左京区(さきょうく)は、京都市を構成する11区の内の一つ。京都府京都市北東部に位置する。
1929年(昭和4年)に上京区から分区して成立した。
京都市の東北部を占め、区域は南北に長い。東は滋賀県大津市に接し、南は三条通を挟んで東山区、山科区に、北は南丹市、滋賀県高島市に接している。このほか隣接はしていないものの、区の最北端部と福井県大飯郡おおい町は5km程度しか離れていない(ただし区の北部は丹波高地の山間部であり直通する道路はない)。区南部には川端通、東大路通、白川通などの通りが南北に走っている。
区南部は住宅地や文教地区になっている一方(岩倉地区などの北寄りの地域は第一種低層住居専用地域や第二種中高層住居専用地域に指定され、高度地区の制限がかけられて高層建築物などの大規模開発が制限されている影響で、田畑も多く残る)、区北部は市街化調整区域に指定され山間地で林業が盛んである。
有名な寺社としては東山慈照寺(銀閣寺)・南禅寺・下鴨神社・平安神宮がある。また北部には鞍馬寺・貴船神社・三千院・岩倉具視幽閉跡・修学院離宮などがある。またかつては八瀬、大原から大原女と呼ばれる山菜売りの女性が行商に来ることもあった。また、北白川には花の行商を生業とする白川女が存在していたが、現在は存続していない模様である。他に北白川の山間部には、白川砂と言う特産品もある。
「左京」とは、天皇の在所すなわち御所から見て左側の意。天皇は南面して高御座に座っていたので左は東になる。そのため北を上にした現代の地図上では右にありながら左京と呼ばれる。本来左京といえば平安京のうちの東側(洛陽または洛中)のことであったが、京都市の行政区として生まれた左京区は鴨川左岸の洛東(洛外)地域に当たる。現在はその後の市町村の統廃合により、さらに外縁の旧愛宕郡部を中心としたかなり大きなものとなっている(右京区が旧京北町と合併するまでは、京都市全11区の中で最も大きい面積の区であった。また当区の面積だけで大阪市全域よりも広い)。
左京区基本計画などでは区全体を北部、中部北、中部南、南部の4地区に区分している。北部地区(または北部山間地域)は北山の農山村である。中部北地区は京都盆地の北に点在する小盆地の集合である。中部南地区は京都盆地の北東角に当たり、かつては近郊農村だったが近代以降は住宅地化している。南部地区は鴨川の東岸であり、古くから京都中心部と密接な関わりを持つ地域である。
より細かい地域区分としては元学区に基づくものがある。国勢統計区もほぼ元学区に基づいている。また南部の一部を除いて京都市に合併する以前の旧村名、字名などが公称町名の一部として残っており、これに基づいて区分されることもある。これらの区分について、元学区として「住民基本台帳の元学区」を用いて比較すると以下のようになるが、「住民基本台帳の元学区」は、あくまで住民基本台帳上の区分に用いられるものであり、現在住民自治の地域区分として用いられている元学区とは必ずしも一致しない。実際に用いられている元学区については、「京都の元学区#左京区」を参照のこと。
旧庁舎は1931年建設で吉田中阿達町1番地(北緯35度1分32秒 東経135度46分31.1秒)に所在していたが、老朽化に加えて手狭となったことから、2011年5月22日に旧京都簡易保険会館跡地となる現在地へ移転となった。その際に別に立地していた左京区保健センターも新庁舎に入居している。なお、旧庁舎の跡地は京都大学の東一条館となっている。
左京区は京都における北陸への玄関である。古来より鯖街道と呼ばれる海産物の運送ルートが何本も走っていた。現在でも国道367号線は京都と福井を結ぶ幹線道路である。
鉄道網としては、1989年(平成元年)10月5日の京阪鴨東線開業により、区内のほぼ全体から大阪方面へのアクセスが格段に良くなったほか、1997年(平成9年)6月3日には京都市営地下鉄烏丸線国際会館駅が延伸開業し、主に岩倉・松ヶ崎地区から京都駅をはじめ市内中心部、および近鉄京都線沿線へ結ばれるようになった。
区内のバス路線網は京都市営バス(区内には烏丸営業所錦林出張所あり)または京都バス(区内には高野営業所あり)が主に担当している。
久多地区の児童・生徒は2000年度より「区域外就学生」として、滋賀県大津市にある大津市立葛川小学校・大津市立葛川中学校に通学している。
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