザクセン公家の家臣であったが、1180年に独立した。13世紀に同家はオルデンブルク伯系とデルメンホルスト伯系に分かれたが、15世紀前半のオルデンブルク伯ディートリヒがデルメンホルスト伯の女相続人アデルハイトと結婚し、デルメンホルスト伯領は本家に帰した。アデルハイトの死後、ディートリヒはシャウエンブルク家のホルシュタイン伯およびシュレースヴィヒ公ゲルハルト4世の娘ヘートヴィヒと結婚した。シュレースヴィヒ公家が1459年に断絶したため、シュレースヴィヒ公領はディートリヒとヘートヴィヒとの息子であるクリスチャン7世(後のデンマーク王クリスチャン1世)が相続した。オルデンブルク伯領およびデルメンホルスト伯領はのちにクリスチャン7世の弟モーリッツおよびゲルハルトの子孫が継承したが、1667年に断絶し、両伯領はデンマーク王家のものとなった。
1448年、母ヘートヴィヒを通してデンマーク王エーリク5世の女系の子孫にあたる、オルデンブルク伯クリスチャン7世がクリスチャン1世としてデンマーク王に選ばれ、オルデンブルク朝が始まる。王朝開始時にはカルマル同盟を引き継ぎ、北欧最大の領土と大国の座を維持し続けたが、1523年にスウェーデンに独立を許した。ただしノルウェー支配は1814年のウィーン会議まで維持していた(デンマーク=ノルウェー)。 その後、2度にわたるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(第一次、第二次)の結果、永年領有してきたスレースヴィ=ホルステン(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン)公国はプロイセン王国に奪われた。このような閉塞的な状況の中でオルデンブルク家は断絶した。
オルデンブルク家の支流の1つホルシュタイン=ゴットルプ家は、1544年から1773年までシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国を支配したが、この一族はスウェーデンの王家となり、またロシア帝国のツァーリの家系ロマノフ家も継承した。オルデンブルク公、のちオルデンブルク大公もホルシュタイン=ゴットルプ家から出ている。
また現在のデンマーク王家およびノルウェー王家、かつてのギリシャ王家であり、イギリス女王エリザベス2世の夫エディンバラ公フィリップの出身家系でもあるグリュックスブルク家も、オルデンブルク家の支流の1つである。
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