アルバート・オリバー・ジュニア(Albert Oliver, Jr., 1946年10月14日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州ポーツマス出身の元プロ野球選手(外野手または一塁手)。左投左打。
1964年6月13日、ピッツバーグ・パイレーツと契約。1968年9月14日にメジャー昇格を果たしたが、同日父を亡くした。9月28日にメジャーデビューを果たし、同年4試合に出場。1969年、打率.285・17本塁打・70打点を記録し、新人王の投票では2位タイに入った。1971年、チームはボルチモア・オリオールズを破り、11年ぶりのワールドチャンピオンに。オリバーは7試合中5試合に出場。
パイレーツでは1977年まで10年間プレイし、オールスターに1972年、1975年、1976年の3回選出された。1977年12月8日にピッツバーグ・パイレーツ、アトランタ・ブレーブス、ニューヨーク・メッツ、テキサス・レンジャーズの4球団間のトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍。
1978年、1979年の2年連続で3割2分を上回る打率を記録。1980年には全163試合に出場し、自己最高の117打点を記録。4年ぶりにオールスター選出を果たし、同年表彰を始めたシルバースラッガー賞を外野手として受賞。8月17日のタイガース戦ではアメリカンリーグ新記録となる21塁打を記録。1982年3月31日にラリー・パリッシュ、デビッド・ホステトラーとのトレードでモントリオール・エクスポズへ移籍。
エクスポズ移籍1年目の1982年、リーグ1位となる204安打、43二塁打、317塁打、109打点、打率.331を記録し、史上初めてアメリカンリーグとナショナルリーグの両リーグでシーズン200安打・100打点を達成。MVPの投票では自己最高の3位に入った。当時のオリバーの背番号は「0」で、それにあやかる形でNPB・広島東洋カープの長嶋清幸(オリバーと同じ左投左打の外野手)が1983年より背番号0を着用し、中堅手のレギュラーを獲得した。
1984年はサンフランシスコ・ジャイアンツとフィラデルフィア・フィリーズでプレイ。現役最終年となった1985年は2月4日にパット・ザックリーとのトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍し、7月9日にレン・マッツゼックとのトレードでトロント・ブルージェイズへ移籍。
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