児嶋 一哉(こじま かずや、1972年〈昭和47年〉7月16日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、プロ雀士(日本プロ麻雀協会所属)、YouTuber。
東京都八王子市出身。八王子市立弐分方小学校、八王子市立元八王子中学校、東京都立日野高等学校卒業。プロダクション人力舎所属。
お笑いコンビ・アンジャッシュのリーダー・ボケ(キレ芸のときはツッコミ)担当。相方は渡部建。
小学校では当時八王子で一番強いサッカークラブでキャプテンを務めていた。中学校では陸上部(1500メートル)に所属。
中学時代の初恋の相手は小川真澄で、後にアイドルグループ「パンプキン」のメンバーとして芸能デビューしている。
ジャニーズ事務所に履歴書を2回送ったことがある。その後、お笑いを目指そうと思っていたが、当時東京にお笑いの養成所がなかった(1992年以前)ため、第一歩のきっかけが分からなかった。そのため、同じ中学校の先輩であるヒロミ(B21スペシャル)への弟子入りを考え、ヒロミの妹と児嶋が同級生だったこともあり、ヒロミの母親へ相談し、母親を通じて弟子入りを願うも断られる。その後、番組収録中のヒロミに会い、直接弟子入りのお願いをするもやはり断られた。「オレなんかについてもしょうがないから、自分で始めたほうがいいよ」と言われ、ヒロミも所属していたことがあるプロダクション人力舎が、スクールJCAを開校することを知り入学を決意する。
スクールJCAの一期生として受験するも、当時は全然目も合わせない、声も小さい、外見も良くなかったことから不合格となりかける。しかし、芸能事務所的には養成所を始めたばかりだったため、入校料を払うという理由で受験者7人中唯一の補欠合格で入学する(他の応募者は全員合格)。因みに選考委員の斉木しげるは、パチスロの勝率が8割(当時)だったため、授業料が支払えると判断したとされる。JCAでは相方が見つからず、ピン芸人として1992年デビュー。その後、とんねるずなどのいわゆる『同級生コンビ』に憧れを抱いていたことから「高校時代の人間から相方を探そう」と電話を掛けるも断られ続け、1993年に現在の相方となる渡部とアンジャッシュとしてデビュー。渡部は5人目に声をかけた相手だった。
コンビ結成当初は渡部が5人目にもかかわらず「お前だけだ」と言い張っていた。渡部はそれについて「騙された」と述べている。児嶋曰く「辞められたら困る」ため、コンビ結成当時は児嶋が大リーダーで全部ネタを書き、渡部を車で送り迎えし、渡部を褒めたり、近所の区民センターに申請して会議室をおさえたりと全部やっていて、渡部にとっては至れり尽くせりだった。しかし、リーダーとしてはあまりに頼りなかったため、半年で渡部にリーダー交代していたとのこと。
2008年に出演した黒沢清監督作品『トウキョウソナタ』で演技力を高く評価され、以降は芸人のみならず俳優としての活動も多くなっている。
2009年10月15日放送の『白黒アンジャッシュ』にてコジの乱と改名したが、2010年9月30日の放送にて本名に戻している。
2011年ごろから、児嶋のイジられ芸やキレ芸に注目が集まり、ソロとしても活躍するようになった(後述)。
2011年9月10日、元タレントでノーボトムの初代ボーカルだった坪井志津香と15年の交際の末に結婚したことを報告した。
2013年4月2日から放送されている『Girls TV! feat.SUPER☆GiRLS』にてMCを担当する。当番組で児嶋は、単独では初めてMCを担当することとなった。
2020年6月28日にYouTubeチャンネル「児嶋だよ!」を開設し、7月3日より動画投稿を開始。
2020年11月30日よりTikTokの配信をスタートさせた。投稿はスタッフが行っている。
2021年3月20日、自身初のエッセイ本「俺の本だよ!!」を発売。
2022年2月15日、白黒アンジャッシュにて相方の渡部が芸能活動を再開。渡部に対して「お前がいたからアンジャッシュとしてテレビに出られたし、お前が頑張ってくれたが、人間性は大嫌い」と前置きしつつも「どこかで助けたい気持ちもあるけど、お前のためじゃない。お前の家族(佐々木希と息子)かなと思っているんだよね。お前の家族のために、頑張っている姿を見せられたら」と話した。
現在の出演番組
単発・不定期出演
過去の出演番組
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