ケビン・フォン・エリック(Kevin Von Erich、本名:Kevin Ross Adkisson、1957年5月15日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの息子(次男。レスラーのフォン・エリック兄弟としては長男)である。
フォン・エリック・ファミリーでは唯一シューズを履かず素足でファイトしていた。
2012年には長男ロス・フォン・エリック、二男マーシャル・フォン・エリックがプロレスリング・ノアへ入団し、プロレスラーとしてデビューしている。また、これに合わせてケビン本人も同団体のGHCタイトル管理委員に任命されている。
ノース・テキサス大学でアメリカンフットボールの選手として活動後、1976年にデビュー。父フリッツの主宰するテキサス州ダラスのNWAビッグタイム・レスリング(後のWCCW)にてキャリアを積み、1978年12月25日にブルーザー・ブロディからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取。中西部のセントルイス地区でも活躍し、1979年11月23日にはディック・マードックを破りNWA世界王座への登竜門であるミズーリ・ヘビー級王座を獲得、翌1980年4月25日にケン・パテラに敗れるまで保持した。
1979年5月、NWAルートで弟デビッドと共に全日本プロレスに初来日。1981年にもデビッドとのコンビで再来日し、5月23日にグレート小鹿&大熊元司の極道コンビからアジアタッグ王座を奪取。6月11日に石川隆士&佐藤昭雄に敗れ短命王者に終わるも、日本での初戴冠を果たした。
以降もアメリカではWCCWを主戦場に、1980年代前半は弟のデビッドやケリーと組んでファビュラス・フリーバーズやダイナミック・デュオ(ジノ・ヘルナンデス&クリス・アダムス)などと抗争した。1985年からはWCCWと新たに提携を結んだ新日本プロレスにケリーと共に参戦。初戦となる10月4日の札幌大会では、藤波辰巳&木村健吾の保持していたWWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。
WCCW(WCWA)では1986年10月12日、ブラック・バートを破りフラッグシップ・タイトルのWCWA世界ヘビー級王座を獲得。アル・マドリル、ジョン・ノード、キング・パーソンズらを抗争相手に防衛戦を行い、ブッカー業務も兼任していたが、WWFの全米侵攻でアメリカのマット界のテリトリー制が崩壊した1980年代末にセミリタイアし、1995年に引退した。
引退後は母親や妻子とともにハワイのカウアイ島に居住。プロレス業界からは完全に身を引いていたが、2009年にフォン・エリック・ファミリーとして父や兄弟たちと共にWWE殿堂に迎えられた。4月4日にヒューストンのトヨタ・センターで行われた式典では、かつて抗争を繰り広げたフリーバーズのマイケル・ヘイズがインダクターを務めた。
2011年12月8日、長男のロス・フォン・エリックと次男のマーシャル・フォン・エリックが、2012年1月にプロレスリング・ノアに入団することが発表された。2012年にはケビンも約24年ぶりに来日し、1月14日に息子たちとともに入団会見に登場、1月15日にはGHC管理委員に就任することが発表された。
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